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無音の決意。



終わらない夢を見よう。
想いだけが、生きる全て…





ゆるゆると瞼を開ける。
光が痛いほど溢れている。此処は、何処なのだろうか。
記憶を辿ってみても、巨人を殺し、泣き喚いたところまででぷっつりと途切れてしまっている。
ふと、思い付いたように腕を上げて掌を見れば真っ白な包帯が巻かれている。巨人を殺したところまでは現実として良いようで、記憶は間違っていないようだ。混濁している意識では全てが夢だったのではという淡い期待さえ信じてしまいそうになる。

「無い物、ねだり…か」

自嘲の笑みと共に吐き出した言葉は思いの外重く、ズシリと心にのし掛かった。それは、望んで、願って、けれど絶対に届く事のない想いだと身体の傷の数と共に思い知らされてきたのだから。

沈み切った思考を無理矢理中断して、私は身体を起こす。全身に引き攣れた感覚が有るものの、大きな問題もなく身体は動いた。
拷問に継ぐ拷問。挙句、巨人と鬼ごっこの末殺しても尚、この身体はしぶとく生きている。生存本能は私を変質させた。
身体はよりしなやかで強靭な筋肉を鎧に纏い、精神は逆に酷く柔軟でやわらかくなった。壊れてしまわないように、進化したのか、変化したのか。いや、退化かもしれない。
ともあれ、身体は動くし思考も問題ない。あれだけのことの後だ。僥倖だろう。

寝ていた寝台から降りてさらに現状を把握するべく部屋の中を確認する。
一揃いの机と椅子。本棚、窓は一つ。筆記具、照明器具…まるで誰か書斎兼、寝室のようだ。…勉強部屋の方が私の中ではしっくりくるのだけれど。
元来は読書好きだったこともあり、私はそっと本棚へと近付き、なんとはなしに気になった本を手に取る。どうせ読めやしない事は分かっていた。それでも、もしかしたら、なんて感情が無かった訳では無かった。

「…ま、読めや…待て、これ…」

ふと、思い付いた事。規則性のある文字列。発音にされてしまえば分からないが、文字は意味さえ読めれば音に出す必要はない。
私が知る文字に酷似している。決して確信などは無い。けれど、もしこの気付きがあっているのなら、私が知っている文字を当てはめれば読み取れるかもしれない。やってみる価値はある。
私は悪いとは思いつつも、紙とペンとを拝借し、早速相対表を作成し始めたのだった。



そいつに声を掛けられるまで、読書に没頭していたらしい。
声をかけてきたのは見知らぬ男だ。
男と言うには幼過ぎる印象のそいつは何処かオロオロとした風に何かを尋ねてきた。
言葉が通じないということを知らないのだろうか。と、言うよりも私が知るこの世界の存在は巨人と少女と女と男二人だけだ。
多分あっていれば、男2人がエルヴィン、リヴァイ。女がハンジだったか。少女は、名乗らなかった。故に名前と思わしきものを知っているのは三人だけなのだ。
しかし、オロオロとしている目の前の少年が聞き慣れた言葉をこぼしたことで、私は漸く彼がどうしてオロオロとしているのかの推測はできたのだった。

『あ、あのリヴァイ兵長は?此処は兵長の部屋の筈なんですが…』

聞き取れたのは名前だけ。しかし、此処はどう見ても誰かが使用していた部屋だ。恐らく部屋の主を尋ねてきて見るからに怪しい女がいれば動揺もするだろう。
ふむ、通じるかどうか試してみてもいいのかもしれない。もし、これで意思の疎通が取れれば儲け物だ。
何故かこの少年からは敵意を感じない。試したとしても急に暴れ出すことも無いだろう。

手にしていた本を閉じて、ペンを持ち直す。死に物狂いだったせいか、相対表はもはや無用のものになっていた。それをひっくり返してサラサラと文字を書く。綺麗とは言えないだろうが、読める字であるとは思う。

ー訳あって言葉は話せないし聞き取れない。筆談をお願いします。

書き終えてトントン、と文字を示せば少年は恐る恐る私の手元の文字を覗き込んだ。

『…そうか、お前耳、聞こえないんだな?』

何を言ったのかは分からなかったが憐憫の情が伝わってきて、文字列を私は見直す。ああ、これじゃ耳が聞こえなくて聞き取れないから言葉も話せない様に誤解されるな、なんて思い至った。
けれど、きっと拷問や巨人の経緯はあの三人にとっては不都合な一件かもしれない。勿論私にとっては進んで知られたい事でもない。この誤解は丁度いい、利用させてもらおうか。
そんな、私が打算的な思考に耽っているうちに少年はサラサラと文字を書き連ねていた。

ーこの部屋の主を訪ねてきたんだ。俺はエレン、キミは誰?

文字を追って、それから私は少年へと視線を移す。少年はエレンというらしい。彼は未知なるものへの猜疑でも恐れでもなく、純粋に好奇心で尋ねてきたのだろう。彼の瞳は期待やら何やらで輝いている。
困ったことに私はそんなエレンの期待に応えることは出来ないだろう。既に何と答えたものか、返答に窮してしまった。
誰、なのだろう。私は…。
勿論、私は私だけれど。この世界で、私は一体何者なんだろうか。
その答えは今は出せない。それなら、無難に名前でも答えておくしかないか。
意を決してエレンからペンを受け取った。

ーレイ

たったの二文字。敢えて家名は書かなかった。説明出来ないだろうからだ。
あの日、あの時何が起きたのかはあの時まだ整理できていない事の方が多く、思い出そうとすれば酷い吐き気と目眩に襲われる。それに、彼等が理解してくれるとは思えなかった。だからこそ、私は一つの決意をしたのだ。
いつか、この世界でもこの話をしてもいいと思える日までは口を閉ざそう。そして、ただただ生き抜こう、と。

たった一言だけの解答だったのに、エレンは人好きのする笑みで聞き慣れた私の名を音にしてくれた。

「レイ?」

この世界で初めてしっかり意味を理解して聞き取れた言葉が、自分の名前だった。
そう、やっと私は意思疎通の方法を拙いながらも得たのだ。
けれど、耳が聞こえないと勘違いしている彼のその、勘違いを利用しようと思っていた矢先に、私はうっかり名前に反応してしまった。
あ、と思った。けれど、それ以上に名前を呼ばれたことが素直に嬉しくて私はまあ、いいかと思い直す。
だから、呼び返した。発音に自信は無かったのだけれど。

「…エレン」

返答は無かったけれど、代わりに大きく頷いてくれた。通じたようだ。
さらさら、さらさら。私は名前の隣に文字を綴って行く。

ー…エレンの名前、発音、あってた?

今度は何かを言いながら大きく頷いてくれた。どうやら発音に問題は無いようで。なら、と、私はさらに聞く。

ー名前、覚えている人、三人いる。エルヴィン、リヴァイ、ハンジ。この中の誰かと会えないだろうか?

その名前にエレンは少なからず驚いたようだった。腕を組んで考え込んでいた。それから、返答を律儀にちゃんと書いてくれる。

ー多分今なら団長室に誰かしら居ると思うから着いてきて!

ここから出ていいのか、私が出て行くことでエレンは怒られやしないか。でも、期待の方が大きかった私は頷いていた。



エレンの後ろを歩きながら、周囲を観察する。石造りに木枠の窓、証明は蝋燭などが、主だったものだろうか。
電気という概念自体がないのか、巨人のせいで失われて久しいのか。私はつらつらと考えを巡らせながら歩いていた。その所為かエレンが立ち止まったことに気付かず、彼の背中に鼻を打ち付けるという間抜けを晒すことになってしまった。

「っ!!」

何やらエレンの背中には硬いものが装着されており、意外なほど鼻は痛かった。
声にならない声をあげて鼻を押さえてエレンを見やれば、彼は直立不動で手握り心臓に当てている。
そして、その向こう側に酷い怒気を孕んだ気配がある。どうやらエレンの背より低いがために、私からは見えていなかったらしい。
そろり、と気配のする方へ顔を覗かせる。瞬間、私は手で顔を覆って天を仰いだ。殺人犯だって裸足で逃げ出す形相だ。目付きが悪いにも程がある。
そんな、鬼のような形相の男が口を開いた。残念ながら私にはエレンという名前しか聞き取れなかった。
文字の読み方自体も相対表と照らし合わせ、意味が通じるまで試行錯誤をしてこの文字は恐らくこれと同じ、なんて具合に覚えた。故に音は読んでもらわないとわからないし、文法なんてちんぷんかんぷんだ。
ともあれ、エレンに対して何やら怒っているのは確かで、この場合原因なんてものは私以外無いだろう。

『おい、エレンてめぇ…誰の許可を得てそいつを外に出した…』

エレンがびくりと強張った。
さてどうしたものか。紙とペンなんてこの場には持ってきていない。
この場の雰囲気を考えるとどうにも間抜けにしか思えなかったが仕方ない。

トントン。

エレンをつついて意識を向けさせる。そのまま背中につつーっと文字を書く。初めはぽかんとしていたが、意図が通じたらしく頷いて音にしてくれた。

ー私が、あなた達に会わせて欲しいと頼んだから…

今度は鬼のような形相の男がぽかんとする番だった。
背ではなく差し出された掌にスラスラと文字らしきものを書いてはそれを読み取ってエレンが言葉にする。
あれ程方法を模索していた意思の疎通が今、目の前で行われている。

『…ほぉ、面白い。エレンよ、命拾いしたな』

たはは、と苦笑いをするエレンを見上げ、どうやら事なきを得たのだろうと勝手に判断した。



重厚な扉の向こう側。張り詰めた空気が肌を刺す。
どうやら、団長室にいるよとは、学校で言えば校長室、私にとっては社長室に等しいらしい。
エレンの隣で、極めて嫌そうに眉間に皺を寄せていたら、鬼の兵長が何やらゲンドウポーズで威圧感たっぷりの男へと発言している。

『そうか、彼女は字は読めたのか…』
『らしいな、エレンと確かに意思疎通しているのをこの目で見ている』

エレンという少年は本当に優しい気性らしい。何とか私にも分かるようにと私の手をとって字を綴ってくれている。
実際有難い。理解不能だった世界のほんの一端でも理解できるような気がして…。
しかし、実はつい何時間か前に無理矢理文字だけ当てはめて読んでますとは言えない。
自分のものにしきった訳ではない言語は逐一私は日本語に当てはめて思考しなければならなかったりする。お陰で、レスポンスは一泊以上おかなければ難しい。
慣れる迄使い続ければやがてはすんなりと意味も飲み込めるのかもしれないが。
ともあれ、私にとって居心地の悪いこの状態には辟易している。で、冒頭に戻るわけである。
当人である私は蚊帳の外状態のまま何やら彼等は相談を続けている。
エレンも間に合わなくなってきたのかアワアワとし始める。速記が出来なければ会話をその場で文字に起こすなんて難しいに決まっている。
はあ、と溜息を一つ。面倒臭くなってきた私はツンツンとエレンをつついて一旦、通訳を止めて貰う。そのまま彼の手を取ってサラサラと文字を綴る。

ーごめん、こんな面倒なことになるとは思ってなかった

ふるふると間髪入れずに首をふってくれる辺り、本当に優しい子だ。
こんな、残酷な世界で彼は壊れないでいられるのが不思議な位に。

ー段々面倒臭くなってきたんだけど、彼等の話は長いの?

そんな彼に苦笑して問えば、瞬間部屋が静まり返る。

『…わら、った』

それまでニヤニヤとしたまま口を開かなかった女、多分ハンジがポツリと何かを言った。
エレンが、掌に文字を綴る。

ーハンジさんが、レイが笑ったって…

意味を理解するのに数秒かかった。
そうか、そうだ。私は彼らの前で殆ど表情筋を動かした事が無いのだ。
あー、なるほどなぁなんて悠長に構えていたらハンジに詰め寄られて、凄い勢いで手を握るものだから驚いてまた眉間に皺が寄った。
そのまま、エレンがしているように文字を綴ってくる。

ー私はハンジね、で、あの凶悪面がリヴァイ、威圧感半端無いのがエルヴィンね!

ハンジへ頷くことで理解したことを伝える。
元より、この三人については確証が持てなかっただけで名前は認識していたとは今更ながら言うような事でもないか。
不意にエレンの方へ視線を戻して空いているてで文字を綴る素振りをすれば、彼は自身の手を差し出してくれる。

ー音にして欲しい。字は分かっても音は分からないから、発音が出来ない

そう綴ってから、す、とエルヴィンを示せばエレンは何やら聞きなれない単語をつけてはいたけれど発音してくれる。
恐らくは敬称か何かだろう。
そのまま聞き取れた名前の部分だけ発声する。

「エルヴィン?」

どうやら合っていたのだろう、エレンとエルヴィンが反応する。
目つきの悪い男を指さそうとした時だった。
酷く重い音が響いて、窓硝子が破砕して吹っ飛んだ。
爆撃かと思える程の轟音。
身体は意思を置いてきぼりにして動いていた。

側にいたエレンを突き飛ばし、ハンジを蹴り飛ばす。
私は咄嗟に上へと飛んでソレを避けた。
ソレは、人間の頭部だった。
絶望すら感じる間もない程の殺戮だったのだろうか。
彼か彼女かすら判別が難しいその頭部は、射出された弾丸のように飛来した。
それが意味するものを、私は知らないでは済まされないことを既に感じ取っていた。

だからこそ、私はその名を呼んだ。
私にあの時迷わず刃を渡したのは彼だったから…。

「リヴァイ…」

真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに彼の双眸を見る。
彼は驚きもせず、何かを決めかねるように思考するのだった。



生きていたい、死にたくない。
今の私はその想いだけが、全てなのだ…




心が砕けても、構わない。
(何度だって、立ち上がる)


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掌。



多くの皺が刻まれたそれは、生きた証で。
多くの血を吸ったそれは、人殺しの証だ。





乾き気味の目を何度か瞬いて、レノは最近発売されたアクションゲームの画面へと視線を戻す。
室内だというのにわざわざヘッドホンを携帯ゲーム機へと接続してプレイするのには大きな理由と原因とがあった。
レノは確かに一番落ち着く自室にいる。居るのだが、其処にレノ以外の人間が居座って、飽きずにレノを観察しているとなれば、耳も塞ぎたくなるというものだ。

もうすぐシナリオクリアだ、そう思った時だった。先程から突き刺さっていた視線の質が変容した。
ぞわり、と全身が総毛立ち冷や汗が滲んだ。
レノはシナリオクリアを諦めてそっと画面から視線をあげて、鋭い双眸を恐る恐る見る。
この日、初めてまともに見たかもしれないその双眸はどこからどう見ても不機嫌で、その癖口元はニヤリとした笑みに歪んでいる。
ああ、と、内心でレノは嘆息する。
これは間違いなくもっと早い段階でゲームを諦めるべきだったのだ。ゲーム命なレノにとってはかなり辛い選択ではあるが、この後の事を考えるとゲームよりはやはり自分の身の方が可愛いのである。

さて、どうしたものか。レノは途方に暮れる。選択肢を間違えれば、明日に響くだろう。けれど、逃避なんてしてみろ、命知らずもいいところだ。
この男は、絶対に逃がすつもりなんてない癖に面白がって鬼ごっこする。そし最終的にはレノの完敗で幕引きになる決まっている。

「…ディルせんせー?」

兎にも角にも、声をかけてみた。
この、完全に堅気に見えない大男の名はディル。なんと、レノの通う高校の教師で、生物を担当している。
空色の髪の毛には前髪と後ろ髪に一房真紅の髪が混じるが、染めてもいない地毛で其れなのだから本当に何者なんだか、とレノは返答もせずにレノを観察し続ける男をぼんやりと眺める。

「…レノ」

低く、少し掠れた声は酷く雄を感じさせる。ポツリとレノの名を呼んだディルは、再び纏う空気を一変させる。
今度は何処か、寂しげな。いや、とレノはその思考を振り払う。
この男が寂しいだなんて、馬鹿な、と。

「お前、俺の手をどう思う?」

唐突に投げられた質問。
男らしい声が何処と無く翳りを含んでいたのは、何故か。駄目だ、それ以上は考えるな。危険だ。短く息を吐いてレノは思考を、切り替える。
駆け引きに長けた自分へとシフトする。
下手を打てば喰われる相手だ。

「せんせ、の…手?」

しかし、情報が圧倒的に足りていない。彼が言わんとして、求めるものが見えてこない。
レノより一回りは大きくて、皺も深い大人の手。だが、この捻くれた大人はそんな在り来たりな答えなんて望んでいないし、だからそんな答えで満足するはずもない。

「そうだ、この手だ…」

差し出された手。
少しひんやりとした低体温の手。
その掌にはやはり自分より多く、深い皺が刻まれている。
この手は…。
そこまで思考して、ふと思いついた答えは酷く単純で、そして残酷な答えだった。
レノはそれを口に出そうとして、口を開いた。けれど、言葉は零れないまま閉ざされた。
もともとまともな人間関係を構築してこなかったレノだ。何時もなら理論的な発言を選ぶ。人の感情なんてものは其処に殆ど含まれない。何故なら、彼には他者の感情や痛みを理解し得る程の関係性が無かったからだ。
逆説的に言えば、彼は敢えてそう言った関係性を構築しなかった。
そんな彼が、初めて感覚的に言葉を呑み込んだのだ。
理性に感情が勝ったとも言える。

「…レノ?」

目を見開いたまま呆然としてしまったレノに今度はディルが訝しげに声を掛けた。
ビクリ、と身体を揺らすもやはり彼は答えない。まるで答えを出すことに怯えているように。
ディルもまた、レノの答えを待つことにしたのか、沈黙したまま身動ぎもせずにレノを見つめる。

レノは混乱の境地に居た。
何時もなら、こんな事にはならない。なる訳がない。必要なものは適度な距離を置いた関係性だけで、後はゲームがあればそれで良かった。良かったのだ。
なのに、いつの間にこうなっていた。
いつから?どうして?
ぐるぐる、ぐるぐる疑問と不安とが、巡り、廻って気付けばレノの目からは塩辛いだろう水分が流れて。それを見たディルが初めてニヤニヤ笑いを引っ込めた。
珍しくディルが目を見開いた。
この男、いついかなる時も動じない。寧ろレノが慌てたり、おこったり、拗ねたりするのを笑う程だ。
なのに、たかが泣いたってだけで、どうしてこの男がこんな情けない顔をするのだろう。
ヤメろ、ダメだ。これ以上は考えるな。
理性が警鐘を鳴らしている。レッドシグナルだ。踏み込まれても、踏み込んでも、ダメだ。
なのに、どうして逃げようとしないのだろう、とレノはその答えに手を伸ばしかけてまた遠ざけた。

目の前の男が、何時もなら追い討ちとばかりにからかうだろうに、沈黙して、そっと視線さえも外すから。
レノは酷い焦燥に襲われるのだ。

「…ああ、くそっ」

思いの外、情けなくて、震えた声で悪態をつく。
これが、狙いだ。
漸く、ディルの本心が見えた。見えたと同時に塞がれていた逃げ道にレノはこの男には一生勝てる気がしないと思う。

「…俺は、せんせの手、嫌いじゃない」

ぐしぐしと乱暴に涙を拭って、ぶっきらぼうに答えを出した。
素直には言えないから、せめてもの妥協点で。

「…殺して、護って、でも、嫌いじゃない」

端的に単語を繋いだ。
それだけで、この聡明すぎる男には十分過ぎるだろう。

「そうだ、この手は人殺しの手だ。それでも、お前は嫌いじゃないんだろ?」

一体いつ外したのか、口元を隠している口布を引き下げながら、ベッドの縁に腰掛けていたレノの両脇に腕をつきながら、そっとベッドに押し倒していつも通りに笑う大人。
口元には鮫のような鋭くギザギザな歯が見え隠れする。

「…そうだよ、嫌いじゃないから、部屋にも入れてんだろ!」

見下ろされながらも核心の言葉を言えないのは、羞恥心と道徳心なのだろうか。それともなけなしの矜恃からくる意地か。

「…そうだな、で?…レノ、もう解ってるだろう?」

レノの首元に顔を埋めるようにしてディルは耳朶に答えを求めて質問の形にすらなっちゃいない確信の言葉を吹き込む。その声に、耳朶に吹き込まれた吐息にビクリとして、レノはもにょもにょと呟きを零す。

「聞こえんな?」

ニヤニヤと笑っているだろう顔を見ないように逆向きに顔を背けて、レノは半ばヤケクソに言い放った。

「…どんな手だろうが、アンタの手だったら関係無いんだよ!…俺、多分、アンタのことっ!?」

最後の言葉は言わせてもらえなかった。
逃がさないとでも言うようにきつく抱き締められて、挙句首筋にあろうことか、その人間離れした歯を突き立てたのだ。

ガブリ…

歯形どころか血すら出そうな一撃に引っ込んでいた筈の涙が滲む。痛過ぎる。

「…捕まえたぞ、少年。さあ、次はどうやって楽しませてくれる?」

くつくつと喉奥で笑いながらディルは愛しげに目を細めて、やはり滲んだのだろう首筋の赤を舐めとった。

それはまるで、獲物を狙う猛禽類や爬虫類のようで。その双眸には狂気が滲んでいた。

「まあ、二度と逃がしてやるつもりは無いが…精々足掻けよ、少年」

その目に体の芯が震えて、体の中の何処かを鷲掴まれた気がした。
それでも、必死に虚勢を張ってレノはその目を睨み返して言い返す。

「…る、るせー!!逃げてやる!俺は平穏に暮らしたいんだよ!!!」

余裕たっぷりにディルはにぃ、と笑って、やってみろ。なんて言うのだ。

それでも、自覚してしまった感情と、捕まった何かがある限り、レノは逃げられやしないのだ。この、悪い大人から。



掌の上で踊るのは
(好きだ、なんて言わせてやるものか…)
(それは、俺に狂ってから言わせてやる)


→後書き
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負け犬ヴェンデッタ



ぜーんぶ投げ出して。
そうやって逃げ出せれば、良かった?

知るか、馬鹿。



問われた言葉に、脳内で答える。
無表情に、無言で私は早く終わらないかな、なんてまるで他人事のように眺めていた。
痛みは既に麻痺してて、身体の何処を見ても笑えるくらいに怪我だらけ。
現在進行形で怪我は増えて行ってる。

薄暗い此処は多分地下牢かなんかで、目の前のイケメン眼鏡は多分、いつか読んだ漫画の登場人物で、この世界は箱庭の中で。
そんなところに、突然現れた見慣れ無い格好の私は不審者以外の何物でも無くて。
当然捕まるし、当然聞かれてる意味なんてわかりゃし無い。
字は読めないし、聞き取れる単語もごく僅か。
敵だと認識されるまでに、半日も要らなかった。
敵もくそも、私は壁を破壊できる程デカくはなれ無いんだけど。まあ、伝える術がない。理解させる根気も既に失われた。
あ、最後の爪が無くなった。

「声もあげないなんてすっごいね〜」

ケラケラと笑うも、目が笑っちゃいない。
でも、好奇心は一杯ってなんてマッドな奴。まあ、そういうキャラだったか。

不意に二つ分の視線を感じて、目の前の存在から目を逸らす。
瞬間、鳩尾を蹴り上げられた。
げぶ、もう胃液もでやしない。どうにも拷問中に気を散じることを目の前の存在は許し難いらしい。
ゲホゴホと噎せながら視線を戻せば、ああ、ほら機嫌も戻った。

「もー、ちゃんと反応返してくれないとねー?」

反応も糞も無いんだけどね。
回復する事も無きゃ、巨人化もできゃしないって結論はもう随分と前に出たろうにな。
視線は気配を伴って、私の牢の前で止まる。

「…ハンジ、何故まだ彼女に対しての拷問を続けている?」

何を言っているのか、わかりゃし無い。
けど、何と無く咎める様な視線が目の前の存在を窘めた事は分かった。
目の前の存在は肩を竦めて、一言何かを言い返す。

「んー、わかってる癖に〜」

会話は聞き取ろうとももはや思ってない。
そんな中で、背が低い男が私の目の前に立った時だった。
ズン、と言う重々しい音。
もはやそれは轟音に近かったけれど。

天井が崩れ、壁が倒れ、目の前にいたはずの三人は腰に付けた装置で安全圏へと退避していた。
目の前にはでかい口、でかい目。
で、私の腕には鎖、足には錘。
どうやら、処刑法はこの世界では有り触れた、私にとってはとんでも無くあり得無いものになったようだ。

さて、目の前の巨人は荒い息を吐き掛けてくる。私以外には興味がないようで。
ずーっと見ていた。
観察していた。
何の感情も乗せ無いまま。無色透明の視線は、巨人を捉えている。

「動かないねー」

間の抜けた声。
言葉はわから無い。声は判別できる。
拷問をしていた彼女だろう。
ともあれ、此処で死ぬのか、こんなところで。何もせず、何も出来ず、何も成せず、何物にもなれ無いまま。
約束を破り、生きる事を放棄して。
ああ、足掻けば良かったのか。それとも、このまま恐怖と共に訪れる死を享受するか。

「…そんなん、もう、どうだっていいや」

それじゃあ、一つ、賭けに出ようか。
魂を、賭けよう。
ふふ、好きだった漫画の台詞を一つ落として、さあさ、皆様準備はいいか。

ああああああっ

間延びした雄叫びと共に遂に巨人は私に向かって口を開けて迫ってくる。

ばづんっ

凄まじい音がした。
断ち切られる音にしては何処か固そうな音が、した。

何をやったのか、上から見ていた三人は理解して驚愕した。
まるで巨人を受け入れるかのように鎖で繋がれた左右の腕を広げて、巨人へと差し出す。
巨人が狙いを付け、その口を閉ざそうとした刹那、彼女はふわりと後ろへ倒れこむようにその歯列を避けた。
鎖は慣性に従って巨人の口へ。

食い千切られた鎖。

やれやれ、と私は再び私へと狙いを付けた巨人を見る。
知性も、理性も、本能も、何処か足りてい無い気がする。
哀れと言えば哀れだけれど。

「死んでやるわけにもいかないから…」

そこ迄言って、私は駆け出す。
ボロボロの身体で走る。
ぐちゃぐちゃの地下牢を駆け抜けて行く。
無論、巨人も壁を薙ぎ払いながら追いかけてくる。

やがて、目当ての場所へ辿り着いた。
視界の端には安全圏で悠々と私を見つめる三対の瞳。
助ける気なんてありゃしねぇんだろう。
それで、いい。それが、いい。

「さあ、おいで…もう一勝負しようじゃあ無いか…」

静かに、告げて、私は巨人をじっと見つめる。
ああ、素直な子だ。
ガラガラと瓦礫を作りながら私へ一直線にやってくる。
ああ、愚かな子だ。
その直線は、お前にとっては命取りなのだから。

ガラガラ、ガラリ。

音が途切れ、異様な振動が始まる。

「それでもね、死んでやる事は出来ないんだ…だから…」

振動が大きく強くなる。
当たり前だ私を追って散々この巨人はこの城を支えて居た要の石壁を悉く、尽く、破壊したのだから。
ぐらりと傾き始める。

巨人のいる、彼方と此方。
何が違うかなんて、見ればわかるだろ。
此処は、此処だけは崩れない。
此処は、この城で唯一独立して作られて居たから。
だから、此方と彼方は分かたれる。

「だからっ…」

ずり、ずり、めき、めしっ

巨人が奈落へと落ち始める。
地下牢の格子窓の向こう側は、皮肉にも獄中死した者の為の墓場。

落ち始めた巨人は必死に私へと腕を伸ばす。崩落が始まった彼方側。
潰されれば、動けなくなるだろう。

ああ、哀れな子だ。
瞳に映った私は、なんて、邪悪だろう。

「堕ちて行け、苦しみながら。この地下牢を怨嗟を引き摺って。堕ちて行け…」

ああ、なんて綺麗な子だろう。
最後迄、最後の最後迄、私しか見なかった。
彼女が、私の隣の牢にいた少女に似ているだなんて、ああ、知っていた。

語る。語って逝く。
目が語る。

「…分かった」

轟音、砂埃。
散った赤に混じる無色。

三人は信じられなかった。
無気力な、無色透明な、罪人が、巨人を駆逐する。だなんて。
ハンジが声をあげようとして、失敗した。
崩れ落ちた城跡へ躊躇いも無く私が飛び降りたから。
そして、その先には死に損なった巨人。
手枷、足枷を引き摺りながら、私は駆ける。

ガラリ、ガラリ

巨人はまだ、生きているのに、私が走って行くから、エルヴィンが叫んだ。

ああ、本当は、名前位なら聞き取れてた。
だから、私は行かなきゃあ、ならない。

下半身は完全に押し潰されて、腰からずるりと千切れている。
ドロドロの赤が辺りを焼く中で、私は走る。

ああ、やっぱり強い子だ。

「おおいえ、お、え、あ、い…」

ああ、この世界で出会ったたった一人の友人よ。

「私は死んでやる訳には、いかない。だから、………」

彼女にだけ聞こえるように、そっと告げてやれば、彼女はやっと目を閉じて、力を抜いたから。

「寄越せ…」

振り返りもせずに突き出した手に握らされる重み。
歩み寄り、抵抗の無い巨人の項を、削ぎ落とした。

「聞き、届けたり…」

ぽつり、零して、私は渡された替刃をその辺に突き立てて、座り込む。

熱風が吹き荒び、哀れな巨人は崩れ去った。文字通り、跡形も、無く。
握りの部分、柄の部分が無いままあらん限りの力で刃を振るった両手は無残に抉れて、血が滴る。
その熱さと苦痛が、私の正気と意識を繋ぎ止めていた。

「見事なものだな…」

背後で三人のうち、恐らく一番背の高い男、エルヴィンが何かを呟いた。
聞き取れない言葉に、理解の及ばない価値観と、世界観。
努力を怠った、言われればそうかもしれない。
分からない、足掻いた。
けれど、伝わらず、誤解され、憂き目に合って諦めた。
諦めなければ、また違う結果だったのでは無いだろうか。
ああ、くそ。知らねぇよ。
無い物ねだりしてるだけだ。
どう足掻いても言葉が通じなければどうしようもなかった。
名前だけでも聞き取れるようになるのだってかなり掛かったのだ。

「あちゃー、実は即戦力だったりしたのかなー…」

拷問していた女、ハンジが何かを言った。
分かりゃ、しない。
飽く迄、音としての認識でしかない。

ぐい、腕を引かれて無理矢理に立たされた。
何処もかしこもボロボロなのだから、あまり乱暴にしないで欲しいものだ。
痛みは既に麻痺して熱源として感覚が誤認して居るけれど、うっかり肩でも外れればはめるのだって痛いのだ。
再び無色透明に戻っているだろう死んだ目で、腕を掴む小柄な男性を見る。
確か彼はハンジに、リヴァイと何時だったか呼ばれていた気がする。

「…何故、巨人の弱点を知っていた」

その問いに、明らかに空気が凍り、エルヴィンとハンジの双眸に疑惑の光が浮かんだ。
けれど、何を言われているのか私にはわかっていない。
答える術を持たない私に、彼は、彼等はなんて高度なものを求めるのか。
雰囲気で質問されているのは感じ取れる。だが、それだけだ。
内容は知る由もない。理解出来るものでも無い。

「答えろ…」

だから、どうやって、だ。
知ったこっちゃない。分からないんだ。
なんて言ってるんだ。アンタは、アンタ達は何を聞きたいんだ。

「だったら名前位は教えろ…」

無色透明に諦めを滲ませて、私の知る言語で答えてやった。

「何て言ってるのか、わからない。理解出来ない。答えられない」

今度は相手がポカンとしている。
ああ、やっぱりダメか。
何度も試した言葉を飲み込んで、再び黙った。

「やはり、か…彼女には我々の言葉が通じていないその逆も然り、だろう。我々は彼女の言葉を理解出来ていない…」

エルヴィンが苦い顔で何かを言った。
やっぱり分からないから、私は面倒になって、掴まれた腕を振り払って歩き出した。
巨人が居たあたり。
もしかしたら、なんて淡い希望があった訳じゃあ無い。
単に、形見の一つでもあれば、墓を作ろうと思っただけだ。
奇しくも此処は罪人の墓場だから。

そんな希望を打ち砕くには充分なほど、辺りは真っ黒こげで。
ああ、やっぱり彼女は永遠に失われたのだろう。
ああ、暑い、熱い。
そう言えば裸足だった。

「何処へ行くつもりだ…」

わから、ない。
わから、ないよ。

逃げたい、逃げたい。
帰り、たい。

再び腕を掴まれた時、ようやっと私に感情らしい感情が戻ってきた。
今迄の溜まりに溜まった全てを吐き出す様に、唯一の友人の死を悼む様に。そして、命を奪った罪悪感と恐怖に、喚く様に泣いた。
叫んで喚いて、狂乱したように、泣き叫んだ。
子供の様に。迷子になった子供の、様に。泣くしか出来なかった。
怖い、辛い、苦しい、痛い、寂しい。
全部、全部。誰にも言えず、理解されず。
独りで、抱えて。
命を、賭けた。

わんわんと泣き続ける私に、三人は何も言えないまま黙りこくる。

やがて私は泣きつかれて、泣いたまま意識を失った、のだろう。
記憶が途切れているから。




屠り合う、盟友。
(赦さないで。だから、私は生きていく)



+

鬼ごっこ。拾壱




叶わない夢を願うなら。
覚めない夢を見ようか。






誰も、何も言わない。
言えないのだろう。
仕方のないことだ。
早々簡単に答えの出せる問題じゃない。
逆説的に言えば、私はいとも簡単に答えを出せる。
逃げているだけなんだ。

「話はこれでおしまい。私は帰るよ」

これ以上、この空気に耐えられなくて、私はベンチから腰をあげる。
議論がしたいわけでもないのだ。
寧ろ、赤司と黒子との出会いを含めた、私が他人と関わりたがらない理由をつらつらと語っただけなのだし。

言えないことも、言いたくないことも、全部が全部私と言う存在が上書きされなければ生まれなかっただろうに。

私は、最後まで、苦い笑みを浮かべたまま、一度も振り返ることもなく、明日へと足早に逃げ出したんだ。
そんな、私に失望して、アイツ等が私から離れてしまえばいいとさえ、思っていたんだ。
胸の奥の、疼く痛みには気づかない振りをして。



翌朝、鏡の前で私は呻いていた。
腫れた両目はまともに開かない。
身体のダルさはピークに達していて、もはや体調不良もここまで来れば、笑いたくなるくらいだ。

原因は分かりきっているから、溜め息しかでない。
まさか、未だにこんなに痛むなんて、思ってもいなかった。
もっと、強くなったつもりで居たんだ。
中身は、だって、20云年生きた記憶すら持っているのに。
辛いことも、苦しいこともそれなりに経験してるのに。
まるで、役に立ちゃしない。

はあ、ともう一つ大きな溜め息を吐き出して、机の上に放ってあった携帯を手に取る。
連絡は早いうちに入れてしまった方が気が楽だ。
今日は1日、ゆっくりと休んで、体調を整えなくちゃ。
丁度良い、気持ちの整理もつけてしまおう。
そして、次会う時には、ちゃんと仮面が剥がれないようにしよう。

奇しくも、今日は金曜日だ。
なら、後、二日は猶予がある。

ボーッとする頭でつらつらと考えながら、携帯のコール音を聞く。
ちょうど、7コール目で学校と繋がった。
疑いようのないしゃがれた声で現状を伝えれば、電話応対してくれた教師からも、お大事にと心配そうな声を掛けて貰って、スミマセンと、私は電話を切った。

ポンと携帯をベッドへと放り投げて、私もベッドへとダイブする。
薬を飲まなきゃ、なんて、理性が言い出す。
けれど、一度横にした身体はいとも簡単にそんな正論を撒き散らす理性を超越して、私の意識は一気に沈んでいく。
それは、まさしく、現実からの逃避だったのだろう。



あふ、欠伸を一つ。
さて、何時だろう、と枕元に放置していた携帯の表示を見る。
瞬間、私の目は見開かれる。
なんだこれ、それは私の本心。
理解不能な桁の着信を知らせるマーカー。
登録されていないせいで、着信履歴を開いても、同じ携帯番号が羅列されているだけ。

この携帯の番号を知っているのは、せいぜい、片手で足りるほどの人数しかいない。
その人達は皆、登録してある。
なら、これは、一体誰からだ。
訝しげに携帯をいじっていた。
まさかまた、その番号から見計らった様に電話が来るなんて、誰が予想する?

私の手の中で震える携帯は確かに着信を伝えている。
何の、気紛れだったんだろう。
何時もなら、出ない。
なのに、その時の私はあっさりとその電話を取ったんだ。

「はい」
――ああ、やっと出たね

落ち着き払った声は、聞き覚えのあるもので。
この番号が一体誰のものであるかを、知った。

「あ、かし…?」

ぽかん。
たっぷり数秒はフリーズした。
くらくらする頭で、何とか絞り出せたのは、彼の名前だけ。
その、常じゃ見られない私の間抜けな応対に、電話越しに笑いを堪えるのが伝わってくる。

――へぇ、君でも焦るんだね

おい、私を何だと思ってるんだ。
まぁ、年相応に見えないのは重々承知してるんだけど。

「教えてない奴から急にストーカーもビビるくらいの着信が入れば、流石に焦るよ」

放心から立ち直って、理性は冷静さを取り戻したらしい。
何とか、動揺し続けてる内心を覆い隠して、会話は、出来る。

それでも、ダルさを増していく身体は、私の理性を段々と、侵食し始めて。
ああ、どうやら、本格的に熱が出始めた。
泣きっ面に蜂とは、まさに。

――何故、来なかった?

率直すぎて笑いもするよ。
回りくどい言い方の彼を想像できないから、これはこれで在るべき姿かもしれないけど。

「…体調が悪いから」

あ、そう言えば声は治ってる。
まあ、声は泣き喚いたせいだから、寝ればそりゃ治る。
ただ、この発熱は箍が外れて、感情が溢れて、途切れて、不意を突いて表に出てきたストレスだから、まあ、しっかり休めてやらないと身体はボイコットを続けるんだろう。

――それだけか?

探るようでいて、これは確信を持っているときの言い方だろ。
なんて、頭の片隅で溜め息をつきながら、間髪入れずに答える。
間が空けば、攻め込まれる。

「熱が下がらないから、大事をとっただけ」

何の事は無い、と言っても、多分この男は引き下がってなんてくれやしない。
何時もなら逃げる為の良い訳でも考えてみるのだけど、働かない頭は役に立つわけ無い。
もう、後は電話を切るしかない。
それこそ、週明けに何を言われるか、考えただけでも辛いけど、背に腹は変えられない。

――…そう、じゃあ丁度良い。開けろ
「は?」

間抜けな声のすぐ後で、間抜けな音が来客を告げた。

「嘘、でしょ?!」

扉一枚隔てて、其処に居るらしい男が、心底魔王に思えた瞬間かも、知れない。






覚めない夢は無いから、
人は夢を見られるんだってこと。

(ほら、次はどう逃げるんだい?)



To be continued?
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鬼ごっこ。拾




懺悔のような告白を。
告発のような告白を。

始めようか。






あれは、一年半くらい前のこと。
私は、兄貴分のウィリアムと日本に来ていたんだ。
私は初めての日本で、ウィルに着いて回ってた。
あの頃、唯一の理解者で、たった一人の味方だったから。
何をするにしても、真似ばっかしてた。
その一つが、バスケだった。
でも、とある理由があって、私はスクールのチームには入れなかった。
だから、ストバスを始めたんだ。

バスケをしていた。
そう、言った瞬間、赤司と黒子を除いた奴等の目付きが変わる。
けれど、今は気にしている場合じゃない。
話はこれからなのだから。

ウィルの教え方が上手いこともあって、私はそこそこ見れるくらいにはなってたんだと思う。
まあ、自分じゃまだまだだと思ってたから周囲の評価を信じてなかったし、今でも信じてないから、分からないけどね。

そんな折りに、ウィルに声が掛かったんだ。
アメリカのストバスブランド、And1から。
And1は魅せるバスケを生業にしてる。
アメリカを、回って興行もするし、その年は日本遠征も決まってた。
ストバスの良さをもっと多くの人に知ってもらって、盛り上げていこうって風潮だったから。

だから、私達は日本に居たんだ。
ウィルの気遣いで私もAnd1のサポートメンバーとして参加できたんだ。

「…お前、本当はバスケ好きなんだな」

唐突に青峰が呟いた。
静寂の中では酷くはっきりと聞こえてしまって、私は微苦笑を返すしか出来ない。

まあ、練習風景とかは割愛するよ。
興味があるなら、映像で撮ってあるからまた今度ね。
ははは、と苦笑する。
その時ばかりは皆、年相応に少年の表情に戻っていたから。

さて、話を戻そうか。
言えば、皆再び真面目な顔に戻ってしまう。
こんな顔をさせたい訳じゃない。
元々、こんな展開は本意じゃないのだから。
でも、今は彼等の望む通りにするしかない。

前置きは終わりだよ。
此処からが、本題。
私は当日、ほんの少しだけお客さんの前でパフォーマンスすることになってた。
光栄に思ってたし、凄く興奮した。
多分、其処で会ったんだろうね。
赤司と、黒子に。
私は、あの頃女であること自体がコンプレックスで。
多分男装してたんじゃないかな。

「そう、あの時はまさか女だとは思わなかった」
「僕もです。同い年の男の子だと思ってました」

赤司と黒子も肯定する。
つまり、やはりあの時の二人が今目の前に居るってことになる。

「今は骨格自体が違うし、まぁ、小振りだけど胸もあるからね」

苦笑混じりにそう返して、続きを語る。

私が出たのは二つ。
観客参加型の、ストバストーナメント。
アリーナでの試合の合間のフリースタイル。
ストバストーナメントは、年齢云々は関係なかったからね。
勝ち上がれば、アリーナでのゲームに参加できるって代物だった。
私は実力的にそこまででもなかったからね。
要は賑やかしってこと。

「あれだけできて、そんなことを言われると少し、ショックです」

隣で黒子が、言いながら口許を尖らせる。
私にとっては偽らざる真実だから何とも言えないけれど。

ちっさいのが、勝ち進めばそれなりに場も盛り上がる。
私も、好きなことを力一杯出来るんだから、とても楽しかった。
自分よりも大きい相手を抜き去るのなんて、本当に楽しかった。
でもさまさかそれが仇になるとは思わなかった。
準決勝で私は負けたんだ。
それでも、凄く満足してた。
充実感も、達成感もあった。
ウィルに教わった全てを出せたように思えたから。
あの、瞬間、コートの全てを把握できたような感覚。
ボールが思い通りに動く感覚。
説明出来ない感覚が身体を動かしてた。

早く、ウィルに話して、ウィルと練習したかった。
私は観客への挨拶もそこそこに、裏方に戻って、仕事をしながらウィルを探してたんだ。
そこで、私は聞きたくもない声を聞いたんだ。

漸く、ウィルを見付けて、駆け寄ろうとしたんだ。
瞬間的にウィルが目で制して私は立ち止まった。
私は小さかったから、ウィルの向こう側に居た人を見ることは出来なかった。
出来なかったけど、その声には聞き覚えがあった。
ウィルはその声の主と口論してたんだ。

そう、その声は間違いなく、私の父親だった。
あの頃、私は理解のない両親が何より嫌いだった。
だから、書き置きを残して、かってに日本に来てたんだ。
だから、直ぐに分かった。
父は私を連れ戻しに来たんだ、って。

でも、私は帰りたくなんかなかったし、両親といるくらいなら、ウィルと一緒に居たかったんだ。
だから、きっと余計に、だろうね。
父が放った言葉に酷く傷付いて、そして、酷く憤ったのは。

「何を、言われたの?」

桃井が酷く落ち着かない様子で、それでも尋ねて。
私は笑みを苦くして、答える代わりに続きを語る。

父は、ウィルに私にとっての禁句を言い放ったんだ。

「人の娘をたぶらかさないで貰いたい。バスケなんかやったところで、どうせ長続きなんかしないんだろう?ましてや、黎は女の子だ、今に現実が立ちはだかるだろう」

ってね。
女だから、できやしない。女だから無理だ、なんて、一体どうして決まってるんだろうね。
あの時の私は、その現実と戦えるほど強くなんかなくて、かといって諦めてしまえるほど大人なんかじゃなかった。
だからね、言っちゃいけない一言を、怒りに任せて、言ってしまったんだ。
決して言っちゃいけない、ってあんなにウィルに言われたのに。分かってたのに。
言えば、どうなってしまうのか。

その時にね、私は酷い罪を犯して、今はただ、ただ、その贖罪を、償いをしてるって訳だね。
だから、私はもう二度と、同じ過ちを犯さないために誓ったんだよ。

もう、二度と、言わない、って。
その為になら払える犠牲は幾らでも払う。
それが、幸せになることなら、私は不幸でいいよ。
それが、誰かに踏み込ませないということなら、私は孤独で良いよ。

だから、アンタ等の優しさも、嬉しいんだろうけど、もう、私には受け取れるものじゃない。
卑屈になってるわけでもなくて、意地になっているのでもないんだよ。
一度放ってしまえば、きっと際限なく、全てが引きずり出されるだろうから。
そうなれば、また、繰り返されるだけだもの。

だから、私は忘れることにした。
バスケのことも。
ウィルとの、大切な時間も。

だから、一定の年齢になって、一人でも何とでも出来るようになったから、私は日本で暮らすことにしたの。
きっと、私が傍にいれば、ウィルと両親はより、険悪になる。
そして、両親は精神を病むだろうから。

私は居場所を作ることをやめた。
ただそれだけ、それだけなんだよ。

停止ボタンを押すように、私は嘘のように押し黙る。
からから、からから、回る音。
ああ、今になってもまだ、あの時のことを思い出すだけで、こんなに、こんなに、私は不安定になる。
閉じ籠っていれれば安定もするのにね。

けれど、彼等は酷く険しい顔をしたまま思案を続ける。
きっと、静寂はまだ、続くんだろう。
そして、きっと、この静寂を破るのは、彼だ。

その前に、私が逃げ出してしまいそうだけど、きっと捕まるんだろう。
逃がすつもりのない彼等から逃げようと思えば、私は忘れるために封印してきた物の一つを解放しなくちゃならない。
そんなの、今の精神状態に追い討ちをかけるだけ。

分かってる。
今は、覚悟して、耐えるしかないんだから。
でもね、知っている?

私だって、人間なんだよ…






独白。
毒、吐く。

白昼夢のような陽炎に
私の精神の針は、今にも振れる

触れて、仕舞う…

(ああ、警報が、鳴り響いて)



To be continued?
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