厄払いの話

昔の人は晴れ舞台には何十万もするような高級な羽織袴を着けて、奥さんに火打ち石で浄めてもらっていざ!と完璧な状態で向かいました。
しかし、その時何か緊張していたり、嫌な感じがすると玄関の土間の土を少しとって袴をわざと汚したのだそうです。すんごい高いお着物を。
そうする事で厄を払ったのだとか。

それとは少し違うのですが、ちょっとだけ似てる事があって、
私が幼稚園児位小さかった頃、いくつかのオリジナルのおまじないやジンクスがありました。
子供が見つけた毎日起こることの法則性、勝手に決めたルールみたいなもの。
いろいろあるけどその中の一つに
「嫌なことが毎日必ずひとつ義務付けられている。」
というのがあった。
一日にひとつ。
それはどんな「嫌な」ことでもいい。
ちょっとぶつけた、とか、友達とケンカした、とか小さなことでも、
親や、祖母に、酷いことをされてしまったり、
血みどろになるような怪我をしてしまったり、
という大きな「嫌な」ことでもいい。

とにかく一日に必ずひとつ。
これがルール。
だから、早い時間に、なるべく小さな嫌なことが起こったとしたら、
その日はもう一日の嫌なことノルマは達成!と言うことになると、なぜか信じていた。

だから私はなるべく小さい怪我でもなんでも幼稚園で嫌なことを済ませておきたいと思っていて、都合よく嫌なことが起こらないと自分で自分をつねったりしていたこともあった。
なぜなら家に帰ってしまうと、家で起こる「嫌な」ことは大事になることが多かったからだ。


大人になるにつれていつしかそれを忘れてたし、
そんな嫌なことなんていくらでも向こうから畳み掛けてくるもんだから、自分から嫌なことなんてせずに毎日あたまからっぽにして遊び暮らしてやるぞと思うような自堕落な大人になってしまったわけですが。
でもこの「土間の土を袴につける」を知って自分が子供ながらに感じていた厄難を避ける方法、悪い未来を何かしら感じ取り生贄を捧げて許されようとする感じというのかな、
それを思い出した。

子供の頃は賽の河原のように永遠に終わらない嫌なことに辟易していたけど、
大人になって家を離れて一人でいると、おまじないではなく最初に楽をしたり逃げたりせずに、少しだけ嫌な思いをして頑張っとくと後々楽ができると言う事が、最近少しわかってきた。


なんの話だこれは。よくわからん事を書いてしまった。
オチはない。