「イッキさん、聞いて下さいよー」
 いつものようにやってきた少年が、カウンターに乗り出していた。
 イッキは手を止めると「どうしたんだい」と優しく問い返す。少年、アズマは項垂れた様な仕草と共に口を開いた。
「コハクに負けちゃいました」
 何度か話に出てきた事のある名前だ、とイッキは思った。
 あまり友人の話をしないアズマが時折出す名前だった。今までの話しぶりから察するに、腕の良いメダロッターのようだ。
「決勝戦では勝てたのになぁ」
 溜息を吐くアズマにイッキは眉を顰めた。
 決勝戦、と言う事は何かの大会だろうか。そう言えばいつだったかデパートで大会があるとか聞いたような。何日か前にアズマがやたらと高いテンションで店にやってきた事があった。その時に優勝、なんて言っていたのを思い出す。
 そこまで考えた所でイッキはハッとした。
 気付けば、アズマに顔を覗き込まれていた。
「変な顔して、どうしました?」
「あ、いや、負けちゃって残念だったね」
「……」
 適当に取り繕うと、アズマはキョトンとした。けれどそれも一瞬の事。
「……そうなんですよ!」
 すぐに表情を一転させて何やら熱く語り始める。
「やっぱりコハクは凄い奴です。すぐ熱くなっちゃうオレとは違っていつも冷静だし、頭も良いから同じ戦法じゃすぐ通用しなくなっちゃうし、そもそもメダロッターとしての経験値が全然違うと言うか、そりゃあ始めたばかりのオレが勝てたのだってまぐれに近かったのかもしれないけど、オレなりに色々考えて一生懸命やってきた訳で、積み上げてきたものがコハクに近づいたのは確かなんですよ!でも今日は負けちゃったし、コハクは天才の名に恥じない素晴らしいメダロッターです。凄い良い奴だし、オレの事突き飛ばさないし、しかも何か凄く格好良いし、」
「アズマくん」
 どんどん上がっていくテンションと声のボリュームに危機感を覚えて声をかけた。アズマの声が止まる。
「オレをコハク教に入信させるつもりかい?」
 すぐには意味が理解できなかったのか、アズマは首を傾げた。
 少しの間、沈黙が流れる。「あっ」と言う声が一瞬沈黙を破ったが、またすぐに静かになった。
 アズマは俯いていた。僅かにのぞく肌に赤みが差している。アズマがどう考えたかは分からないが、意図は分かってもらえたようだ。
 褒めちぎるのも良いが、度を過ぎればただの惚気だな、とイッキは思った。
「で、何の用で来たんだい?布教の為に来たんじゃないんだろう?」
「い、イッキさん!」

 アズマは新しいパーツやお勧めのパーツがあれば教えて欲しい、と漸く本題を切り出した。


「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
 会計を終えてマニュアル通りの文面を述べる。
 アズマが購入したパーツはイッキが勧めたパーツではなかった。
 受け取ったお金をしまいながら、イッキはそれで良いと思った。自分の考えで選んだのだ。それはアズマが成長した証拠だった。
 メダロットを売って欲しいと駆け込んできた時の事を不意に思い出した。あの時、売ったのは間違いではなかった。イッキはその事が嬉しかった。

「うーん、まずは実戦で使ってみないと……誰かに少し付き合ってもらおう」
 携帯を眺めながらアズマは呟く。
「良い相手でもいるのかい?」
 尋ねるとアズマはにこりと笑んだ。
「海外選手がまだこの辺りに滞在してるんですよ!」
「海外選手?」
 聞き慣れない言葉に思わずイッキは問い返していた。アズマが目を丸くさせる。
「メダリンピックの、選手です」
「ああ、そうか」
 分かったと言うようなニュアンスを持たせたが、実際イッキは分かっていなかった。
 必死に記憶をたどる。幸い、耳にした覚えはあった。メダリンピックが開催される、と。
 しかしそれがいつ開催なのか、どこでやるのか、どう言った形式になるのか、全く記憶にない。しかもアズマの口ぶりからすると、それはもう終わっているようだ。
 少し前からイッキの勤務時間は異常に増えていた。思えば店も忙しかった。あまり見かけない外国人客もよく見かけた。メダロット社だとか研究所で何かやっているのかと思った記憶もある。
 漸く情報が結びつき、一つの答えが導き出される。それはイッキにとって驚くべき事実だった。
「じゃあオレ、もう行きますね。またお願いします」
 そう言って店を出ていくアズマの背中を見送りながら、イッキは危機感を覚えていた。
 働きすぎて、いつの間にか世間から切り離されていた事に。

 その日の夜、イッキは久し振りに情報通の幼馴染に連絡すべく携帯を開いた。
 充電が切れていたとか、未読メールや留守電が溜まっていたと言うのはまた別の話。