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俺的理論「俺的理論」

前回の記事の最初の予定では、あんなところに着地してしまうはずではなかった笑

 

「俺的理論について」である

 

よく私は「俺のこういう考えた方ってもんがあってな、それでいうとこういうことなんだよー」というのを「俺的理論ではな…」なんて言い方をしてしまうのである

 

みんなそれぞれにもあるよな、こういう「俺的理論って」

 

ってのが言いたかったこと。

それぞれのはこういう聞き方をしなくてもブログ見れば一目瞭然なんだけどね

あえて言葉にして言いたかったからね

 

言ってすっきりしたいってのよりはかゆいところに手が届いたって感覚なんだよな

なんとなく考えていたことが書き記すことによって顕わになっていく感ね

 

そうそこっ!そこなのぉぉぉぉぉ!おっほぉぉぉ!

「俺的理論」「始まり」

お久しぶりなぁん

今日はみなさんそれぞれが常日頃から考えている「考え方パターン」について少しだけ考えてみようと思う

それぞれ何かについて考えるとき、その考え方自体がパターン化しちゃっていたり、あるいは考える際の負荷、良いか悪いかと判断する思考・好みの「係数」ってものがあるというように思える

 

この「係数」ってのがポイント。好みの好き具合ってこと、この量の差異が人々に考え方の違いを与えているのではないかと。

私がポケモンがAくらい好きなら友人はその0.1Aくらいしか好きではない=興味が薄い、となるわけだ

ひとの考え方パターンも結局は好きなもの・嫌いなものへの係数の違いでそれぞれの決まった考え方が出来上がってしまってきている

 

極論でいうと好みなんてどうしようもない、簡単には変化のさせようもないものなので、他人と論じ合っても感情では共感なんぞできないわけである。

だがそこは人間、完全に同じものはなくともその中で似た部分を見つけて喜びを共感したり、違う部分をなじりあったりしてたのしむものである

逆に思考がパターン化しちゃってるなと思った時には是非とも自分の感情とは離れた部分から物事を観察してみてはいかがだろうか。

 

まぁこれは自分に言ってるわけでもあるのだな

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