ゆいなん
affogato
affogato
「彩希は?」
「私いい」
「えー。何か頼めば?」
「うーん…じゃあ」
ぶどうジュース。
「ここのぶどうジュース美味しいよ」
彩奈は控えめに手を挙げて、呼びとめたウエイターに2人分の追加注文を伝えた。
「本当にいいの?ジェラートどれも美味しいのに」
「いい。結構おなかいっぱいになったし」
ちょっと多めかもしれないと、パスタを2人で分けた。
お皿とフォークを1セット頼むと、ウエイターがわざわざお皿に2人分を取り分けてくれた。
彩奈がフォークとスプーンで食べ始めるから「イタリアではスプーン使わないんだよ」と教えてあげたのに、「だって食べづらいじゃん」と言ってずっと二刀流でパスタを食べていた。
スプーンも使って食べるほうが難しいと思うんだけどな。
大学の友達と来たお店なんだって。
家と劇場を往復する生活だと会うのはメンバーと馴染みの友達だけになるし、わざわざこういう静かな街のおしゃれなお店に来ることもないなぁ。
パスタは思ったよりもずっと美味しくて、もうちょっと食べれそうな気もするけど、今はもういいかな。
彩奈はといえばデザートも頼むくらいだから、よほど口に合ったお気に入りのお店なんだろう。
「何頼んだの?」
「これ」
透明なピンク色の爪さきがメニューの文字を指す。何語だ。
「あ、ふぉ、がとー」
「アフォガート」
「アホガード?」
「アッフォガート!」
ウエイターが注文したものをトレイに載せてやってきた。
アフォガートだ。
彩奈の前に置かれたプレートには、銀の足付きの器に盛られたアイスクリームに、ミルクポットが添えてある。
プレートを覗きこむと、温かいコーヒーの香りがする。
「それコーヒー入ってるの?」
「そうだよ」
「食べれるの?」
「これは美味しいから大丈夫」
彩奈が小さな白いポットを傾けると、エスプレッソが、まん丸に盛られたバニラアイスの上をすべるように流れていく。
熱いコーヒーは真っ白なアイスクリームを溶かしながら混ざりあって、カップの中に甘いブラウンを広げる。
ゆるく崩れたアイスにスプーンを入れて、溶けだしたクリームも一緒に掬って、口に運ぶ。
うん、と言った彩奈の口元がほころんで、美味しいのがわかる。
おしゃれだな。こんなデザートがあるのか。
「食べてみる?あーんして」
「自分で食べるからいい」
「冷たーい」
「もらうよ」
テーブルの細長いカゴに残っていたスプーンをとって、その先で少しだけ掬った。
コーヒーとアイスの混ざる感じ。熱い苦さと、冷たい甘さ。
バニラアイスのほうが強くて、濃いめのコーヒーのほのかに温かい苦さがあとから追いかけてくる。
「カフェオレみたい」
「カフェオレじゃないよ。ミルクじゃなくてアイスだもん」
カフェオレはバニラっぽくはないし、アイスクリームのとろっとした感じもない。
食べたことありそうでなかった、初めての味。
大口で食べたらすぐなくなっちゃいそうな量を、彩奈は大切そうに、小さなスプーンでちょっとずつ食べる。
もらった一口の甘さが引いた後で、ぶどうジュースを飲む。
いつも飲む種類のジュースと違って、そんなに甘くないしさっぱりしていて、とってもぶどうの味がする。
はたから見たら、ワインを呑んでるように見えるかな?普通のかたちのグラスだし、ストローも刺さってるけど…。
「美味しいね、これ」
「でしょ?あとで一口ちょーだい」
間接キスだね、と彩奈が最後に嬉しそうに言ったのは、なんて答えたらいいのかわからなかったから適当に相槌を打った。
仕事が一緒になることが少なくなったから、募る話はたくさんあって、
久しぶりにこうして2人の時間を作れたことが嬉しくて、楽しみだったはずなのに、
いざ会ってみると目を合わせるのも一呼吸必要なくらいに緊張してしまったりして、年に一度会う親戚みたいな感じになってる。
彩奈は最近あったこととか、飼い始めたもなかちゃんのこととか楽しそうに話していて、
私も話したいことは山ほどあるはずなのに、さっきからストローでジュースを吸い上げながら、うんうんと話をひたすら聞いているだけ。
話せる隙はあるのに、喉の奥に詰まったまま言葉になって出てこない。どうしてだろう?
気づけば窓の外が真っ暗になっていた。
時計を見ると待ち合わせてからだいぶ経っていることを知って、そろそろ出ようかと言ってからもテーブルに会計伝票が届くまでの間しばらく話をして、それが弾んでまた少し長居。
空のグラスは、いつの間にか氷がほとんど溶けていて、最後に口を潤そうとすすったそれは、ほのかにぶどうの味と色を残した水になっていた。
お会計を済ませた彩奈の隣に並んで、駅までの道を歩く。
なんだかいつもより歩調が早く感じられて、懸命に後を追う。
なにもかもが大人っぽかった。こんな世界があるんだ。
会わない間に、知らない場所へ、彩奈の世界が広がっていってる。
思うように活動できない彩奈のほうがよっぽど苦しいはずなのに、
私はといえば、行き場を失った自分の気持ちに溺れている。
傍にずっと居たいのに叶わない実際と、何もしてあげられない無力さと、そんな自分を愛してくれる彩奈の優しさに、溺れてる。
「彩希?」
あれ、何も聞いてなかった。何か話しかけていたのかな。
不思議に思った彩奈が前にまわりこんできた。なんかへんだなーって思ったんだよ、今日ずっと。私の両手をとって腕をさする。
「どした?」
うまく言えなくて、ぐずるような声になってしまったのが恥ずかしい。
唇をかみしめて、彩奈に抱きついて顔を隠した。
なにー?とニヤニヤした声が耳元でしたけど、すぐに彩奈はそれ以上何も言わなくなって、ぎゅっと抱きしめられる。
「なぁに?」
もうばれてるのに、ばれないように何度か深呼吸をする。
恥ずかしさと意地でうまく言えなかった気持ちが、彩奈の腕の中で少しずつ柔らかくなる。
「今度はいつ会える?」
「いつでも会えるよ」
「帰るのやだ」
「私も」
「一緒にいてよ」
「うん」
「さびしい」
唇にそっと重ねられたキスを、素直に受け入れる。
彩奈の温度が私を溶かす。胸の奥にあった不安をゆっくり溶かしていく。
ぎゅっと締めつけられるような切なさと、それをほどくあたたかさ。
気持ちの通い合った幸せな甘さと、それに輪郭と影を与える苦み。
彩奈の親指が、私の濡れた目じりをそっと拭いた。
少し困ったように微笑んで、「またご飯行こ」と言った。頷くと髪を撫でてくれた。
夜の風は涼しくて、ちょっと火照った肌を冷やしてくれる。
最初からこうやって甘えられたら。もっと素直で居られたら。
fine.
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