これからゆきりんworld *4
*4
大きなクラクションが、半音ずつ変化しながら響いた。
危険を感じて、音のするほうから顔をそむけてしゃがみ込んだ。
何か得体の知れない大きなモノにぶつかったような風圧が、身体の周りを通りすぎていった。
わたしは死んだのかもしれない。
けど、いつまで経っても何の衝撃もなかった。
顔の神経に意識を集中させると、やっぱり目はちゃんと開けることができる。
「…え?」
今度はそう異常な移動はしなかったみたい。
このおかしい世界に、ちょっとずつ思考回路が追いついてきた。
ここは秋葉原。ドン・キホーテのビルの裏口に立っている。
意識をなくしただけで、エレベーターを降りてここまできたのかもしれない。
覚えてないだけだ、きっと。
さっき通ってきた地下水道みたいに真っ黒な空が、わたしの頭上にある。
雨が降っていたのかじめっとした冷たい空気。
やけに静かだ。
思えば、公演の直後なら出待ちの人たちがいるはずなのに…。
そこで“異常”にようやく気がつく。
人がひとりもいない。
狭い車道をはさんだ向かいのビル。
1階に入っているお店は、照明も看板のネオンも付いている。カフェのテラスのテーブルも出されたままだ。
道筋を示す青いライトが規則正しく並んでいる。
楽屋に戻ればいいものを、なにを思ったのかわたしは秋葉原電気街の表通りに出た。
人影もない。車も通ってない。けど、どこからともなくザワザワと街の音がする。
それさえあればそこが“いつもの”街なんだと言いたいかのよう。
「ひーめっ」
ガードレールの上から、無邪気な声。
「さえちゃん!」
小さなさえちゃんがそこにバランスよく立ってる。
おもわず駆け寄った。小さくて抱きしめられないのがちょっともどかしい。
「どこ行ってたの!」
そう口に出してみると、声が震えて一瞬でムッとした気持ちがこみ上げてきた。
このよくわからない世界が不安で仕方なかったんだなと、自分の気持ちにいま気がついた。
小さなさえちゃんも、エヘヘと笑ってみせるだけで、わたしの質問にはやっぱり答えてくれない。
「もうすぐパーティーが始まるよ。」
「パーティ?どこでやってるの?」
「どこかに入口があるはず。」
「いりぐち?じゃあ、探さなきゃね。」
ヘンテコな会話にも慣れてきた。波長を合わせられる。
わたしは小さなさえちゃんを肩に座らせて、まっすぐに伸びる大通りを歩きはじめた。
「看板があるはずだよ。」
「どういう?」
「“ゆきりんが楽しいところ”って書いてある。」
「そんなに親切な看板ってあるものなの?」
「そりゃーねぇ。」
アスファルトからは雨あがりの匂いが立ちこめた。
外灯やネオンの光を反射して黒々と細かく光る。
ところどころ水たまりができている。しっかり降った雨だったらしい。
「ほら。」
小さなさえちゃんが指さす先には、青い看板。車に方面を伝える道路標識だ…本来なら。
「書いてあるでしょ?」
見間違えじゃない。
直進を示す大きな矢印の隣には、たしかに白い丸い文字で“ゆきりんが楽しいところ”と書いてある。
「本当にここ、わたしの世界なんだね…。」
「やっと実感わいてきた?」
さも得意そうに言った。
「本当に楽しいのかな。」
「あったりまえじゃーん。」
「だってさ、」
前に進む力が抜けてしまって、ふと脚が止まった。
楽しいはずがない。
ひっかかる。さっき目の前にあった光景。
「さっき鏡で見たのは、なんだったの?意味わかんない。さえちゃんも見てたでしょ?」
「何だとおもう?」
「わからないから聞いてるんじゃん!じらさないでよ!」
「わからないはずないよ。だってここは」
高かった声のトーンがぐっと真剣になるのがわかった。
「ひめの記憶の世界なんだから」
「だから?」
「あれはひめが直接記憶してなかった“過去”だよ。だから鏡の中に見えたんだ。」
答えも答えになってない。わたしが理解できていないだけ?
口を尖がらせたまま、また歩き始める。
「わたしが知らなかった過去なの?」
「知らなかったんじゃない。ちゃんと見てなかっただけ。」
さえちゃんと話していて、こんなにムッとした気持ちになるのは初めてかもしれない。
どうしてだろう?
「てかさ、こわくないの?」
「どういう意味?」
「楽屋の鏡を見た時はこわがってたのに、居るはずのないこんな小さな人間には全然こわがってないじゃん。」
言われてみればそうだ。
覚えている限り、ゆっくりお風呂につかっている時から、小さなさえちゃんには何の不思議も感じなかった。
普段から小さいおじさんやおばさんを見ることがあったからかもしれない。
けど、さっきの鏡はそうじゃなかった。
みんなその場所にいるのに、私にしか見えなかった。
「うちのことは、見たいから見えてるのかな。」
小さい頭をかきながら照れてるのを隠そうとしてる。
じゃあ、わたしが鏡に見たあの光景は…
「…あれ?」
ちょうど真横にあったわき道のほうを見る。反対側の、垣根と道路のほうを見る。
ドン・キホーテを出て左手にずっと歩いてきたのに、街の景色がまったく変わっていない。
道の先には信号がいくつかあって、ビルが並んでいて、中央線の高架線がみえる。
なのにいつまで歩いても、何にも近づいていなかった。いま気づいた。
「わたしたち、ずっと歩いてたよね?」
「歩いてたよ。」
「どうして進んでないの?」
「目的地がはっきりしてなかったからだよ。」
え?とキョトンとした顔を突き合わせた。
小さいさえちゃんの顔は、わたしの鼻先をかすめるほど近かった。
「パーティーでしょ?よく知らないけど。」
「歩いてれば入口にたどり着けると思ってたでしょ?」
「思ってた。」
「だーめー。」
全然だめ。わかってない。また得意げな顔をして、ぺらぺらと小さい手を振る。
「はい、目を閉じる。」
その小さい小さい手がわたしの左のまぶたに伸びてきて、半ば反射的に目をつむった。
小さい小さい掌なのに、そのあたたかさははっきりと感じられた。
小さい小さい熱に、氷が溶けていくように不安が消えて、不思議と安心できた。
「イメージして。どんなパーティかな。」
「わかんないよそんな」
「なんでもいい。こんなのあればいいなって感じでいい。」
またちょっとだけムッとしながら、でもちゃんと思い浮かべる。
「うーん…ゆっくりお茶したいな…」
「招待の看板はどういうの?」
「おしゃれなのがいい。」
「どんな?」
「小さな黒板。木の台みたいなのに乗っかってる。」
「はい、目を開ける。」
素直に従って開いた視界、今いる道の真ん中には、大きな木製のイーゼルが立っていた。
その上には想像したとおりの小さな黒板がのっていて、小さな白い文字がチョークで連なっている。
Me-cha
Ku-cha
Aki-cha
Tea Party
↓
目を細めてのぞきこんだ。カフェみたいなおしゃれで整った文字。
「こんなのあったっけ?」
「見ようと思ったから見えたんだよ。」
「でも、入口がない。」
すぐ近くのビルでもない。背後を振り返ってみても、ドアや怪しげな通路は現れていない。
「裏側かな…ぅわあっ!!!!!!!!」
イーゼルのほうへ一歩踏み出すと、ピシャっと水音がした。
アスファルトのくぼみにできた水たまりに足を踏み込んでしまったらしい。
おとし穴?…ちがう、空だ。
入口は想像しなくてよかったんだ。
秋葉原の道端で空を見上げていただけの水たまりは、その表面に映し出していただけだったはずの空になっていた。
大気の轟音がゴーゴーと鼓膜をばたつかせる。
わたしは秋葉原の空に落ちていった。
キラキラと光る星の粒がいくつも輝いていた。
→*5
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