東北の地にあって、
当時の園芸や庭に対する
一般的な意識を遙かに超えていた
賢治がいました。
※参考図書
花壇工作
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花巻農学校での教師時代
「花壇工作」と
題した授業を行っていたという
賢治。
大正末期から昭和のはじめにかけて
たくさんの西洋花壇を設計し
花巻の気候にあった花についての
研究をしたり
花の配色において、
色彩学の理論をも取り入れていました。
その、ほとんどが
机上の空論で終わってしまってることが
残念ではありますが、、、
岩手県花巻市矢沢1の1の36
TEL0198・31・2319
[宮沢賢治記念館]には
当時、賢治が設計した
花時計が再現されています。
賢治の花への想いが詰まった
『メモフローラノート』
『メモフローラ手帳』には、
実(じつ)にたくさんの植物が記入されていました。
ムスカリ・プリムラ・シラー
ラナンキュラス・ムスカリ・クロッカス
マグノリア・アネモネ・薔薇・・・
当時は洋花がブームになり
イングリッシュガーデンに見られる
さまざまな花々を賢治も、
賢治の死後、多額な請求書が
イギリスのサットン商会から
届くほど購入したといいます。
参考資料:”横浜植木”カタログ
(ボタニカルアートコレクション)
(写真は拾いです。)
ここに紹介した図版は、
その当時の花屋のカタログですが、
もしかしたら
賢治もこんなカタログを見て
庭に植える花を選んでいたのかも
しれませんね♪
友人の結婚式には
赤い実のついた寄生木(やどりぎ)を
部屋いっぱいに飾り、
テーブルにはアスパラガスを添えた
という
フローラル手帳に残る
たくさんの設計図を見ながら
賢治の思いに寄り添うことは
花好きにはたまらない物語のはじまり。
゜。..。 :*゜ ゜*: 。
涙に流れる血のよふな
ピジョン・ブラッド一粒に
遙かむこうのイギリスの
ドーバー海峡アズライト
みなみの空にひびわれた
青い空にはトルコ石
見上げた空に虹色の
オパール雲が浮かぶ国
光と風と青い空
賢治のこころの国という
イーハトヴがあるのだろう
イーハトヴがあるのだろう
芙美子♪
わが家で咲いたカンパニュラ♪
名前が似てない?
”カムパネルラ”はこの花から
貰ったのかな?
(笑)
しかし風鈴って時々、カンカンカンカン!って自己主張がうるさいのもありますもんね(笑)うちのガラス製のはそうでした(笑)
芙美子さんのお庭は詩的な花園なんでしょうね〜
光栄なコメント、ありがとうございます!でも本人は,何も考えずにφ(..)しているだけなのでした(笑)