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広島3大トンデモ話

広島県尾道市「因島」の田熊桟橋の話題で、橋が架かり数年経つと定期船の発着がなくなった話があり、そこで橋の話になったのだが、実は私の生まれ育った島に橋を架けている時に面白い話があった。

「この島の人は橋がかかることを歓迎していないのか?架橋を歓迎する横断幕や看板などが1つもない」と橋の工事中に島を訪れた、その世界では名の知られたレイルウェイライターさんがある雑誌に書かれていた。
その記事(紀行文?)を読んだ時に衝撃を受け、ある疑問が湧いてきた。

この島の人は橋のかかることを望んでいるのだろうか?

客観的に島を見渡してみても、橋に何かを期待することもなく、かなり昔から架橋構想があった事もあって特に橋の開通を待ち望んでいる気配は無い。
橋の開通で便利になることは、救急搬送の時間短縮とそのために定期船のダイヤが乱れていた事がなくなり、日帰りでカープ戦のナイター観戦ができるようになるくらいだ。
いずれにしても日常生活には関係ない事なので、橋の開通を切に望む理由がない。
島にいても橋の開通を望む人には出会わないし、橋の開通で何かが変わる想像もできなければ期待も無い。
結局、橋を誰のために何の目的で架けたのか?未だに謎なのだ。
私自身その雑誌を読むまで、島民はどうでもいいのだけど誰かが勝手に橋を架けている認識だった。(笑)

ここに2つのトンデモ話が生まれてしまった。
1,島の人は橋を架けてくれることを切に望んでいる話。
2,島を架けることはその島を栄えさせるために必要不可欠なのだという話。

特に2番目のトンデモ話は瀬戸内海の島で橋が架かった事で人口が増えたり産業が栄えた島は無いので、統計的に証明できる。
もっと面白い話は私が今住んでいる島の町史には60年ほど前に書かれた50年後の島の姿の想像図が紹介されており、その中に橋は無い。
つまり60年前の人には島に橋を架ける想像もできなければ、それが島の発展に寄与するとも思っていなかったのである。
橋はその程度のものなのだろう。(笑)

ちなみに、私が勝手に思う「広島3大トンデモ話」は
1,音戸の瀬戸を平清盛が開削した
2,尾道市と今治市の境にある「ひょうたん島」がNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった
3,佐々木貞子氏は千羽鶴を千羽折り終わらずに亡くなってしまった

死神くん


話題:大野智ドラマ「死神くん」がとうとう終わってしまった…
まさか今頃になって「死神くん」がドラマ化されるとは思わなかった。
小学校高学年の頃に沢山マンガを読んだが、その中でも特に気に入って何度も読み返したマンガが3つある。
「ブラックジャック」
「ときめきトゥナイト」
「死神くん」
上2つは当時から人気のマンガで読んだ事のある人も多く、アニメ化もされた。
しかし、「死神くん」は今なき月刊ジャンプに連載されていた地味なマンガで同じ作者の週刊ジャンプに連載されていた「ついでにとんちんかん」の方が人気でこちらは早々にアニメ化された。
マンガとは言え、風刺が効いていて読んでいる人に問題を投げかける「死神くん」はまさか今頃になって注目されるとは思わなかった。
当時は読む人に色々と考えさせてくれるマンガが沢山あったが、最近はそんなマンガが減ったように思う。

しかし、3つのマンガを全て読んだ人を私は他には知らないが、3つのマンガには変な共通点がある。
どのマンガにもなぜか「死神」が登場する。

鉄分少し濃い目かな?(笑)旅情を醸し出す乗り物

「夜汽車」という言葉が過去のものになろうとしている。

今話題のLCCで東京へ行った帰りには、「まだそんなものがあるの?」とびっくりされるくらいの時代遅れな「夜汽車」で帰った。
東京駅のホームにはカメラを持った老若男女が「夜汽車」の到着を待っており、あまりの数の多さに先日廃止になった「あけぼの」に続いてこの列車も廃止になるのでは?と疑うくらいだ。
どうやら、ただ春休みだから撮影する人が多いだけで、この日も満席御礼のこの「夜汽車」は当分廃止にはならないようだ。

この完全に時代遅れの「夜汽車」は、そうは言いながらも、今でも沿線でのカメラの多さや満員御礼人気ぶりから察するに十分人々の旅情をそそる乗り物のようだ。
しかし、時代の流れはこの「夜汽車」の存在を許さないようで、高速道路の整備による夜行高速バスの発達と、新幹線の延伸と高速化、それに飛行機の低価格化などの環境は「夜汽車」をこの世から抹殺しようとしている。

このように「風前の灯火」となっている「夜汽車」も、かつては全国津々浦々走っており、その独特な旅情を醸し出す事から歌などにも歌われてきた。

ところで旅客船は歌に歌われた事があるのだろうか?
旅客船はもっと大きい括りで「何かを運んで商いをする船」の仲間で「商船」と呼ばれるがその「商船」の歌を聞いたことがない。
歌謡曲で多いのは「漁船」の歌で演歌だとほとんど漁船の歌になる。
他には時代の流行で「戦艦」の歌がやたら歌われる事もある。(笑)
それに比べて、商船や作業船は地味である。
隻数は戦艦より多いはずだがこれだけ世間の関心が少ない事の証明だ。

因みに、「商船」を歌った歌謡曲は武田鉄矢の「倭人傳」しか私は知らない。
この武田鉄矢は奇しくも「夜汽車」の歌も沢山歌っている。

鉄道会社はこの20年間、旅情を醸し出す乗り物を淘汰してきた。
そして「移動手段」と「鉄道を楽しむ」車両を明確に分けつつあり、この2つの混沌とした中で生まれてきた「旅情」は今後急速に鉄道からは衰えてゆき、歌に歌われることもなくなるだろう。
一方で「移動手段」に特化してしまった鉄道会社の行く末も密かに心配だ。

しかし、歌にも歌われない「商船」は論外だ!(笑)
商船の歌があれば誰か教えてください。

今、思えば!

今日は今思えばハードな1日だった。
午前中は高知市内で商談、午後からは香川県内でうどんを食べてから人に会い、夕方は今話題のLCCで成田へ初フライト!
天気が良くて座席も良かったので、大阪の中心部がくっきり見えました!(画像は東大阪市付近)
今晩は池袋泊まりです。

LCCも機材が新しかった事もあって思いのほか快適でした!

究極の選択

今年は3年ぶりに香川県と岡山県の島々などで「瀬戸内国際芸術祭」が開催された。
今回は塩飽の島々も短期間ながら開催会場になり、普段は静かな島に島が沈んでしまうのではないかと心配になるくらい(笑)沢山の人が訪れた。

そんな開催地で、お客様が船に戻ってくると芸術鑑賞について様々な感想を私におっしゃってくださるが、その感想の一つに「こんなに歴史と由緒のある集落や建物に何故こんなにも似つかわしくない芸術作品を作ってしまうのか?もっと島の歴史や景観に沿った作品にはならなかったのか?」との意見があり、私はその意見に色々と考えさせられた。

先日、私の住む町並み保存地区で「観光資源を増やすためにパワースポットを作る」協議と、我が集落を訪れた観光客に対して行ったアンケート結果の報告があった。
結果よりも気になったのは、アンケートの実施者が建物修復や都市計画の研究者だったので、観光に関しての専門知識が乏しいために結果の正確な分析ができず、また報告を受けた我々住民も観光に関しての専門知識が乏しいために理解に苦しんでしまい、アンケート結果を生かした方策を立てる事ができない。
実施者は別に観光学の資料収集をしていたのではないのだから、観光学の知識は要らないとの声も理解できる。
しかし、調査対象が観光客である以上、観光に関する基本知識が無いと、いずれにしても正確な分析はできないだろう。

ここで浮上した実施者と地元住民の問題は、世界遺産と一緒で「町並み保存や世界遺産の登録は観光客誘致のためにやるのか?」と、本来の目的を見失いがちで、でも避けては通れないながらもできれば避けたい、中々答えの出せない永遠の課題だ。
どちらも本来は観光地を作り、整備するための制度では無いはずだけど、指定されれば黙っていても観光客は来る。
では、「観光客」ってどんな人で、「観光地」ってどんなところなのか?指定地区に住んでいたり関わっている人は即答できるのだろうか?
少なくとも私はできない。(笑)

生活する人が居ての「町並み保存」であり、そうでなければテーマパークになってしまう事は町並み保存地区の基本的共通認識だ。
しかし、もし集落の過疎が進み、誰も住まなくなった時の事を行政も含め誰も想定していない。
離島補助航路と一緒で、近い未来の問題に誰も対策を立てようとはしない。

そんな問題に瀬戸内国際芸術祭は一つの解決策を提示してくれた。
集落の住民が5人以下になれば、諦めて外部の力を借りてテーマパーク化をすれば良い。
事実、今回の開催地の一つはかつて町並み保存地区の申請を検討しながら申請しなかった集落だ。

私は産まれ育った町を安売りすべきではないと思う。
しかし、いつか苦渋の決断をしないといけないのかもしれない。 テーマパーク化をすれば良い。
事実、今回の開催地の一つはかつて町並み保存地区の申請を検討しながら申請しなかった集落だ。

私は産まれ育った町を安売りすべきではないと思う。
しかし、いつか苦渋の決断をしないといけないのかもしれない。
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