▼不穏な吉光姉妹


保冷剤を拝借して、感覚がなくなるまで耳を冷やした。病院に行かずとも出来ると書いてあったから、小さな端末の中の画面を参考に、ひたすらに冷やす。麻酔の代わりだから、しっかりやらないと痛い目を見る。一期は感覚がなくなる前に襲い来る、人体の正しい警鐘めいた痛みに顔をしかめながら、手の中のピアスを眺めた。

「……鶯殿?」
「やあ、一期」
図書館には彼女がいる。一期の方から会いに行くのが常であったけれど、本日は稀有な日らしい。エントランス前のベンチに、鶯友成は腰掛けていた。一期の姿を認めると、彼女は傍らの紙袋を持って側に来やる。
「待っていたんだよ」
「わ、わたしをですか?」
「他に誰がいるんだ?」
綻ぶように笑う彼女は相変わらず美しく愛らしい。この際理由などどうでもよいか。彼女が一期のために時間を割いてくれた。この事実だけで、天にも昇る心地心地だった。
「そう、これを渡そうと思って」
「え、」
鶯は手に持っていた手のひら大の紙袋を、そっと一期に手渡した。返されるようなものが何かあっただろうか?首をかしげるばかりの一期を鶯は珍しく感情もあらわに楽しそうな瞳で早く早くと急かす。封を開けてみれば、それはピアスだった。赤い薔薇。一期の瞳の色と同じだ、鶯はそう言って、うっとりするように笑んだ。
「これは……」
「可愛いだろう。見た瞬間お前の顔が浮かんでな、これは贈らねばならないと思ったんだ」
「あ、ありがとうございます……!」
一期は熱くなる目頭を押さえ、それから紙袋を抱きしめた。
貴女の肚の中には、私の永遠の愛が。そして貴女からは、私の体を貫く愛が。ちらりと彼女の肚のあたりに目をやれば、鶯は察したのか、照れ臭そうに笑って腹を撫でた。
幸せだった。

体を刺し貫くことになんの躊躇いもなかった。彼女がくれたものだから。それ以外に理由や意義などない。空けよと命じられたのであれば一も二もなく従うし、よしんばそんな意図など無かったとしても、結果論だ。穴を開けなければ彼女の愛を身につけられないというのなら、一期に迷いは一切なかった。
安全ピンを耳たぶに刺す。痛みがあるような、ないような。冷え切った真っ赤な耳たぶはもはや感覚を機能させず、無気力に鉄の棘を受けいれている。滴る赤い血は微々たるもので、少しばかり戦々恐々としていた気持ちもとたんに拍子抜けした。
背後の扉がひらいた。
「いちねえ、なにやってんだ」
「ああ、薬研、おかえり」
「じゃ、なくて、耳……ッ」
「これかい?鶯殿がピアスをくださったんだ。つけたいけれど私には穴が開いていなくてね、病院を待つのも億劫で、それなら自分で開けてやれと思ったんだよ」

家に帰ると、品行方正を絵に描いたような姉が自傷していた。大げさに思われるかもしれないが、字面としてはこう言う他ない。
血の滴る耳を恍惚とした表情で撫でながら、鏡を見つめる姉はまさしく狂信者だ。図書館に巣食う無貌の女神を崇め奉る無辜の民。薬研は努めて平静を装いながら、淡々と聞かせる。
「そいつで無事済むならかまわねぇが、化膿したら病院行けよ」
うんわかっているよ、上の空の返事にため息が出る。
救われているのに報われない。
愛しているのに恋われない。
つくづく似た者同士の自分たちが、それでも決定的に違っているのは、その深度であろう。
「……いちねえ」
分かり合えない。
薬研の信じる宗教と、姉の信じる宗教は違う。前者は友愛、後者は恋。
「ふふ、鶯殿……」
姉と似たものに形を変えつつある自分の宗教には見ないふりをしたくなるほど、一期の抱えるそれは醜悪で、苛烈で、そして美しかった。