ゆいなん。
2017-2-25 22:30
白い温度
*白い温度*
光が天井を這うように部屋を染めていた。
時間を確かめて、窓のほうを見上げる。外が暗い。天気悪いのかな?
カーテンの端を持ち上げて覗きこむと、まぶしいほどに真っ白だった。
雪だ。空一面の雲と、冷たそうな風の中で白い雪の粒が降っている。
雪だ。空一面の雲と、冷たそうな風の中で白い雪の粒が降っている。
ほんのわずかな時間でも、布団から伸ばした腕より先がこわばった。
隣の彩奈にぴったりとくっついて、グレーのパーカーの下に小さな輪郭を確かめた。
「んん?」
突然の感触で目を覚ましたらしい。彩奈の唸った声が、ぼこぼこした骨の振動で伝わる。
「雪降ってる」
背中に報告すると、彩奈はくるりと寝がえりを打つようにして窓のほうを見た。
「ほんとだ」
そのままこっちを向くと、頭まで布団に潜り込んでいる私を抱き寄せた。
見上げて目が合うとまぶたのあたりにキスをされて、髪を撫でられた。
昨夜貸したアディダスのパーカーにはもうすっかり彩奈の匂いが沁みていて、彩奈が身体を動かすたびにそれがよくわかった。
私とは違うシャンプーと、かすかな香水の匂い。
寝起きの鈍い体温に包み込まれて、潤うように肌があたたまっていくのが心地良かった。
ケータイの通知が鳴って、私を抱きしめたままの彩奈が明るい画面を眺める。
1秒でも寂しくて、邪魔してやろうと後頭部のあたりで手をさぐるように振ると、固い無機質な感触が手の骨にコツンとぶつかった。
「ねーえ」
ふいに目が合う。ちょっと驚いた彩奈の目。
自分で気を引いたものの、次にどうしたらいいかわからなくて布団のもっと奥に沈んだ。
「何?怒ってるの?」
「別に」
二人の声があることを除くと、雪の世界の中で部屋はしんとしていた。
外は寒いっていうのに、顔がとても熱い。
「甘えん坊さんなの」
「うっさい」
「かわいーい」
顔を見られないように胸のあたりにおでこを寄せた。
何度かこすりつけるようにして落ち着く場所を探す。
彩奈の空いているほうの手が、今度は頬や唇を撫でてきた。
頬にはりつくその手の甲を握ると、肌が柔らかくて少しひんやりしてる。
掌の形を確かめるように、指の先で撫で合うみたいにしてゆっくりと絡めた。
くすぐったくて、でも心地良い。うとうとしていると、ふいに昨夜を思い出して少し恥ずかしくなった。
なんだかとても安心できて、頭の後ろがぴりぴりした。
ずっとこうしていたい。きっとその気持ちは彩奈も同じだろうと根拠なく信じている。
もし永遠というものがあるとしたら、今みたいな時間がずっとずっと続いてほしいと思った。
しばらくそうしてすると、閉じたドアの向こうからママさんの声がした。
少し遠くから呼びかけているようで、それをうまく聞き取った彩奈は、ママさんには絶対に聞こえてないだろうって感じの声で返事をした。
少しして玄関のドアの音がして、出かけていったみたいだった。
二人の時間が途切れて、彩奈はちょっと不満そうに頬をふくらませていたけど、私たちもそろそろドアの向こう側に戻っていかなきゃいけない気がしていて、もう朝が終わろうとしている今、そのきっかけをどこかで探していた。
「そろそろ起きようよ」
「やだ」
しがみつくように腕に込める力が強くなった。
まったく、どっちが年上だか本当にわからないな。
「おなか空いたよ」
そんなに密着されたらおなかが鳴っちゃうじゃないか。
さっきからギュルルルって鳴らないように、頑張っておなかに意識を集中させているのだ。
どこかに出掛けるわけではないけど、せっかくの二人でいられる時間をゴロゴロ過ごすのはもったいない気がする。
説得の末、結局「せーの」なんて言いながら同時に布団を出た。
寝起きの部屋の空気は雪の日の朝らしい寒さで、思わず小さな背中に抱きついた。
一緒にいればいるほど、離れるのに時間がかかる。
床に落ちた靴下を拾って、部屋着に着替えた。
アディダスのパーカーは彩奈が着たままで、私は彩奈の部屋着を借りた。白いニットでフードがついてて、アクセントで太いグレーのラインが編まれている。羽織ると、彩奈のうちの柔軟剤の匂いがした。
部屋に鍵をかけるみたいにもう一度キスをしてから、リビングに下りた。
数年ぶりにおじゃました篠崎家は昔とあんまり変わっていなかった。
もなかのケージとかおもちゃが増えたくらいで。
「何作ろうかなぁー。何がいい?」
彩奈の生写真が何枚も貼ってある冷蔵庫の引出しを指して「こ」まで言いかけると悟られたらしい。
「氷は料理じゃない」
ですよね…
何でもいいけど、何でもいいは難しい。
彩奈は考えてながら台所の棚と冷蔵庫の中を点検している。
一緒になってキッチンをうろうろしていると、マグカップを見つけた。
流し台のところに置きっぱなしになっていて飲み終わったのが水に浸されている。ママさんかな。
…あ。
「ココア飲みたい」
彩奈は近くの棚からココアの袋を引っ張り出して、牛乳パックを持ち上げて重さを確かめた。
「いけそう」
ミルクを適当に量って、小さくてちょっと深いフライパンみたいなお鍋に注ぎ入れた。
「レンジじゃないの?」
「こっちのほうが美味しくなるから」
「同じじゃん」
「違うんだなぁ」
慣れた手つきでコンロに火を付けて、火加減を確かめた。
チッチッチッチッって音がして火がつくと、彩奈にもスイッチが入ったようにきびきびとキッチンを動きだす。
スプーンとマグカップを出して、ポットのお湯を確かめた。
私も何か手伝いたくて隣に立ってはいたのですが、
「いいよ、座ってて」
なんて言いますので、
「うん」
「なに?」
「寒い」
適当な理由を付けて、小さな背中を抱きしめた。
少し邪魔なフードをくしゃりと押し上げると、首の後ろがとてもあたたかくて、頬やおでこを付けた。
髪の奥から彩奈のシャンプーの香りがする。
「ねえなにー?」
ちょっと照れたような声が鼓膜を震わせた。
「今ニヤニヤしてるでしょ?」
「えー、してないよー」
「その声はしてるね」
わかりやすい。
肩にあごをのせて彩奈の手元を覗きこむ。邪魔にならないように腕の位置をずらした。
彩奈の手に持った木べらが、オールみたいにミルクを漕いでいる。
「これにココア入れるの?」
「あとで合わせる」
「ふーん」
彩奈の手が大きく動くと波がたぽんと鳴って、海が割れたみたいに鍋の底が見えた。
小さなミルクの海が温まっていく。
「ちょっと替わって」
そういってオールを手渡され、今度は私がミルクを漕いだ。
そのままただ火にかけておくんじゃダメらしい。ゆっくり、優しく混ぜる。
ミルクは真っ白なはずなのに、ずっと見ているとだんだん白に見えなくなってくる。
白は白でも、雲とも雪とも違う。
外の白は寒そうだけど、お鍋の中の白は熱い。
彩奈はココアの準備を始めた。
お湯をスプーンで少しだけ足すと、ぼんやりと白っぽかった茶色い粉が、マグカップの底で生き返ったみたいにきらきらと反射する。
「ココアだ」
甘そうな予感がする香りが漂ってきた。
こうしておくと、ミルクによく溶けるんだって。不思議でじっと見てしまう。
「ほら、よそ見しないの。危ないよ」
注意を言う彩奈の手が、コンロの火を少し弱くした。
「手間かけますねぇ」
「まあね」
「お店のココアもこんな感じで作るのかな」
「どうだろ、そうなんじゃない?」
ふつふつと浮かんでくる細かい気泡が、白い波でゆるやかに消える。
お鍋のなかの白い海。
白い空と、白い結晶。
彩奈はおたまを探している。あるはずの場所に見あたらないらしい。
外の空気も、窓のガラスも、木べらもちゃんとその温度を感じているのかな。
目で見るだけでは全然わからない。
ぼけっとしていると、その白の温度を確かめそうになるから、うっかり触らないようにお鍋の持ち手を握る指先に力を込めた。
火にかかったお鍋は熱い。だから牛乳も熱い。
雪は冷たい。だから外も寒い。
確かめてないのにわかる、白の温度。
彩奈の手は私より少し冷たかったけど、手を触らなくても私のこと好きだってわかるしな。
別に手で触らなくてもわかるけど、好きだと確かめたくなるしな。
…でもなんで、触らないのに温度がわかるんだろう?
あれ、なんかへんなこと考えてた?まあいっか。
おたまを見つけるのを諦めたらしく、お鍋を傾けてミルクを丁寧に注いだ。
こぽこぽと音を立てて気持ち良さそうに流れていくミルクが、ひやりとしたマグカップを満たしていく。
スプーンの先で底にたまってるココアを擦るように混ぜると、空気を含んだ白が少しずつ優しいブラウンに染まった。
本当にほんの少しずつ混ざっていくから、色の変わっていくのがわからない。
でももうすっかりココアの色。
白っぽいけど白くはない、湯気の向こうの甘い香り。
「熱いから気をつけてね」
「はーい」
2人分のマグカップを持ってテーブルにかけた。
彩奈はまだキッチンで何かしているから、それが見えるように椅子に横向きになって座る。
テーブルの下で何かを蹴飛ばした感触があって、足元の床を見た。
くたくたのぬいぐるみが落ちてて、拾い上げてからぎょっとする。
破けたところから綿が出ちゃっていたから。
破けたところから綿が出ちゃっていたから。
「なんじゃこれ」の声がこわばったせいで彩奈が気がついて「それ、もなかのだ」と遠くで言った。
おもちゃが集まる缶のあたりにそのぬいぐるみをひょいと放り投げて、そのままぼんやりとケージを眺めていた。
もなかはママさんとお出かけしてるらしくて、ケージは空のまま、誰もいない。
後ろからは流し台で水の流れる音がする。
「ぬいぐるみあげてもね、噛んですぐダメにしちゃうんだよ」とブツブツ言ってる彩奈はなんだか嬉しそう。
もなかが大好きなんだ、と思う。
もなかが大好きなんだ、と思う。
マグカップの持ち手を握っている指の背中から、じりじりとミルクの熱が伝わってくる。
その熱はお布団に入ってた時と同じあたたまり方がする。
なめらかで、ふわふわしてて、じんとする。
水が止まるとまた急に静かになった。
窓の外の雪が全部吸いこんじゃったみたいだった。
冷たいはずの雪の粒があいかわらずくるくる舞っていて、飽きたころに地面に落ちて土を白くしていく。
「ココア、どう?」
「おいしい」
でしょー?とか言って得意げに笑うんじゃないかなって思ったけど、彩奈は何も言ってこなかった。
隣に並んだ椅子に座って、私の背中にもたれかかった。
背中に感じる彩奈の温度。
この温かい温度は、もなかのことが好きで、私のことを好きでいてくれる。
お布団もミルクもマグカップも温かいけど、違うんだよ。なんでだろう。何が違うんだ?
どうしてこんなに愛しんでくれるんだろう?
あまりにも静かだから、自分はちゃんとここにいるのに全然違う場所へ流れていってしまいそうで、どこかに行ってしまわないように彩奈の手を探した。
腕の感覚をよく意識すると他の場所よりあたたかくて、彩奈が腕を軽く組んでいるのがわかった。
指先を泳がせて、後ろ手でパーカーの袖を探って、握りしめた。
白いニットの袖が掌の下で潰れて、彩奈の少し低い体温をゆっくりと通した。
「あったかい」
彩奈の指が追いかけてきて、ぎゅっとする。
何気なく振り返ると目が合って、気持ちが戻ってきた。
何気なく振り返ると目が合って、気持ちが戻ってきた。
彩奈はさっきからじっと私を見ていたようだった。
「ねぇ彩希マジどうしたの?」
「いいじゃん、寒いの」
理由なんて聞かないでよ、ないんだから。
あまりによくわからない言い訳をしてしまったけど、そう思ったのが声に少し混ざって溶けた。
真っ白じゃなくて、ちょっと淡い何かで染まったみたいに。
「もなかいないもんね」
「そうですね」
「ひとり占めだ」
いいでしょ、たまには。
気恥ずかしさとか、ちょっとした嫉妬とか甘えたさとか、そういうのは外の白が全部吸いとってくれるから。
ここに残るのは、彩奈と私の温度だけ。
*おわり*
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