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MAJOR

▼いちうぐ ラリッたあとの話

やあ、一期。息災か?それは重畳。まあ、携帯の履歴を見ればお前が元気なのはわかっていたが。心配しすぎだ。…なに、風邪を拗らせて入院していた。大事ない。昔から厄介な身体をしていてな、こういう事は侭ある。それより久しぶりに会ったんだ、昼食でもどうだ。うん。じゃあ行こう。何を食べようなぁ。

入院していただなんて知らなかった。…あの方が、お薬を飲まれているのは知っていたけど…十中八九、それに纏わるもの。でも憶測の域を出ない。私はあの方のことを何も知らない。…そういえばあの目障りな鶴も最近は見てなかったな…




彼女からはぐらかすように誘われた夕食から数日。
妙なわだかまりを抱えつつも日々を過ごしていた一期は、授業を終えて学部棟を出たところだった。「いつでも来て良い」と言われていたけれど、入院をしていたと聞いてからは無沙汰をしていた。今日あたりは行ってもいいだろうか、などと、彼女を思い浮かべていた矢先だ。
「お疲れ様、一期」
「な…」
そこには、今しがた思い馳せていた鶯、まさに彼女が立っていた。一期は慌てて居住まいを正した。
「お、お疲れ様です!え、ええと、お仕事、早く終わられたのですか…?」
会えなくとも彼女のスケジュールなら頭に叩き込んである。しかし、彼女はしてやったりとばかりにからりと笑った。
「実はな、今日退院したんだ」
「今日!?ではあの時は…!?」
「あれはなぁ、俺がもうどーしても我慢ならんと先生にお願いをして、外泊させてもらっていたんだよ。あの時はすまなかったな、無理に誘って」
滅相も無い。あれは天啓にも等しい好機であった。一期はめいいっぱい首を振った。
「いつもはお前が俺を待っていてくれるが、今日は逆だな」
鶯は一期に歩み寄る。優しく撓む瞳、揺れる鶯色の髪、何もかもが輝いて映る。彼女が今、私だけを見てくれている!一期が並々ならぬ歓喜に静かに打ち震えている間にも鶯は我関せずで話題を貫く。そんなところも好きだ。
「で、こんな待ち伏せみたいなことをしておいて、俺は更に、お前に頼み事をしようと思っているんだが……」
「なんなりと」
「内容を聞いてから返事しなさいといつも言っているだろう。だがこれは、一期にしか頼めない……」
そっと手を取られる。
この鶯を哀れと思うなら、断ってくれるな。
紡がれる唇に釘付けになる。一期には、それが鶯の言葉であること以外に意味などない。それを鶯が自分に望むのなら、それに優先されるものはこの世にない。忘我の最中に頷く一期を満足げに眺めた鶯は、ややあって、彼女の願いを口にした。
「お前の料理が食べたい」
「……料理」
「ごはん」
「ごはん」
「できれば肉じゃが」
「肉じゃが…」
どうだ、聞いてはくれないか。
返事など決まっていた。
「お、お任せください」
「やった!材料はもう揃えてあるから、早速うちに来てくれ」
手を引かれる。一期は目を白黒させながら、必死に肉じゃがのレシピと、最後に見た鶯の家の調味料棚の様子を思い返す。その記憶の中に混ざる、一時のノイズがある。『俺は、お前に一等、』彼女の腹のなかにある、自分と彼女の甘美な盟約の証し。あれはこれから、彼女を形作る全てをすりつぶし、混ぜ捏ね、体の中にあり続ける。
「鶯殿、」
「ん?」
夢のようだった。
「味醂がありませんぞ。それから生姜も。やはり、買い物をさせてもらっても?」
「む、そうか。ならばスーパーに寄ろう」
一期が先導するように手を引けば、鶯も楽しそうに笑い返した。



▼食わば腹

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A broken egg cannot be put back together.

▼弟の思うところ BELOVEDの後とLEANONの後に入りそうな回想




鳴かない小鳥などいない。
涙などなくとも、きっとお前は泣いていたのだろう。



「友成」
「ああ、大包平。そちらは終わったか」
「…………、…………お前」
とある地方大学近くの学生街。
少し汗ばむような春の陽気の中、姉の引っ越しを手伝いに来ていた大包平は、自分の持ち場をすっかり片づけてしまったタイミングで、姉の様子をうかがう。声も態度もでかいのが玉に瑕ではあるが、実はこういう細々とした作業こそが彼の真骨頂であったりする。使いやすさを考慮してお手本のように片づけられた台所を満足げに眺めてから、いざやと姉の方へと目をやれば、そこには信じがたい光景が広がっていた。
おかしい、作業を開始した時から、様子が寸分もたがわないように見えるのは、果たして疲労がみせている幻覚なのだろうか。大包平が言葉を失っていると、たぶん荷物にはなかった、誰かからの引き出物だろう小さなサボテンの鉢植えを持った友成が気の抜けた声を漏らした。
「不思議だなあ。開けても開けてもちっとも片付かんのだ」
「ひとつの箱を空にしてから次を開けろ!ああ、もう、一体なんのためにダンボールに品目が書いてあると……!」
この姉に任せていては日が暮れる。
そう思った大包平は、特大の溜息を吐き出したのち、残りの荷物も引き受けてしまうことにする。
「片付けはもういい。茶でも淹れていろ」
「拝命した。お前は昔から、こういうの得意だよな」
「お前が下手過ぎるんだ。まったく、皆がこぞって甘やかすからこうなる」
憤慨しながら、友成が散らかすだけ散らかした荷物を片づけていく弟の背中を見て、こらえきれずに笑ってしまうと、しっかり聞こえていたのか「茶!」と怒号が飛んでくる。
これ以上機嫌を損ねてはたまらないと、はいはいと生返事をしながら友成は今しがた弟が美しく片づけてくれた台所へと立った。
茶を淹れてからは弟の邪魔にならぬよう、湯呑片手にベランダに出た。世間知らずな姉のために大包平が探してきた数多の物件の中で、彼女が選んだのはどうしてか、呆れるほどの九十九折りの坂の果てに立つ特別新しくもないアパートだ。二階建てのそれはオートロックなんてしゃれたものもなく、いろいろな意味で用心するに越したことはない友成が住むには聊か以上に不安が残るものだったが、この九十九折こそを防犯の一環と考えて提示した最低ラインの家だった。こうと決めたら意外と何も聞き入れない姉の性質をよく理解していた大包平はその場でこそ何も言わなかったが、時効だろう。
「どうして、ここにしたんだ」
「ん?」
家の中から、ダンボーからガムテープをはがす音に交じって、大包平が友成にそう尋ねた。
「家賃を考えても、交通を考慮すれば平地でもここくらいの家はあったろう。ここの何がそんなにいいんだ」
職場からも、繁華街からも外れているし、なにより自転車も受け付けないような坂ばかりだし。
「そうだなあ、」
友成は、ベランダからの景色に目をやった。このあたりの市街地では一等高い場所に位置する此処は、家からでもこの町を一望できる。見える空は高く、邪魔するものも何もない。今日は天気がいいからか、町一つ越えた先の海まで見える。九十九を駆けあがってきた風は、さあっと吹き抜け、花と緑のにおいをはこぶ。愈々春めくそれを感じた友成は緩く微笑みながら、答えた。
「やっと手に入れた気がしたから、かな」
「……髭切ではないが、姉上の言は簡素過ぎていっそ難解だ」
「そんなことはない。足りないときには足りないというし、満ちているときにはそういう。ああ、尤も……」
そういう気持ちも、ここに来てから、よくわかるようになったんだ。そう言って笑う姉の笑顔は、屋敷にいた頃と何も変わらないのに、なぜだか大包平は今の彼女のほうこそが、本当の姉なのだと、確証のない確信を得ていた。彼女が望み、誰もが願った彼女の自由。それを象徴するかのように開けたこの家が、彼女の住処となることへの疑問は、今では大包平には世紀の愚問に思えたのだった。



「鶯」
「……」
「妹を入れてもいい?」
件の出来事のあと、安達の屋敷に匿われていた初めの頃、姉は正しく籠の鳥だった。
姉が自由を手に入れ、檻から出ていくのうらやましがった女狐が立てた爪傷は、鳥の風切羽を著しく損なった。日がな一日寝床で過ごし、ともすればそれこそ羨望のまなざしで庭ばかり見ていた顔が、大包平がそのころの友成の記憶として覚えているものの大半だった。聴覚に異常はないし、言葉を発せないわけではないが、今はまだ会話とは程遠い。現に今、部屋をおとなった髭切の言葉に、反応こそ示せど応えはしない。姉にかわり、傍に控えていた大包平が、髭切へいらえを返した。
「構わない。入れ」
俺の声に許しを得て、獅子と蛇の姉妹が這入ってくる。
姉の方は、能面のような友成の様子を気にした風もなく、返事を待たずに話しかけたり土産のかんざしを適当に頭に挿したりしている。大包平は大包平で、増えた人数分の茶を用意していると、不意に聞こえる音がある。
「ひざまる、」
「っ、」
呼ばれた蛇は、入室こそしたものの引き戸の障子のそばで石像のように固まっていた身を跳ねさせた。彼女も例の一件で片目を失っており、包帯を巻いたままの顔は痛々しい。それが助長するように、彼女は友成に向ける目線にはこの世の負の感情を全て載せたような色がある。最も強いのは怯えで、とても蛇が小鳥に向ける視線には思えない。
友成は返事が聞こえないのが不思議だったのか、もう一度、はっきりと、膝丸を呼んだ。
「……はい、」
ほとんど空気のような声で、膝丸が返事をした。友成はそれを聞いて、嬉しそうに頸をかしげる。
「おいで」
声には剣も棘もない。身振りすらないそれは、けれども何よりも強い強制力をもって膝丸の身体に呪いのように染み渡る。近づくのが恐ろしくて、恐れ多いのに。逆らうことなど万に一つも赦されない。友成の傍にいた姉がそこを退くのがわかった。膝丸は意を決して、歩む。近くまで来ると、もう自分が呼吸をしているのかどうかも定かではない。顔を見ることなどできないのに、落とした視線の先にはおびただしい注射の跡と鬱血が蔓延る病的なほどに白く細い腕が目に入って、とうとう蛇の片目からは涙が溢れた。
その腕が持ち上がったと思うと、わずかに震えながら、膝丸の頬に触れた。
「痛かったろう。髭切は酷いことをするなあ」
それは昔、髭切にいたずらされて、それがもとで怪我をした幼い膝丸に彼女が言った言葉と全く同じ言葉だった。この屋敷で、三姉妹同然に育ったあの頃。昔日の想いが胸をかすめた瞬間、膝丸は友成のかたわらに崩れ落ちた。額を布団にこすりつける勢いで、頭を下げる。とても上げることなど出来ない。
「すまない、」
「膝丸、泣くな。傷にしみるだろう」
「平気だ、俺の傷など、貴女に比べたら……」
「ああいけない、ほら、」
「ーーーああ……ああ…………ッ!」
もう片方の腕も持ち上げられ、膝丸はゆっくり友成の胸に招かれる。優しく抱きしめられると、これまで耐えていたものがすべて足元から崩れ去って、ついでに涙腺がばかになって、膝丸は咆哮を上げて友成の胸に縋りついた。
「俺の力が及ばずに、お前にはつらい思いをさせた。お前だけではない、髭切にも、大包平にも……」
そしてあいつにも。
「もう、誰も傷つかないと思ったんだがなあ」
それでお前がそんなにも傷つき、奪われる必要がどこにあったんだ。それはこの場にいた3人すべての胸に飛来した思いでもあった。しかし誰もそれを口にすることはなく、嗚咽と謝罪を只管繰り返す膝丸の髪を、友成はずっと幽かな笑みのまま、ゆっくりゆっくり撫で続けていた。
弟にはその笑顔が、痛い、痛いと泣いているように見えた。


「何を考えているのだ?」
「……いや、別に何も」
東京の夜は明るい。岡山の山奥や群馬の辺境と違い、明るすぎて星が見えない。今やこの国を手中に収む姉はそれを無粋というだろうか。いやーーーあの鳥は、鳥のくせにもう空を見ていないのだったと、大包平は隣の妻に気付かれぬ程度に短く息を付き、問いには応えなかった。
「三日月、明日は」
「明日は北の竜と晩餐よ。あの女は良いなあ、友成と並ぶと頗る絵になる。せぎすの鶴ややかましいばかりの獅子などよりよほど良い……」
微睡み始めているらしい女の前髪をさらりと払って、その額に軽く口づけを落とす。
「姉上も都内だろう。来ないのか」
「先ほどまでいた。お前と入れ違いで帰って行った……朝には九州だと言っていたぞ」
「そうか、」
丁度、その蛇のことを思い出していたのだが、偶然だろう。
外様に配されたとはいえ、手から外すつもりはないということだろう。我が姉は、次は何もなくさないと言っていた。罪ごと抱え上げると言えば聞こえはいいが、それは罪人は罪人のまま、その業をいつまでも手放せないということになる。友成の傲慢は生来のものだ。あれは他者にはちっとも理解できない。他者はおろか、血を分けた弟である自分にさえも。
「忙しくなるな」
「ああ。だからもう寝よう」
電気を消すぞ、そう言って半身を起こした三日月のむき出しの鎖骨には、古備前の紋が刻まれ、さらにその上には真新しい噛み傷がある。姉が来て、何をしていったか。一目瞭然だった。
大包平は何もみなかったふりをして、明かりが落ちると同時に、三日月に背を向けて目を閉じた。



▼飛べぬ狐も泣けぬ小鳥も、等しく憐れには違いない
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そんなせかい

地獄を忘れた別世界線




うららかな昼下がり。決して広くはないアパートの一室は、とても賑やかだ。部屋の主はきゃあきゃあ騒ぐ声を気にするでもなく、むしろ微笑ましそうに笑みながら、窓際に席を取り、茶柱の立った茶を啜る。

「ずるいです! そんな役であがるなんて!」
「賭け事なんてずるしてなんぼのモンだ。っつーかずるじゃないからな、カスだって立派な役だ。ねーちゃんを敬え」
「あなたを姉だとおもったことは一度もないです」
「まあまあ、大人げない姉上には加減してやろう、今。今は利口だからなあ」
白い姉妹が花札を手に勝負、いや、自称賭けをしているらしい様子を、鶯は遠巻きになだめる。賞品は知らない。ぶすくれていた今は、鶯の言葉にぱっと顔を輝かせる。
「ぼくの勝ちですね!」
「はあ!?」
どうやら賞品は自分に関することだったらしいと、鶯は飛びついてきた今を抱きとめた。
「鶯ねえさまはぼくをほめてくれました」
「いや、勝負は俺が勝った」
「ふふん」
可愛げない。国永は眉根を寄せたが、確かに大人げもなにもないとため息をつく。が、ほとんど同時に、襖を引く勢いで玄関のドアが開かれ、ビニール袋に詰め込まれた飲み物を散らして身を乗り出してきたのは。
「私もその勝負、参加させていただきたく」
「おいおい、いまきみが放り投げたのほとんどビールとコーラだぞ! これじゃ事故だ!」
「おかえり一期、重かったろう」
「おかえりなさい! 勝負はもうつきましたよ! ざんねんでしたね!」
ぎゅっと鶯に抱きついたままの今は、鶯の頬にキスをした。ぴきりと額に青筋を浮かばせたのは一期。あーあ、とげんなりしながら飲み物やつまみを拾い集めるのは国永。
「細かいことは気にするな、風呂で乾杯しよう」
「あ、貴女様と一緒にお風呂だなんて……」
「はれんちです。鶯ねえさま、ぼくとジュースをのみましょう」
「もう突っ込まないぞ俺は」

一番のずるをして勝ったらしい今とジュースで乾杯した鶯は、手を泡だらけにした国永に、大人しくなったビールをねだった。
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ただひととき

つるうぐ(R18)





ああ、報告はいらん。そんな細かいことを気にしていては時間が足りないからな。あいつらがうまくやってくれるだろう。ご苦労だった。今後は大包平に指示を仰いでくれ。

「きみはすっかり情緒がなくなったな」
「俺も忙しい身分になったんだ。そう拗ねてくれるな、鶴」
白い髪にしなやかな指が絡む。はあ、と微かに熱のこもった吐息が漏れては溶けた。胎内に沈む指は確かに彼女の性感帯を刺激し、彼女の腰はちいさくうねりながら快感を拾おうとする。しかし、しとどに濡れたそこから溢れる愛液は、脳と切り離された身体から分泌されるもので、身体だけが、自分を探るゆびを求めるのだった。
国永は、それを悲しいとも虚しいとも思わない。長い間そうして愛してきたのだし、触れて反応を示す身体は、自分のことを愛しているのだと錯覚、いや、確信できる。根拠のない自信に、根拠などいらないのだ。
「熱いなあ」
「そうだな……」
リリリ。古めかしいメロディの着信音が鳴る。仰向けのままスマートフォンに手を伸ばした友成より早く、国永がそれを取る。
「取り込み中」
緑の応答ボタンを押し、短く言い放って通話を切る。誰からの着信かも見ないまま、手の届かないところに放り投げた。
「こら……火急の用だったらどうする……」
「細かいことを気にしている時間はない、だろ?」
にっと意地悪く口角を上げた国永を見て、友成は仕方がないといった様子でふっと笑う。
「ん……」
「いきそうか?」
淫靡な水音と短くなる吐息。指が締め付けられる。同時に、首を引き寄せられる。
「つる……」
ひく、と身体が震えた。そのまま頭を抱き込まれ、あいわかったとその首筋を噛む。
「あ、」
首筋への痛みに、友成の身体はいっそう震える。それは快感ではない。快感ではないけれど、国永から与えられた痛みと、共に身体が果てる。
脱力した友成は、満足したと言わんばかりに気持ちよさそうに目を閉じた。どこか置いてけぼりを食らったように感じた国永は、友成の唇を塞ぎ、舌をねじ込み、吐息を吐かせる。
「ん、ふ……ん、ん」
抗議だろうか。とん、と力なく肩口を叩かれた国永は、どこか不機嫌な顔で友成を解放する。なんだかつまらない。
「……そう拗ねるなと言っただろう。睦言の一言くらい言わせてくれ」
「きみ、寝そうだったじゃないか。いや、起こさなけりゃあのまま寝た」
「どうだろうな……だが、情緒がないと言われたからなあ……努めはしようと思ったさ……」
友成は甘い仕草でふわりと国永の頬を撫でる。そうさな、と言葉を続け、考えるように目を閉じた。

「………おいおい……そのまま寝るやつがあるかよ……」

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知らぬが仏

薬研



猛禽ねえ。
むしろいまは蜂みたいじゃないか?
放っても運ばれてくる蜜を待つ女王蜂さ。
その爪と嘴で、欲しいものは全て手中に収めた。あの手もこの手も、人の牙も何もかも使ってさ。
もう、爪も嘴も必要ないんだよ、あれには。

ほんの数滴の蜜を垂らせば、誰もが、全てを統べる女王様のために何だってするんだ。



薬研は今日も今日とて寝不足である。もう何人の皮膚を縫ったかわからない。大あくびをしながら、硬いソファに寝転がる。
何人助からなかったかわからない。
なにが楽しくて争い、血を流し、誰のために死ぬのだろう。それは彼女にとって永遠の疑問である。そんな繰り返しで出来上がった世界はこの処置室の天井よりきたない。

『薬研、だいすきです。急じゃないですよ、いつもだいすきですよ!あいしています、薬研』『薬研、妹たちをしばらく頼みたい。私はあの方に呼ばれているから、行かなくてはならない。家族に愛していると伝えて、もちろん、薬研も愛しているよ』

愛しているという別れ言葉を二度聞いた。一度めは、まるで彼女の存在がまぼろしだったかのように、跡形もなく彼女はいなくなった。退学も済まされており、個人情報だどうのと言われ、職員室の机を蹴飛ばして、やみくもに探し回った。どこにもいるはずがなかった。三条を訪ねたが、自分のような一般庶民が立ち入れる場所ではなかった。
二度めは、それは、幸せそうな顔をして眠っていた。それを姉だと認識した瞬間、なぜか、ほんとうになぜだかわからないが、安堵したのだ。姉は地獄を生きているようだった。終止符を打ったのは姉自身だった。
共通点は明らかだ。もう何も確かめなかった。この頃から、小鳥と偽った猛禽の羽の下で女王の卵が羽化していたのではないか。そんなことを考える。ゆるりと正体が変わる様子は、なんて気持ちが悪いだろう。

「かわいそうにな」

ナイフを突き立てた俺にそう言い放った女は、笑うでもなく、悲しむでもなく、ただ憂いた顔で、本当に『可哀想』だと言ったのだ。
俺がなくした二人の存在を、まるでいまはじめて知ったような顔で。



「よっ、薬研。元気か?」
「あんたは元気そうだな。今日は鶴じゃなくてフラミンゴかなんかか?」
血濡れの国永が窓から顔を出してきた。返り血だということは明白なので、心配はしない。何が起きたのかは多少面倒ではある。
「友成の」
「話なら中でしな。誰が聞いてるかわからん」
おっとそうだな、と軽快に返した国永は窓を閉め、扉からずかずかと入ってきた。抜刀したままの刀をしまって欲しいのだが、めんどうくさくて、正面のソファを勧める。
「友成のやり方が気に食わんという輩が後を絶たなくてな。俺も暇つぶしに出陣してるわけだ」
「東町の組員潰したのあんただろ。見るに耐えなかった。多少は綺麗に斬ってくれ」
「悪いな、鬱憤が溜まってたんだ」
国永の鬱憤の原因といえば、あの女狐と呼ばれた三日月のことだろうか。詳しいことは知らないが、その辺がややこしいということは知っている。ここでは、知らない方が都合が良いことの方が多い。
「きみは大抵、何も聞かないな」
「聞いてまともに答えられた試しがない。所詮余所者の闇医者もどきだ。聞く必要も答える必要もねえよ」
言い切ると、国永は複雑そうな面持ちで、あぐらをかいた脚の上に肘をつく。
「例えば、きみの親友を斬ったのが俺だと言ったら?」
「……悪い冗談はよしてくれや。疲れてんだ」
色素のない目に捉えられた瞬間、薬研は悪寒した。この鶴の言うことは大抵信用ならない。そうだ。そうだろう。なあ国永。
「友成が、きみの姉の死をただ見届けただけだとしたら」
「は、続きか?」
ひどく眠い。寒い。吐き気がする。ああ、そろそろ次の患者がきそうだ。
「おっと、お客人か。俺はお暇するぜ」
「なにしにきたんだか……」
鶴はひらりといなくなった。重たい頭で、片手の小指がないささくれた男の手から脈を取る。生きている。傷は、ああ、これは面倒だな……


なあ国永。
俺は近々、お前さんと刃を交えるかもしれん。
あらゆる手段で組織に取り入り、ここで医療以外の力をつけていることは、教えただろうか。患者を診れば弱点はわかる、それは精密に正確に。複数の患者を相手に、実験も成功した。なんのためだと思う?

俺は、あの女王蜂を標本にしないと、気が済まないんだ。
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