マサさんと俺は彼女の話を聞き、それまでの経緯を全て話した。マサさんの目は怒っていたが、ふうーと息を大きく吐くと口を開いた。「これは一種の呪詛ですね。家の代々の守護神を祭神にして、自分の妻を生贄に娘を呪物に仕立てた悪質な呪詛だ。しかも、特定の人物ではなく朝鮮人なら誰でも良いといった無差別のね。更に、呪詛はあなた自身にも向けられている。お父上は相当な力をお持ちだったようだが、その魂は地獄に繋がっているようですね」呪詛は呪詛を掛けている事、掛けている人物が割れると効力を失うそうだ。容易に呪詛を返されてしまうからだ。しかし、本件では呪詛を仕掛けた本人は既に死んでおり、しかもその力は強い。先ほどから襖の向こう側から猛烈に嫌な気配が漂って来ている。マサさんは女に「奥の部屋に仏壇か遺骨がありますね?」と尋ねた。女は仏壇がありますと答えて、襖を開けた。俺は思わず「うわっ」と言った。マサさんの「井戸」の周りで「観た」ものと同質の、目には見えないものが仏壇から溢れ出てきていた。これはやばい!マサさんは女に位牌と父親の写真を額から出して持って来いと言った。そして、母親の写真を持って俺と一緒にキムさんの家へ行けという。状況がかなりやばいことだけは判った。恐らく、マサさんの言葉で呪詛が破られ、悪霊の本体が動き出したのだ。俺は女の手を引いて表で待っていたキムさんの車に乗った。キムさんはすぐに車を発進させた。キムさんは凄いスピードで車を走らせる。片側2車線の大通りの交差点を赤信号を無視して突っ切る。背後の交差点からブレーキ音が聞こえる。信号を3つほど進んでキムさんが車を止めた。結界の外に出たらしい。女の部屋を訪れる前に、俺がキムさんの家で寝込んでいる間に、土の露出した土地を探して、出来るだけ形を整えて結界を張ったのだと言う。市街地ゆえに結界が予想以上に大きくなってしまったらしい。


キムさんの家に着くと、俺の腹の中や皮膚の下で蠢く虫のような感覚は消えていた。体が異常に軽い。こんなに体調が良いのは何年ぶりだろう?女の顔も血色が良くなっている。マサさんは翌朝キムさんの家に現れた。マサさんは女に「お母様の供養をしてあげてください。それと、神棚を作って実家で祀っていた神様を大事に扱って下さい。あなたのことを守ってくれるはずですよ」と言った。女を家に送って部屋を確認すると、これが同じ部屋かと思うくらいに雰囲気が明るく変わっていた。位牌と女の父親の写真も無くなっていた。父親の霊がどうなったかは聞かなかったが大方の予想はついた。マサさんは道具を整えてもう一度「念のための」儀式を行ったが、悪霊の類は食い尽くされて残っていなかったそうだ。

俺とマサさんは前と同じように車を乗り換えながらPの待つあの場所へ戻った。

Pの話だと、マサさんが女の部屋を祓った晩、井戸から耳には聞こえないが頭の中に響き渡るような地獄の底から響いてくるような低い「鳴き声」が聞こえたそうである。そして、朝になると体からすうーっと何かが抜け出ていったのを感じたのだという。それは、井戸に吸い込まれては行かなかったらしい。土地と俺達の縁を切る儀式を行い、俺達は歩いて結界を越えた。まるで何もない土地であるかのように、今度は何の抵抗も感じなかった。

俺たちは、往きに立ち寄った電気量販店の駐車場でキムさんの車を待っていた。車の中で、俺「あの仏壇の中身は、今は井戸の中なのですか?」マサ「ああ」P「井戸から聞こえた声は?」マサ「鬼の哭き声だ」「あの井戸の中身もいつかは浄化されて消えて無くなる日が来る。奴らもその日を待ち望んでいる。その日はまた遠くなったけれどな。お前達に憑いていた悪霊の声なのか、井戸の中にいたものの声なのかは俺にも判らないよ」「で、久しぶりの娑婆だ。お前達、何がしたい?」P「酒」俺「女」マサさんは鼻で哂った。キムさんの車がやってきた。俺達はマサさんの車を降り、去ってゆくマサさんを見送った。

終わり