「あのさ」
 後ろから聞こえた声に顔を上げる。言葉の続きを促す代わりに振りかえると、携帯の画面に目をやったままの姿がそこにあるだけだった。真面目な話ではないらしいと結論付けて、傾けた顔を元に戻す。
「オレのどこが良いの?」
 続きを聞いて、どうでも良い話だと思った。
「言う必要、あるんですか」
「別に」
「じゃあ聞かないで下さい」
 それを伝える事で彼の中の何かが変わるのなら、包み隠さず全てを打ち明けても良い。しかし、興味本位で尋ねているだけならば何も言うつもりはない。
「何で」
「言ったら、押さえが緩みそうだから」
 気のない相槌が返ってくる。分からないとか興味がないと言うよりも、何かに想いを馳せているような音を含んでいた。
 それ以上、会話は続かなかった。


「思うんだけど」
 暫しの間をおいて、再び口を開いたのは彼の方だった。
「オレは、君が想うような綺麗な人間じゃないよ」
 どう言う意味なのかは、聞かなかった。聞いても関係のない事だ。
「良い悪いを決めるのはオレです」
「事実は、君の気持ちを変えてしまうだけの物かもしれない」
「ありのままの事実を受け取るとも限りませんよ。見え方なんてどうにでも変わってしまうものですから」
 ゆっくりと、息を吐く音が聞こえた。溜息を吐いたのだと、少し遅れて理解した。
 呆れたような声が、溜息に続く。
「そんなの、盲目になっているだけじゃないか」
 恋は盲目。そんな言葉が思考を掠める。
 見えないのは悪い事だろうか。そうは、思わない。
「良いんですよ、盲目で。幸せじゃないですか。盲目でいる方が」
 見えないままにしておく方が良い事だってあるに違いないのだ。
「目を背けている事が本当に幸せだと言えるのかい」
 お互いの顔を見ない会話。表情は見えない。どんな顔をして、こんな言い合いのような言葉のやり取りを続けているのか分からないままだ。
 それで良かった。見ていれば、もっと感情的になっていたかもしれない。
「全てを明白にして何かを失うよりは、ずっと幸せだと思います」
 彼が見ているのもほんのわずかな一面でしかないのだ、と。
 きっと、静かに紡いだ言葉の意味に気付いてもらえるはずだ。

「オレたち、何も知らないんだ」
 ぽつりと彼が呟くのをそっと聞き流した。