世の中にはあり余る才能を持って生まれ、数々の大事業を成した人がいる。
今までにご紹介した耕三寺を建立した「金本(耕三寺)耕三」氏や「麻生イト」さんもその一人だが、この「奥道後温泉」を開発した「坪内寿夫」氏も数々の事業を興し、また会社を再建していった人として名高い。
この坪内寿夫氏に関しては、映画館経営を皮切りに造船所などの再建を手掛けたが、折からの造船不況から一度はほとんどの事業を手放す事になる。
しかし、会社整理が一段落するとすぐに奥道後温泉を買い戻している。
公式な説は「唯一、坪内氏が一から開発した事業なので思い入れがあったから」と言われているが、最初に奥道後温泉を開発するに至った経緯を含め、理由がはっきりしない。
私はこの奥道後温泉が個人的に大好きで、一種の「パワースポット」なのではないかと勝手に思っているが、私の他にも「奥道後温泉」のファンはいるようで、しかもその魅力は間違っても温泉設備ではないと勝手に思う。
明らかに人を寄せ付ける「土地の力」がこの奥道後にはあるのではなかろうか?
実は上記のような憶測を勝手に立て、密かに調べていた。
そこで行き着いたのが「龍姫(りゅうき)宮」の存在だ。
江戸時代に美女に化けて人を惑わす龍がいたので、この土地を治めていた人がやっつけたという伝説。
真偽の程は定かではないが、明らかに根拠となる出来事が当時あったのだろう。
おおよそ想像できるが、愛媛県に細々と伝わる「瀬織津姫」に纏わるものであるような気がする。
坪内氏は何らかの理由で、この湧ヶ淵の秘密を知ってしまい、その秘密を守るために奥道後温泉を開発したのではなかろうか?
これは才能を持って生まれた人が避けては通れない道で、事業を上手く成功させる運と奥道後 の秘密を守る役割を取り引きしたのかもしれない。
これは、かつて「平清盛」も同じ事をしている。
また奥道後が整備された時期が耕三寺の建立と同じなため、整備手法などに共通点が多い。
ちなみに、耕三寺を建立した金本耕三氏も最初は事業家だったが、後に宗教家になっている。
「麻生イト」さんも同じく宗教家になった。
「龍姫宮」にお参りして驚いた事に、祠はコンクリート製の立派なもので、これは明らかに坪内氏が整備し建立したものだ。
お宮至る紅葉が綺麗な遊歩道も無駄なくらい巨額を投じ整備されている。
恐らく坪内氏が後世に伝えたいメッセージがこの「龍姫宮」にあるのではなかろうか?
私は坪内氏が奥道後温泉に託したメッセージは一体なんだったのだろうか?と考えてしまう。