2013-7-14 23:36
「俺的理論」「始まり」
お久しぶりなぁん
今日はみなさんそれぞれが常日頃から考えている「考え方パターン」について少しだけ考えてみようと思う
それぞれ何かについて考えるとき、その考え方自体がパターン化しちゃっていたり、あるいは考える際の負荷、良いか悪いかと判断する思考・好みの「係数」ってものがあるというように思える
この「係数」ってのがポイント。好みの好き具合ってこと、この量の差異が人々に考え方の違いを与えているのではないかと。
私がポケモンがAくらい好きなら友人はその0.1Aくらいしか好きではない=興味が薄い、となるわけだ
ひとの考え方パターンも結局は好きなもの・嫌いなものへの係数の違いでそれぞれの決まった考え方が出来上がってしまってきている
極論でいうと好みなんてどうしようもない、簡単には変化のさせようもないものなので、他人と論じ合っても感情では共感なんぞできないわけである。
だがそこは人間、完全に同じものはなくともその中で似た部分を見つけて喜びを共感したり、違う部分をなじりあったりしてたのしむものである
逆に思考がパターン化しちゃってるなと思った時には是非とも自分の感情とは離れた部分から物事を観察してみてはいかがだろうか。
まぁこれは自分に言ってるわけでもあるのだな
僕の係数は53万かな〜。
何に対するどういう係数が53万なのかきになりますね
クオリアってすごいよな、まずクオリアって概念がすごい。この言葉を聞いたときなかなか意味がつかめずかなりググった記憶がある。
くだらないことでも自分が考えたこととかがすでに誰かが考えたことあることだったり…それでも考え続けるよな。俺の場合はやるせなくなるというより、「こんなことでも世の中の誰かは同じこと考えてたりするのかなぁ(ニヤニヤ」ってなるわwくだらないことならなおさらw