スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

野鳥達の礼拝堂。


近くの公園に出掛けた。

住宅街の中にそこだけ山の中の森の様に、その公園は在ります。
今は冬、枯れた木立が寂しげなその公園には
野鳥が訪れる池がある、池と云うよりは沼。

何も特徴のないその公園、けれど数多い種類の野鳥が飛来しヒナを孵し子育出てをする
その沼は野鳥愛好家達の隠れたポイントらしく、バズーカ砲の様なレンズを装着した一眼レフカメラを三脚に据え、
その時を待つ写真家達がそこかしこに・・・

俺としては先日、愛する兄弟から一眼レフのデジカメを戴いたわけで
早速俄かカメラマンとなり、カメラを携えその公園に来たのです。

そう、その愛する兄弟は19日に司祭叙階を享け、神父様になられるのであります。
今日、修道会として悲しい出来事があり、一足先に長崎に行っているその兄弟は
不安の中に在ると思います。
けれど、兄弟全員が祈っていますから、心を強く持って叙階式に向かって下さい。

さて、俄かカメラマンの俺ですが、別に野鳥が好きなわけでもないく
撮りたかったのは、沼に浮かぶ島の様な林。
その林が野鳥達の楽園なのです、その林を初めて見た時、巨大なバシリカの様で
こんな小さな公園の自然にすら、あらん限りの愛を注がれる神様に感謝しましょう。


こんな住宅地の中に、野鳥達の礼拝堂を見つけたのですから。













修道院その残雪。


夜通し雪が舞っているのかと思ってたけれど

陽射しに雪はその身を小さくしていました。

消える雪達の祈りを残しましょう。















夜雪。



雪の音がします。

雪の夜は空が明るい

街は白く厚く塗りこめられ

沈黙の音がします。

暖かい部屋で、何を祈りましょう・・・

どうしてだか雪が積もると見慣れた道も街も小さく暖かに感じるの。
ブロック塀も屋根も郵便受けも、白いベレー帽を被り
柔らかな佇まいで

夜は宝石の様な静寂を身に纏い
深く深く白に埋もれる。

神様の造られる絵具は何と神秘でしょう
白いその雪のひとつひとつは様々なな結晶を形造って
無数に降りそそぐその雪、ひとつに完璧な愛をそそがれる。

そして、季節を白とされる。

冷たい雪で、人を暖める

暖かいこの部屋で、俺は何を祈りましょう・・・

窓の外は神様の白です。




今年初めての雪をみた。




夜中、雨音で眼が醒める

枕元の時計は午前2時半

布団に深くこの身を埋めた


今、外は綿の様な雪。

グレーの空から風に回されながら降りてくる
此処暫く雨も無く、乾燥していた空気も庭も街も
静かに濡れる

子供の頃、雪が降ると家の縁側に立って
堕ちて来る雪を見てた
空に身体が昇って行く様な感覚が好きだった
勿論、寒い訳だけれど、まるで天国に行く様で
ずっとずっと上を向いてた。
思えば、真夏も縁側、炎天下のなか横になって
太陽に焼かれるままになるのが好きだった

「今、俺は砂漠に居て、水も無い・・・助けも来ない・・・」

などと想像しながら、縁側で汗をダラダラ流していた。

独りっ子で友達もいないとこんな遊びをするです。

雪が強く降って来た、積もるかなぁ

子供の頃は、あんなに雪が降ると喜んでいたのに

今日は、部屋の中でマリア様達に囲まれて
静かに本でも読んでいましょう。





あ・・・ピアノやらなきゃ。


静修



修道院では月に1回、静修と云う日がある。

24時間の沈黙による時間です。
此処に来た当初、初めての静修の時、食事も朝の挨拶も沈黙・・・
独り部屋でなら沈黙も自然なのだけれど、食事を黙々と食べる兄弟達を見て
なんだか可笑しくなって笑いそうになった。
今は、それにも慣れて不自然には感じないのだけれど。

沈黙は普段、見えて無かった事に気づく
誰でも自分自身を全て曝け出して生活はしない
会話をする時、笑顔の内側にはもしかしたら悩みや苦しみがあったとしても
流れる会話のなかでそれに気づかない事のほうが多い。

でも、沈黙はそれを見せてくれる

兄弟達の、心の深みに在る何かを感じさせてくれる。

勿論、何を悩んでいるかなんて解かりはしないのだけれど
優しい気持ちになる。

此処は、神様に仕えるために皆で共同生活を営んでいる場所
祈りと奉仕の場所
何よりも、主イエズス様を愛しているから、此処に居る

けれど、日々の生活の中でそれが希薄になる事がある
恐ろしい事だけれど・・・
そんな自分をリセットするのにこの静修は良い。

神の恵みによって、此処で生きる事を赦された兄弟達も
きっと同じ思いかもしれない
世間から見ればなんで修道士なの、どうして修道会?と思われるかもしれないけれど
此処に居る兄弟達そして俺はこの生き方しか出来ないのだろう。

だから、静修は良い。

自分の心を見つめる時間。

神様はこんな贅沢な時間を与えて下さる・・・

修室の灯りに浮かぶ、主イエズス様、マリア様そしてテレーズを見つめながら
こんな、とるに足りない惨めな男にまで細やかな愛と慈しみを注がれる
主に、感謝するのです。

そして、愛すると決意するのです。