「ほら、ママ、こんなにいろんなのあったよ。」
「ほんとね〜、いっぱい!」
娘が嬉しそうに広げた両の手のひらには
小さな木の実がのっていた。
まん丸で茶色いの黒いの
平べったくてツヤツヤしてるの
でこぼこなの、毛むくじゃらなの
それらのどれひとつとして、
同じ形のない自然の造形の神秘には感心してしまう。
さまざまな草木が、
それぞれに個性的な葉を広げ
花を咲かせるだけでも奇跡なのに
その種子たるやもはや芸術的で
………ほんとうに美しい。
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春浅き、雑木林で春を見つける。
「宝さがし」だ。
子どもの目線は大人より大地に近いせいか
林床の落ち葉へと注がれた瞳には、茶色一色で占領されている、緑も虫や小動物の影も少ない雑木林の中で春を見逃さず拾い上げる。
冬にはサクサクと踏んで歩くと、フライパンで銀杏を炒ったような芳ばしい匂いがしてた落ち葉も
ついこないだまで、雪に閉ざされていたというのに触れてみると意外と表面はさっぱり乾いていて、ほんのりと温かく、ふかふかと柔らかい。
内側のほうの落ち葉は、ひんやりと湿っていて、白く透きとおるような体のヤスデやトビムシが歩いていたり虫の死骸が埋もれてたりもするが、虫に食われ微生物に分解されて 土に還ろうとしているのだろうと思うと それすらも尊い気がする。
落ち葉の中には小宇宙が広がっていて、わたしは、それを覗かせてもらうことで
わが身におきかえて己の生き方を反省したりするのだが我が身の不経済きわまりない暮らしかたに比べて自然とは本当に賢い。
落ち葉の中には、宇宙に浮かぶ天体のように木々の種子が、静かに春を待っている。
わずか数ミリの種子が、見上げるような大木に育つとき
それぞれの可能性と生命力を「ぎゅうっっ」と抱きしめて
この雑木林は、
今のままの姿であり続けられるのだろうか?
「ママー見てえ」
「ほら、ドングリが根っこだしてるよー」
落ち葉の中に、潜りこんだドングリの頭のてっぺんから、白い根がでていた。
この小さな生命にも運がよければ、やがて落ち葉を降らせる時が来るだろう
そしてその時も、落ち葉の中には
おのれの未来を信じて無数の種子が眠っているに違いない。
次々と落ち葉をめくり葉脈だけを残した葉っぱを拾いあげ、
お日さまに透かして娘が笑う。
「ハハハハ(笑)まぶしー、」
「レースみたいできれえー」
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このお話はフィクションです。
娘がいたら こんな散歩も楽しかっただろうな…
うちの息子です。