富士宮バイパスにアサカンと言うパチンコ屋があった、
小学生の頃、
親父に連れられ良く行った、
昭和50年代は、
子連れでも良かった時代、
(ーー;)…
別に打つ事は無かったが、
パチンコで遊んでいる父親にべったりだった事を思い出す、
小学高学年に成ると、
見よう見まねと親切な叔父さんに言われ、
台に座る様になっていた、
当時は父親の玉を貰ったり、
少量のお金を貰っていた、
そこでパチンコの面白さに気が付いた、
勝てばお金が貰え、
お菓子、ジュースも貰えた、
当時1日30円しか小遣いが無かったが、
パチンコで勝てば!
小学生には大金が入ってきた、
( ´-ω-)…
ダメな小学生が出来た…
台の釘を読む、
台の癖等々…、
小学生なのに…やる事がパチプロ…
そんな日が続き、
当然、問題が起こる、
ある日、いつも道理、父親とパチンコへ行き、
先日勝った1500円が資金だった、
この時、
自分が座った台は(1発台)1発入れば打ち止めに成る台だった、
所が知らない無知なのが良かったのか?
なんと100円で出てしまった、
(^〇^)ヤッタ!
それも出玉5000発12000円!
無知の小学生には、
超大金、有頂天になってしまった、
残った1400円でまた同じ台に座って打ち始めると、
1400円分の玉は機械の中に消えた、
( ´-ω-)…
やっぱりな…
諦められず、床に落ちていた玉を拾い1発打ち、また拾い打っていると、
なんと台から出玉音が(チーンジャラジャラ)
( *゚A゚)エッ?
見たら大当たり!
Σ(゚Д゚ノ)゚ヤッター!
なんと25000円近くある、
当時、1回10円くじを引くのも躊躇する、
ガキが25000円も持っている、
家に帰って翌日からは、
友人と豪遊、
駄菓子屋で好きな物を買い漁り、
ゲームもやりたい放題だった、
25000円は使いでがあった、
でも…楽しかった豪遊も母親に見つかり、
持っていたお菓子と残りのお金(半分位)は、
全て没収となってしまった、
当然、父親とのパチンコはダメになり、
自分のパチプロ生活第1部は終わった、
親父に言われた…
どんな大金を持っていても…
謙虚な心を忘れてはいけない、
忘れたら全てを失う、
勝っても奢るな、静かに…行動しろ…
そんな親父も4年前に旅立ち、
そして通ったパチンコ屋アサカンも、
閉店し更地になってしまった、
思い出の場所は無くなったが、
楽しかった思いは消えないで話せる書ける場所が有っても言いと思う。