「別れの言葉を言いに来ました」
 突然、やってくるなり少年はそう言った。
 来店早々言うからには「さようなら、また明日」と言う別れではないのだろう。それならば、別れとは遠くへ行ってしまうような会えなくなるというものを意味するのか。例えば引っ越し、だとか。そんな話は聞いた事がないけれど。
 戸惑っているのが伝わったのか、彼はふるふると首を横に振って見せた。
「あ、違うんです」
 何が、と問う前に言葉が続けられる。
「いつか会えなくなる日がやってくるとして、それは突然やってくるのかもかもしれないじゃないですか」
「まぁ、急な事もあるかもしれないね」
「もし最後にイッキさんへ何か伝えられるとしたら何て言おうかって。ちょっと考えてたらどうしても言いたくなっちゃって」
 まだ幼い彼の口から出るには不釣り合いな考えだと思った。同じくらいの年の頃に、自分はそんな事を考えもしなかったはずだ。
 笑って流す事は難しくない。けれど彼の瞳があまりに真っ直ぐだったものだから、聞いてみようと言う気になった。
「うん。何かな」
 腰を屈めて顔の高さを合わせてやる。彼はにこりと笑った。
「オレ、イッキさんが好きです。それから、好きになれて嬉しいし、楽しい」
 迷いなく告げられた言葉はハッキリと耳に届いた。ほんのひと時、息が詰まった気がした。
 ……好きだと言われるのはこれが初めてではない。ただ今すぐ答える事はできない、と告げてある。答えまでは決して短い時ではない、だからできれば諦めて欲しい事。待つのならその間にもう少し考えてみて欲しい事。その二つも併せて。
 彼はいつになるかも分からない答えを待っているらしかった。長い時間をかけて諦めさせる事は出来たはずだ。でもそれをしようとは思わなかった。時折、こうして突拍子もない事を言ったりするけれど、いつも真っ直ぐでそこが嫌いではないのだ。
「そっか、ありがとう」
 一呼吸遅れて微笑みかけると彼は少し恥ずかしそうに俯いた。そしてすぐにくるりと背を向けてしまう。
「じゃあそれだけなんで」
「アズマくん」
 遠くなろうとする背中を呼びとめる。顔だけが振り返った。
「そう言ってくれるの、嬉しいよ。でも、少し悲しい」
 表情だけ窺って、またすぐに前へ向いてしまう。ゆっくりと遠のいていく背中を見つめて続ける。
「オレは最後の言葉なんて考えないよ。だって、アズマくんに会えなくなる時の事なんて考えたくないから」
 彼は自動ドアの前までくるともう一度こちらを見た。ドアが開く。
「イッキさんのそう言う所、ずるいです」
 そう言い残して、彼は駆けて行ってしまった。