「抱きしめて下さい」
消え入りそうな声で彼は言った。
まだ幼い彼をこの両手に収める事は難しい事ではない。ただ、どうして自分にそれを望むのか知らない訳ではない。だから、躊躇った。
そして、彼は躊躇うのを知っていたのだろう。
「いいんです、今だけで。気持ちも、何も望みません。今だけ、そのぬくもりを下さい」
間を空けずにそう続けて、こちらをちらと見やる。その表情が泣きそうなものに見えて、息を詰めた。
彼が震えているのには最初から気付いていた。ずっと、気付かないフリをしていただけで。
だって、こんな崩れてしまいそうな姿を見せられて、突き離せるほど非情にはなれない。
でも、その手を一度取ってしまったら。
「駄目だよ。きっと、誰も幸せになんてなれない」
「ずるいです。そうやって、またうやむやにするつもりですか。でも、そんな事させませんよ。オレは、今日で終わりにするって決めてきたんです」
彼はどこか疲れたように息を吐く。
しかし瞳だけは強い光を失ってはいない。それが、本気で言っているのだと嫌でも分からせてくれる。
「ねぇ幸せって何ですか。オレはずっとイッキさんの事、追ってきた。でも上手くかわされるばかりで進む事も戻る事もなく、ぐるぐると回っているだけ。もう、どうしたら良いか分からないんですよ。つらいんです。ねぇイッキさん、オレには幸せが何なのか分からないけど、このままでいる事が幸せに繋がるとは思えない」
「……」
「だから、終わりにしにきたんです」
自分に言い聞かせる為のものにも聞こえるその言葉は、一つの想いを終わらせるのには悲しすぎる響きを持っているような気がした。彼の表情を窺うと悲しげに笑うのが見えた。
「抱きしめて欲しい。これが最後の望みです。叶うならもちろん嬉しいですけど、できないならできないで構いません。その代わりに冷たく突き放して下さい。それで、終わりにできますから」
息苦しくなって、俯いた。喉が詰まるような感覚。声が、出ない。
つらい選択を迫られている、と思った。でも、それも彼に科してきた長い時を思えば大した事はないのかもしれない。よく今まで耐えてきたものだと思う。すぐ諦めてくれると考えていたのに、いつまでも真っ直ぐな気持ちで向かって来ていた。
「……選べ、ないよ……」
絞り出した声は情けないほどに小さいものだった。
それでも彼の耳には届いたようだった。彼が口を開く。
「少しでも同情してくれるなら抱きしめて下さい。それが出来ないなら応えられないってはっきり言えば良いんです。選ぶ、なんて事はありません」
「違う……違うんだ、アズマくん」
首を横に振ると彼は眉根を寄せた。
「オレには、君のいない未来なんて、……選べない。でも、だからと言って君の気持ちを受け止める未来も、選べなかった」
「どう言う、意味ですか」
「ごめん。今更こんな事言うなんて、卑怯だと自分でも思うよ。本当にごめん」
せめて笑おうと思った。でも頬が不自然にひきつっただけかもしれない。笑うどころか、泣いてしまいそうだった。
「オレ、アズマくんの事が好きだよ」
彼の目が見開かれる。しかしすぐにくしゃっと顔を歪めた。
「……卑怯です。本当に」