黒バス最新刊読めたー!
特別版とでも言おうか、DVDついてるやつも気になったけど、さすがにあれに4000円弱は出せないので通常版。

赤司覚醒ですねー。やっぱり僕司よりオレ司のほうが個人的には好きかな。あと前髪長いほう。つまり覚醒前が至高。
読む前にネットで聞きかじった情報から、赤司は二人いるってのがガチの多重人格というか解離してんじゃんなにそれ重いと思ったんだけど、読んでみたらわりと思ったより二次元ぽくてちょっと安心した。
漫画の多重人格ってアレルヤとか、こち亀の本田さんみたいなのしか見たことないからそれに比べれば現実的だけどね。

こう…赤司家まじエリートすぎてお父さんのプレッシャーぱねぇとか。勝つことが絶対ってのはお父さんからの影響が少なからずあるんだろうなぁ。学業においては入学してからの定期テストは全教科学年首位だそうですよ。羽川さんじゃないけど、それってどんなプレッシャーかしらね。
さらに紫原の謀反。相手がチームメイトであっても、負けることはつまり赤司が間違っていたということ。間違っていたとしたら、それまで正しさを追い求めて勝利によって裏付けをしようとしていた赤司をどれだけ追い詰めるか。敗者はすべてを否定される、つまりは下手すれば赤司の存在否定ですよ。

負けそうになった瞬間、僕司の誕生ですよ。
オレ司は負ける、そこで赤司が取ったのはオレ司を切り捨てて僕司になること。間違っていた赤司はもういない、赤司征十郎は間違わない。間違っていたのは別の人で、自分じゃない、と。
そして無事に紫原を下した赤司さんは正しさを証明されたわけですね。この過程を見るに、ばりばりの解離っぽいけどね。赤司のとーちゃんって結構な毒親っぽいし。

今、手元に『不幸にする親』があります。赤司父の描写が少ないので推察も交えながら。
まず「完璧主義の親」。学業に専念しなければ首位とれないなんてのは雑魚扱いするお父さんです。普通に学業オンリーでも首位取れないやつがどれだけいるか。「すべてに秀でてこそ赤司家の人間」という強迫観念的な発言からも完璧主義者の匂いがしますね。羽川もそうだけど、赤司もまた幸か不幸かそれをなし得るだけの力があるものだからまた。
もしも赤司が首位をとれなかったらこのお父さんは赤司を叱ったり機嫌悪くしそう。全中優勝、学業も首位の報告をした息子に対して褒めることもなく「…フン。ならばいい」だぜ。これはそこはかとなく「子供の幸せを取り上げる親」の匂いもしますね。
さらに23巻に遡りますが、帝光に入学した赤司を校門まで送り届けるように指示が出ていたようです。「学校ぐらいオレの自由にさせてくれ」という赤司の台詞からも、干渉されまくってるのかな?というのが読めますが深読みしすぎかな。「かまいすぎて子供を窒息させる親」に見えなくもない。もしくは「カルトのような親」かな。

ちなみに、こうした親の影響は以下の形で子供に見られるそうです。

○完璧主義の親
・わき起こる感情の持って行き場がない
・自分が「どんな人か」ではなく、「何をしたか」によって価値を測られると感じる
・いつも追いかけられ、強制されているような気がする
・後になって「ああすればよかった」と思ったり、自己不信に陥ることがよくある
・抑うつ感がつのる

○子供の幸せを取り上げる親
・自己不信感が増す
・抑うつ感がつのる
・物事に対する期待や自信が持てない
・「自分は愛情に欠けていて、人からも愛されない」と感じる
・人とつき合う能力の発達が遅れる

打つのめんどいからとりあえずここまでにするけど。

どんな人かではなく何をしたかで判断とかしそうだなぁ。自分自身に対して。だから一度の敗北も許さないのかなぁと。
抑うつ感はまぁありそう。特に描写されてないけど。

ここから個人的推察という名の妄想。
「全てに勝つ僕は全て正しい」と宣った赤司様なので、さぞかし自信がおありなのかと思われそうだけど、上述によると自己不信だとか自信が持てないとか書いてある。
実は裏返しなのか?
この本の中に、こんなことが書いてあります。

人間の行動の、非常に興味深いことのひとつに、「弱みがあると、それと正反対の行動をして補正しようとする」というものがあります。

そしてこんな風に続きます。「たとえば、自信がなくてひけ目を感じている人が、ことさら格好をつけて実際の自分より大きく見せようとしたり、」と。
赤司は自分自身を信じていないと仮定する。自分は本当に正しいのか?そこに自信がない、つまり弱みでありひけ目です。それを補正するために出た発言が「全てに勝つ僕は全て正しい」だとしたら。そしてそれを真実にするために勝利に執着しているのだとしたら。
こう考えると勝利することは赤司にとって命綱なのかもしれませんね。


ただ、赤司の場合は第二の人格であるところの僕司が少なくとも一年以上も表に出てきたままってのが解せぬ。そんな長いことあるのかなぁ。もっとサイクル短いイメージ。そうさな、緑間が帝光時代に時折僕司の片鱗を見ていたけれど、あっちのがまだ現実的に見える。
と言っても所詮私の考察なんて本を読んだ程度の独学だから理解違いとか的外れなこと言ってる可能性も多分にあるんだけどね。しかしついったーにいる某黒バスクラスタ、しかも心理学を専攻してると見える方もこれについて考察してて、その人曰く、人格が僕とオレの二人だけってのが気にかかるらしい。解離だともっと多くて何人もの人格があるケースが多いそうな。

まぁ赤司が解離かは置いておいても、別の人格が出てきたことは事実です。
ここで気になるのはオレ司の行方ですね。意識の奥深くで眠っているだけなのか、はたまた僕司誕生とともに消えてしまったのか。

漫画のストーリー的には眠っているだけな気もする。オレ司は勝ちにこだわりつつも道理とかも勘案してたのに対して僕司は勝ちさえあればスポーツマンシップなにそれおいしいの?だったから少年漫画的にも「良い人格」がどちらかといえばオレ司だと思うし。悪い奴に良い奴が食われたまま終わるのかなっていうね。まぁ赤司を完全に悪い奴としてぶちのめすだけなら別だけど。

WCの誠凛戦が鍵かなと。
誠凛に負けて僕司が間違っていたところでうちひしがれる赤司に「ボクの力を見出だしたのは君(オレ司)だから、そのボクが勝ったってことは君は正しかったんですよ」的なあれでオレ司と僕司がうまいこと統合されるとか。まぁ負けそうになって第三の人格覚醒でもいいけどそしたら終わりが見えない。
ネットでよく見る予想としては、天帝の眼は僕司の能力だから負けそうになったらオレ司の能力が出てくるだろうとか。それもありそう。

いずれにせよ、誠凛戦で赤司の人格に何かしらの動きはありそうかな。