学校帰りにコンビニに寄る。それは中学校に入ってから出来た習慣だった。
 以前までは一度帰宅してから改めて出掛ける事が多かったからだ。鞄は重いし財布は持ってないし、何より家と学校が近かった。俺の通う中学校は小学校に比べ少し遠い。
 もちろん真っ直ぐ帰宅する事もある。他の寄り道をする事もある。それでも、やはり顔を出す事の方が多い。
 今日もふらりとコンビニの自動ドアをくぐれば、聞き慣れた声が俺を迎えてくれた。

 特に用事がある訳ではなく、強いて言えばその声を聞く為だけに寄ったようなものだった。目的は果たした物の、そのまま帰るのも気が引ける。店を回って余計な買い物をするのも、いつの間にか出来ていた習慣だった。
 そう言えば小腹が減ったなぁと思い、雑誌の方から回ってお菓子の売り場へ向かった。特に目に留まるものもなく、通り過ぎると流れでカップ麺の売り場に進む。夕食の事を考えると、流石にそこから選ぼうと言う気にはならなかったのだけれども。
 何かお勧めでも聞いてみようか。レジに向かい、そこで漸く意中の人と顔を合わせた。
「いらっしゃい。どうかした?」
 声が出なかった。驚いた。そう、驚いたのだ。
 何度も見直して、目を擦ってもう一度見て、それが見間違いではない事を確認した。
「イッキさん……」
 思うように喋れずに、一言名前を呼ぶとそれで言わんとしている事が分かったらしい。イッキさんは少し照れくさそうに笑った。
「あ、うん、切ったんだ」
 イッキさんの髪は前回見た時から大分長さを変えていた。
 今までは前髪を切ったとか、そのついでで毛先を切ったと言う話しか聞いた事がなかった。俺が知る限りは。毎日のように通い詰めた俺が知らないのだから、それ以外の切り方はしていないだろう。
 せめて、いつものように髪を結っていればこんなに驚きはしなかったかもしれない。とは言え、今は結う事も難しい長さしかないのだけれども。早い話、男では珍しいロングヘアから、どこにでもいるショートカットになっていたのだ。
「そんなに変かな。常連さんがこれ見て、みんな変な顔するんだけど」
「そ、そんな事ないと思いますけど……」
 似合ってるか似合ってないかで言ったら、似合ってるのだと思った。結っていた時に比べ、受ける印象が柔らかい。こんな言い方をしたら怒られるだろうが、可愛らしいと思った。
 しかし問題はそこではない。
「ずっと長かったじゃないですか。急に短くなったんで見慣れないって言うか、驚きました」
「うん。俺も見慣れない」
 でしょうね。思わずそう零すと聞こえていたらしく、イッキさんはぷっと吹き出した。
「実は髪を結ばない生活って言うのがまだ信じられなくてね、多分アズマくんが思うよりずっと俺も驚いてるよ。今日もね、ほら」
 左腕を胸の高さで振って見せる。その手首で何の変哲もないヘアゴムが揺れていた。
 イッキさんは長年の習慣で朝髪を結おうとして、持て余したゴムをそのまま腕に付けてきてしまったのだと説明してくれた。結うものもないのに、と笑う表情は少し寂しげにも見えた。
「いつから長かったんですか?」
「うーん……伸ばし始めたのは中学より後だけど。結ぶ習慣は小学生の時からなんだよね」
 以前、アリカさんが見せてくれた小学生の時の写真を思い出した。長さこそないものの後頭部で結われぴょんと主張するそれは、ちょんまげとでも言うような変わった髪型だった。
「じゃあ普通の髪型になるのは十何年ぶりなんですね」
「今までが普通じゃないみたいな言い方はやめてくれないかな」
 ほんの少しの悪意を込めて言うと、予想通りイッキさんは言い返してきた。髪型は変わったけれど、いつものイッキさんだった。
「モブ店員さん、小腹が空いたんだけど何か良い物ないですか?」
 漸く本題を切り出すと、モブ店員さんはいつも通り親身になって相手をしてくれた。

 会計を終えて、帰ろうとした所で足を止めて振り返った。見送ろうとしていたイッキさんが首を傾げる。
「そう言えば何で切ったんですか。失恋でもしたんですか」
 何の話かは言うまでもなく伝わったらしい。問い返される事もなく返事があった。
「女の子じゃあるまいし、失恋で切ったりしないよ」
 困ったように、それでいて呆れたように笑う表情はやはり少し寂しげだった。
 少し考えるように間を空けて、イッキさんは続ける。
「何て言うか、願掛けみたいなものだったんだよね」
「願掛けで髪伸ばすなんてそれこそ女の子のする事じゃないですか」
 思わず突っ込むとイッキさんは拗ねたように顔を背けた。
「うるさいよ」

 願いは叶ったんですか。
 最後に問おうとした言葉は飲みこんだ。