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「なぁ。何がどうなってんだよ」
「あー悪い、その辺は俺ノータッチだから」
少しイラつきながら小声で話す俺に、山田は「まぁまぁ」となだめるように肩を叩いてくる。
俺の視線の先には、石坂の隣に居心地悪そうに座っている沙知の姿がある。
彼女の方も時折こちらの様子を伺っているのか、さっきから何度も目が合って、俺がそっちを気にしていることがバレバレだ。
「あの状況ならお前も絶対近づけないから、逆にいいんじゃね?」
「なっ、良い訳ねぇだろ」
自分の彼女が、他の男とにこやかに談笑する様を黙って見てろだなんて……一体何の拷問だ。
しかもその男は彼女に隙がないか虎視眈々と狙っているんだから。
「佐々木がガードしてくれるから大丈夫だって」
「そりゃ、分かってるけど」
年齢的な意味ではもちろん、性格的にも沙知のお姉さん的存在でもある佐々木は、確かにこんな時絶対的に信頼できる存在だ。
「安心しろ。お持ち帰りはさせないから」
「バカ言ってんじゃねーよ」
百歩譲ってそういう状況になったとしても、沙知がアイツなんかについて行く訳がない。
それはたとえベロベロに酔っぱらっていたとしても、だ。
「はいはい。気になるだろうけど、とりあえず飲め。おーい、そっち揃ったかぁー?」
山田は適当に俺をあしらって、乾杯の音頭を取り始める。
面白くないが、この時間は接触しないと決めたのだからそれに従うしかない。
……あんまり悪酔いしたくはないが、ひとりにされるとひたすら飲んでしまいそうだ。
「仲川!」
「あ?」
「飲みすぎんなよ」
「分かってるって」
分かってはいるけど、今夜はどれだけ飲んでも酔えないような気さえしてくる。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
「……ん?」
「お前、オムライス作れたよな?」
「は?」
突然振られた山田からの会話に目を丸くする。
「だからー、オムライスだよ!」
「……作れる、けど」
「今度さぁ息子に作ってやろうかと思ってんだけど、初心者でも失敗しないコツとかあるか?」
「チャーハンじゃダメなのかよ」
普段料理をしないくせに、いきなりオムライスだなんてハードルが高すぎる。
「いやだってオムライス作れる父ちゃんってカッコいいだろ?」
「そりゃまぁ、そうかもしんないけど。何でまたそんなことになったんだよ」
「あー、今度お盆に嫁の地元で同窓会があるらしくって」
「ん?盆なら一緒に帰りゃいいだろ」
実家に帰るのなら、料理の心配は要らないはずだ。
「それがさぁー、こっちはこっちで用事が入ってて」
「……お盆にか?」
「俺の昔からの友達の子どもが息子と同じ幼稚園なんだけど、8月が誕生日で誕生日会もかねてバーベーキューやるからって誘われてんだよ」
「なるほどね」
山田は地元民だから、帰省するような田舎は無い代わりに比較的近所に古くからの友人が住んでいたりもする。
そういうところはちょっと羨ましい。
「ホントは嫁も一緒に行く予定でさ、今年の盆は帰らないつもりにしてたんだけど、担任だった先生が定年退職されて、同窓会の案内が嫁の実家に届いたってワケ」
「それで男ふたりで留守番?」
「ま、そういうことだ」
話の内容は見えてきたけど、そのこととオムライスが今ひとつ繋がらない。
「それは分かったけど、何でまたオムライスなんだよ」
「だって毎日外食できねぇし、弁当ばっかりもイヤだろ?『お父さんが何か作ってやるよ』って出てきたのがチャーハンだったらガッカリしねぇ?」
「あー確かに晩ご飯がチャーハンなのは俺も嫌だ」
「だろ?でもオムライスだったら許せると思うんだよなー。インスタントのスープとレタスちぎっただけのサラダで完成」
「ん……」
力説する山田の話を聞きながら、彼の理想とする夕食を頭の中で思い描いてみる。
確かに、普段料理をしない父親がそんな食事を用意してくれたら子どもは半端なく喜んでくれるだろう。
「父ちゃんだってやればできる!ってな?」
「できねぇヤツが何言ってんだか。失敗すると悲惨だぞ?オムライスは特に」
「だよなぁー。だからお前に練習を手伝ってもらおうかと」
「はぁー?」
「てか、むしろ俺んちに来て作ってくれてもいいけどな!」
「いやいや、それじゃ親父の威厳丸潰れだろ」
「イヤ、息子が喜んでくれるなら、作る人間は誰でもいーんだよ。失敗作を無理矢理食べさせたら可哀想じゃないか」
ついさっき「やればできる!」と宣言していたのと同一人物とは思えない言葉に思わずため息がこぼれる。
何だかんだ言って結局俺に作らせたいのだろう。
「……考えとくよ」
「そうこなくっちゃ!」
「ったく」
調子の良いヤツめ、と軽く舌打ちした直後、胸ポケットの携帯が震える。
こんな時間に着信があることを不審に思いながら液晶画面を見た瞬間、俺は目を疑った。
『吉田沙知』
何度見返しても、彼女の名前と電話番号が点滅を繰り返す。
瞬時に沙知がいた席に目をやっても、そこに彼女の姿はない。
一体どこから掛けてきてるんだ?
その場で電話を取ろうとした指先が、ほんの一瞬止まって通話終了のマークへと移動する。
ここで、彼女と電話なんてできる訳がない。
山田が別の相手と話し込んでいるのを確認して、俺はスッと席を立ちお手洗いへと向かう。
誰かに見られるのは都合が悪いけれど、沙知がそこに居るのなら一言二言、会話を交わすくらいなら問題はないだろう。
しかし、早足で向かったお手洗いには人影は見えず、俺は握り締めていた携帯で彼女へ折り返しの電話をかける。
何か困ったことでも起きたのだろうか。
「もっ、もしもし!」
繋がったことに安堵したような声が伝わる。
そう言えば、今日は午前中にコピーで呼びつけた以外彼女とは喋っていない。
「どこにいる?」
「あ……外、です」
「はぁ?」
そこまでして俺に電話をかけてくるくらいだから、余程のことがあったのかと思いきやどうもそうではないらしい。
しかも、意を決したように出てきた言葉に俺は耳を疑った。
「一緒に、帰ってもらえますか?」
この口ぶりからして、佐々木は沙知に何も伝えていないのだろうか。
当然だ、と返す俺に対してもかなり驚いている様子だ。
「あの、佐々木先輩に私たちのこと喋っちゃいました」
「あぁ。本人から聞いた」
「へっ?」
ついでに言うと山田にも知られてしまっているけれど、おそらくそのことも沙知は知らないだろう。
まぁ、俺たちが一緒に帰るミッションの内容は、沙知が知らなくても問題ないと言えばその通りなのだけれど。
ひとりで外にいる彼女も心配だし、あまり長い間席を外しているのも都合が悪いから、早く戻れと促して通話を終了する。
そうして何事も無かったように会場へと戻ると、その後すぐに沙知も元の場所へと戻ってきた。
ふっと視線がぶつかって、思いがけず彼女がニコッと笑いかけてくる。
反応するのは得策ではないかもしれないけれど、思わずそれに応えるように、俺は一度だけ小さく頷いた。
ついさっきまで石坂のことが気になって仕方なかったけれど、ほんの数分とは言え彼女と会話ができて少しホッとした気持ちになる。
俺と同じくらい……とは思っていないが、少なからず俺も彼女から想われているのだろう。
沙知のことを信じていない訳じゃない。
でも、彼女ひとりの力で石坂を諦めさせるのは正直難しい気がしてならない。
それは若さなのか、勢いなのか、それとも沙知を想う気持ちからくるものなのか正体は分からないけれど……俺にとって、いや俺たちにとって脅威であることは間違いないだろう。
俺はこのまま計画が予定通りに進んでいくことを心の中で願いながら、ジョッキに残ったビールを勢いよくあおった。
→(4)に続く