友人のお父さんが倒れたそうな。
意識を失って、そのまま心臓も呼吸も止まってしまったとか。

そのお父さん、
現在は医療系の学校の先生。

定年退職後、知人から誘われ
やりがいのある仕事だと
地元から飛行機の距離のその学校へ
単身で向かい働き出したところだった。

倒れたのは仕事中。

職場の同僚は言わばプロたちな訳で
AEDやらなんやら持ち出して
そのお父さんは
あっという間に息を吹き返し、
意識まで回復したところで病院へ。

手術をして3週間で後遺症もなく退院したそうだ。

こういうのって運命だよなぁと思う。

このパパさんの場合、
倒れたのがプライベートな時間だったら
家族と離れて単身だったから
誰にも気づかれることなく…
ってことになっていただろうし、

家族と暮らしていたとしても、
定年退職後の遠方での仕事を断って
のんびり暮らしていたら
家族が家を空けている時間だったので
やはり気付かれるのが遅くなって
手遅れになっていただろう。

いろいろな偶然が積み重なって
今回このパパさんは命を取り留めた。

まるで奇跡みたいな話で
運が良かったのだと
他人事のように思うかもしれないけれど

今生きている私たちはみんな
その気付かぬ偶然や奇跡みたいなもので
たまたま生きているのだと
私は思っている。

だって、人は簡単に死ぬ。

大学時代、
同級生が交通事故で亡くなった。
兄の同級生は20代なのに脳梗塞で。

昨日まで普通に笑っていた人が
翌日には命を失っているなんて
決して特別なことじゃない。

私にとって死というものは
無数にある落とし穴みたいなもので、
それがある道を下を見ずに歩いていて
とりあえず運良く落ちていないから
今生きている…程度に考えている。

誰にでも偶然や奇跡はおきていて
誰にでも当たり前のように死は訪れる。

だから1分1秒を大切に生きよう!
とは言わないけれど
うっかり死んでしまったときに
後悔のある人生ではありたくないよね?
とは言いたい。


記事の題は歌のタイトルから。
「こんなにたしかに自分で生きているかのように生かされている」って歌詞。
友人父の話を聞いて、そのフレーズが思い浮かんだ。