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久しぶりにゲームの話とか


Switchのメモリカードを増設したので、ふと思い立って久しぶりに携帯のアプリじゃない乙女ゲームをプレイしてみる。
Switchって結構乙女ゲーム推してて、候補がいっぱいあるから選べなくて、結局イラストが好みで物語全体に仕掛けがありそうなやつを選んだ。まだ2人しか攻略していなくて、物語の全容はちっとも見当がつかないのだけど、とりあえず気がついたことを吐き出したかった。

これ恋愛ちゃう…カウンセリングや…って。←
寂しさを埋める買い物依存症でヤミ金に手を出した男と、罪悪感で孤独を選んだ挙句心を壊す一歩手前の男を救った。おかしい…私は恋愛を見守っていたはずなのに…。

ヒロインはすごい癖が強いんだけど、したたかで頭の回転の早い女の子は個人的にとっても好み。ゆるふわ美少女な見た目とのギャップもまた良き。ただとにかく恋愛に全力投球、そういう意味では人間味は全くないかも。その辺にも仕掛けがあるのかどうか、一挙一動を見守っている。
元ネタになっているモチーフとシナリオの絡め方がうまいので、話を読みながらなるほどこういうキャラ造形で元ネタとこう絡めるのか、と感心します。
さて次の患者のカウンセリングを始めようかな。


この後の記録、だんだん物語にのめり込んでネタバレが酷くなってくるので(ただ頑なに固有名詞やキャラ名は出さない)追記にしまっておきますね。他人が読むことを想定して書いてはいないので、非常に不親切な感想文です。
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アニメの話


今季はひとつアニメを見ている。毎週の放送を追いかけるのは、多分10年ぶりくらい。テレビが大きくなって、ついでにハードディスクをつけた(つまり録画機能がついたということ)から、なのですが。
ちなみに流行りの悪役令嬢のやつですー。元々原作も漫画も読んでいたので話の展開もわかってるし、楽しく観られる話だからいいな、と思って。こんなご時世だし。バットエンドになることも、胸が痛む展開もないと分かっているので、気持ちが楽ですね!
なお、私が過去に毎週の放送を追いかけたアニメはグレンラガンとAngel Beats!ですので、もれなく終盤メンタルをざくざくに切り裂かれべしょべしょになっていたもので。もはや娯楽で胸を掻き毟られる展開に耐えられなくなってきたアラサー社会人です。そんな理由で現在大流行のあの漫画にも手を出せないわけです。心は惹かれるけど、ネタバレ聞くだけでしんどい。

そんな話はさておき、取り溜めていた7話分を一気に見て、なぜか3回泣きました。おかしい…楽しく見れる作品のはずだ…。9割ニヤニヤげらげら見ていたはずなのに…。しかも原作や漫画で見て知っているんやぞ…と思いながら鼻をすする。←
最近涙が出るシーンの傾向が広がってきて、一人ぼっちの子が理解者を得たくてもがいて打ちひしがれて、だけどいつか報われて幸せそうに笑う、みたいなシーンにめっぽう弱い。よかったね、よかったね、ってなる。つまり友達のあれこれにも弱くなった訳です。共感力が上がったのだ、きっと。

個人的な推しはニコルとソフィアの兄妹です(唐突にキャラ名を出す)。ひたすらに可愛い、とても可愛い。最終的に主人公とくっついたらいいなーと思うのは、ジオルド王子ですね。メインヒーローの割にいろいろ食われてるのが不憫なので応援している。
でも多分、わちゃわちゃして終わるタイプのラブコメだと思うので、そんなに期待はしていない←

そんな感じでステイホーム楽しんでます。

情報モラルの話とかマスクの話とか


無自覚テロリストになったあの人は、本当に考えなしの非難されるべき「悪」しき行動をした人だけれど、家で「正」しく自粛をしている私たちなら、何をしてもいいんだろうか。それが犯罪行為でも。

個人情報の流出って、犯罪行為だからね。「正義」の鉄槌みたいに思ってるのかもしれないけど。
この手のニュースを見るたび、情報教育にとってある意味「いい」教材が生まれてもやもやする。『正義のリンチ』とでも言えばいいんだろうか。『自粛警察』もそうだけど、自分が正しければ相手を傷つけていいわけじゃないんだよなぁな。これわかっていない人、意外といっぱいいる。怖い。

例えば、この疫病騒ぎで生活が苦しくなった人に対して「自分でそういう仕事を選んだんだから」って言い放つ自己責任論を実際に聞いたけど、それは確かに論理としては正しいのかもしれない。
(私はよく主張や言葉を『刃物』に喩える)
でもそれって、自分が安全な柄を握っているから、相手に容赦なく突きつけられるんでしょう?って思う。柄の無い抜き身の刃だけだったら、そんな自信満々に振るえないよね。だって握ったら自分の手も切れちゃうし。つまり自分がその正しさで怪我をすることがないから、そういうことを言えちゃうんだ。それってずるいよね、って話。
思想は自由だから、別にそう思ってもいい。ただそれを声高に振るってはいけない。正しさの刃で相手を傷つけてはいけない。って、今の私は思うよ。多分7年前の私にはこんなこと言えなかったから、私もきっと少し成長したんだな。

本質的にはそういうことなんだけど、もう少し表面的な話をするなら、個人情報の流出とか拡散、デマの拡散とか誹謗中傷とかに対して「きちんと訴えてしかるべき罰を」って風潮になってきているから「罰を受けてもいいから言ってやりたい!」くらいの覚悟がないんだったらやめたほうがいい。今すぐ。自分の投稿一つが相手の人生を変えてしまうくらいの影響を持つかもしれないんだ。それも悪い方向に。責任持てる?無理でしょ?自分が例え正しくても、相手を切り伏せて良いわけじゃないんだ。責任なんて取れないんだから。


なんてことをつらつら考えていた文章が発掘されたのでのせてみる。
なお、別件で現在私はウキウキしています。なぜなら、シャープのマスクに当選したからです。1回目は応募すらできなかったけど、まさか3回目で当たるとは。倍率は106倍くらいだそうな。去年バンプのライブが当たった時もちょっと思ったけど、私ってもしかして自分が思っているよりずっと抽選運強いのかも?
何にせよ、嬉しい出来事に気力をもらったので、またお仕事頑張れそうです。頑張ろうっと。

時事のお話


何かと話題のパチ屋問題。
公園で子供たちが遊んでいるだけで通報されるんだから、パチ屋に大人がいるって通報すればいいんじゃない?もしくは、聞き取りの時に2週間以内にパチ屋に行きましたか?って項目作って、行った人は検査受けられないってことにするとか。
なんて、別にパチンコに限った話じゃないけど、自制できないのは大人の方だ。子供の方がよっぽど我慢してる。えらい。本当にえらい。

ところで私も現場の人らしく、9月入学論を頭から「ない」と切り捨ててしまわず、少し検討してみようと思いました。
そもそも今、9月入学論が取り沙汰されているのは、4月に学校が再開できた地域もあれば、一切出来なかった地域もあって、地域格差が生まれてしまっていること。また、オンライン講義に対応している学校もあればそうじゃない学校もあり、ここでも差が生まれている。そうして、特に進学就職を控えた子供たちを中心に先の見えない不安、焦りを生んでしまっていること。この子たちの不安や焦りを取り除く手段の一つとして挙がっているのが、9月入学論な訳ですね。
だからいま本当に必要な議論は、不安や焦りを感じている子供たちを安心させてあげるにはどうしたらいいか、という話だと思う。
でもそんなことテレビでは言ってないじゃない?グローバル化に対応できるとかなんとか、それは全く議論の本質じゃなくておまけ要素なんだよな、ってことに気がついた。そこが気持ち悪くて引っかかってたみたい。「いま困っている子供達のために何ができるか」って視点で9月入学論を議論するのは、私たちの仕事だなって思いました。

とまぁそんな感じでモチベーションを得たので、私なりに考えてみました。以下、特に調べてないので個人の限界です。

【9月入学論のメリット】
 ・現在生まれている格差が解消される
  よって、いま困っている子たちが安心できる
 ・授業時数のために長期休業を減らさなくていい
 ・中止や延期になった行事ができる(かも)
 ・受験の大事な時期とインフルエンザの
  流行時期が重ならない
 ・グローバルスタンダードに近づく

【9月入学論の課題(疑問点)】
 ・そもそも本当に9月には落ち着いているのか
 ・もうすでに入学式をやった分や、
  消化した時数はどういう扱いになるのか
 ・学校が9月スタートになった場合、社会全体が
  全て9月スタートで対応できるのか
 ・スポーツの最後の大会は冬になるのか
  あるいは外スポーツは2年生で引退なのか
 ・そもそも全ての対応が間に合うか

9月入学論を聞いた際、私が一番に心配したのはそもそも今年の9月に本当に全てが落ち着いているのか?ということでした。数年単位の戦いになるだろうと言われているのに、まるで9月には全てが終わっているとでもいうような希望的観測に違和感が拭えなかったのです。だから早急に9月入学で体制を組み直したところで、また対策、また自粛、また休校…と、子供たちも私たちもまた振り回されるのではないかと。
この2ヶ月当の子供達や家庭、現場の教職員達がどれだけ振り回され、がっかりさせられてきたか…。

なのでやっぱり個人的には、9月入学論は子供達の焦りや不安を直ちに解消する手段ではあるが、実現しない可能性がある分、問題の先送りでしかなく、博打みたいなものだと思うので、もっと確実な方法を模索するべきだと考えます。
よって私は、来年の4月入学論、あるいは来年度からの9月入学論を推したいと思います。
少しづつ学校が再開できるなら、1年半掛けて今年度分のカリキュラムを進めて、次年度以降の9月入学体制を確立する。もしも本当に9月入学に舵をきるのなら、それくらいの猶予が必要だと思います。

もしも何かの間違いで今年の9月入学論が罷り通ろうとしたなら、何か行動を起こす。絶対。でも流石にそんな馬鹿なことは起こらないと思います。
いま困っている子たちにとって一番いい方法が議論されることを祈っています。
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