携帯の画面を見やる。
 日にち、曜日、時間。通い詰めた感覚から言うと、今日は会えそうだ。
 いつもの道を曲がって、歩き慣れた道を行く。向かうのはいつものコンビニ。

「あの、ちょっと教えて欲しい事があって」
「うん、良いよ。何かな」
 目的の人を見つけるなりそう切り出すと、良い返事がもらえた。
 この反応はよく目にしていたものだ。例えば、新しいパーツの仕様を尋ねた時のような。
 教えて欲しい事と言うのは、恐らく彼の思っているような内容ではないのだけれど。
「お店とは関係ない、個人的なお願いなんですけど」
 こんな事を言うのは初めての事だった。思わず声が小さくなる。断られるのは別に構わなかったのだが、はっきりとした言葉をなかなか口にする事ができない。
 きちんと聞き取れただろうか。ちらとイッキさんを見遣ると考えるような仕草をしているのが見えた。
「それは内容によるかなぁ」
 不思議そうな目を向けられ、とりあえず意味もなく笑って見せる。とても笑っていられるような内容ではなかったが。
「その、勉強、教えて欲しいな、って……」
 そう告げるとイッキさんは目を丸くさせた。

 中間テストに期末テスト。
 小学校の時と全く違ったシステムのそれはより明確に成績を表す。初めてのテストで示された数字は、お世辞にも良いとは言えないものだった。
 返却されたテストを見た母親は顔を曇らせ、父親には叱られた。ここで躓くと何も出来なくなってしまう。良い点を取れとは言わない、きちんと復習をしなさい。そんな事を言われた。
 正直言って勉強は出来る方ではなかった。それを知っていたから自力でどうにかできるとも思えず。誰かを頼る事にした物の、頼れそうな友人は思いつかなかった。
 そんな折に思い出したのがイッキさんの存在だ。
「まぁ、中一なら教えられると思う……よ?」
 返事はとても頼りないものだったけれど、それで十分だった。
「もしかして初めてのテスト?」
「そうです、初めてのテストがあったんです」
 イッキさんは首を傾げる。
「テスト終わっちゃったの?」
「はい。普通ならテスト前に勉強するべきだったんですけど……」
 簡単にテスト前はいつも通りの生活をしていた事と、テストの結果と両親の反応を説明する。事の次第を聞いたイッキさんは微笑んで見せた。
「言われてやる気になったんだ、偉いね」
「そんな事ないです。ただ、余計な心配はかけたくないなぁって」
「十分だと思うよ」
 真っ直ぐに見つめられ、恥ずかしくて顔を背けた。
「まぁ、アズマくんがメダロットに入れ込むようになってしまったのは、売ってしまった俺の責任でもあるからね。協力するよ」
「責任だなんて、そんな!」
 イッキさんとの出逢い、とでも言うべき初めてメダロットを手にした時の事が思い浮かぶ。昨日の事のように思い出せるが、もう何年か前の事だ。
 あの時イッキさんが売ってくれなかったとしても、いつか手にしていたと思う。今とは違う未来になっても、きっと俺はこの世界に魅入られていたに違いない。
 首を横にぶんぶん振ってそんな事はない、とアピールする。イッキさんは笑っていた。
「そう言えば、相棒は元気かい?構ってもらう時間が減ったらへそを曲げるんじゃないの」
 懐かしむ様な目が俺を見る。それは俺を見ているようでどうやら違うらしかった。イッキさんにも、そう言う時期があったのかもしれない。
「それは心配ないんです。了承済みと言うか……」
 父親は律儀に相棒まで説得していた。それも俺への話が終わるなりその場で呼び出させて事情を説明したのだ。実の父親ながらよく分からない人だった。
「そっか。じゃあ心配する事は何もない訳だ。後はいつにするかが問題だね」
 棚からシフト表を出すと、イッキさんは時間のありそうな日を教えてくれた。俺の方と言えば優先すべき用事も特にない。適当に候補をあげると空けておくと言う返事があった。

「時間とってすみません」
「良いよ、どうせ暇だったし」
 途中、何度かレジに入る事もあったがこのくらいなら忙しいとは言わないらしい。他の客がいない事を確認してお会計を頼むとあっという間に済ませてくれた。
 レジから出たレシートを取るとイッキさんはペンを取りだして裏に何か書き始めた。ずらっと英数字が書き並んでいく。アルファベットに弱い俺にも、それが何なのかくらいは判別できた。
「何かあったらここに連絡くれれば良いから」
 いつもなら受け取らないレシートを、差しだされる。一瞬、身を引きそうになるがしっかりと受け取った。変なうめき声が漏れ出ていたかもしれない。
「変な声出して、どうかした?」
 しっかり呻いていたようだ。
「あの、携帯がこわれ……いえ、何でもないです」
 言いかけた言葉を飲みこんで、にっこりと笑んだ。
 メダロットに魅入られ、経験を積み腕を磨いた数年だった。一回りも二回りも大きくなったに違いない俺だったが、相変わらず携帯の使い方は分からない。携帯電話と言うより、最早ただのメダロッチだった。
 何かあれば直接会いにくれば良いだろう。
 英数字の並んだレシートを握りしめて、店を出たのだった。