こんにちは、柴犬でございます。
前回の更新が8月末。既に今日は10月はじめ…早すぎです。
今回はちょいと私の身の上話でも。
暗いお話になるので、続きは↓のリンクから。
突然ですが、私のHNである「柴犬」を使い始めて7年ちょっとか8年くらいになります。
このHNの由来は、よく家族に愛犬である柴犬の名前で間違えて呼ばれるからなんですね。
犬が大好きなのもあるのですが。
このブログのタイトルも犬が好き過ぎるのと私の好きなことを語ろうと思って付けてます。
さて昨年の今頃記事にしたように、私の愛犬がガンになりまして、ずっと闘病生活をしていたのですが、先月の19日、天国へと旅たってしまいました。
その日の明け方はいつもの様に仕事帰りにお出迎えをしてくれたのに、日が昇って数時間後。私以外の家族全員が仕事に行ったのをちゃんと送ってから、眠るように死んでいました。
夜勤明けで丁度私がお休みの日だったのですが、本当に突然すぎて、お別れの言葉もありがとうも言えずに愛犬を見送りました。
本当に突然すぎて頭が混乱して、その日一日は泣くことしか出来ませんでした。
今でも信じられなくて、もう誰もいない小屋に向かって行ってきます、とただいまを言っていますが、当然愛犬が顔を出すことはなく、とても寂しいです。
本当に悲しくて悲しくて辛いです。
もっと何か出来たんじゃないかなと悔いが残るばかりです。
いつも辛いときにそばに来て一緒にいてくれた愛犬に本当に感謝しています。
ありがとう、本当に大好きでした。
私が病気を押しのけて働き始めたのも愛犬の病気を治すためですし、自分自身も闘いながら社会に出れているのはあの子のおかげです。
でももう居ないんだな、と思うと本当に…辛いです。
こんな情けない姿愛犬に見られるわけにはいかないので、踏ん張って行きたいと思います。
愛犬が旅たったあの日のことを振り返ると、少し思い出すことがあるんです。
それはその日、ちょっといつもよりも愛犬の影が伸びていた気がしたんです。
芥川龍之介の小説で死が迎えに来る描写があるのですが、部屋の隅の影が段々と近づいてきて、自分自身と重なったとき死に陥る、というようなものです。
まさかな、とは思ったのですが、本当にその日に愛犬にお迎えが来てたんじゃないかなと思うのです。
本当に恐ろしいことです。
お別れって突然だな、と今年はつくづく思います。
同じクラスだった友人の死であったり、愛犬の死であったり、何気ない一日なのに唐突に訪れて、お別れの言葉も伝えられないままなのに、いなくなってしまう。
死はどうにも避けられないことなのだけれども、やっぱり怖いものだと思います。
友人には夢があって、いつも楽しそうにそのことを語っていましたし、すごく気立てのいい子でお仕事もうまくいってたのに。
何が起こるかわからないですね、人生って。
もう過去形でしか語れないんです。
新しいお話はないんです。
思い出だけに居るんです。
突然だから、毎日を精一杯悔いないように生きるべきなのでしょうけれども、それもうまくいかないですね。
でも伝えたいことだとか、そういったことは先延ばしにしないで伝えるべきなのだと考えさせられました。
そして私は思いました。
いつ終わるかわからない人生なのだから、やっぱり楽しむべきなのだと。
まだまだ悲しみから抜け出せていませんが、くよくよしてばかりじゃだめだと。
精一杯頑張りたいと思います。
とりあえず今年を乗り切ろう。
ありがとうございます、の気持ちを忘れず今日も生きていこうと思います。
では