私は、小学1年から「いじめ」に合いました。

下校途中、確か高学年(5,6年生)か中学生に【首を絞められました】
この時点で「いじめ」より、【犯罪】です。

私は、口から泡でも出したのでしょうか?その人が『やべぇ殺人になる』って言葉が今でも覚えてます。

その時からでしょう。「ネクタイ」や「マフラー」「腕時計」「指輪」「ブレスレット」「ミサンガ」「ネックレス」
「ペンダント」系統の身に着けるのが怖くなりました

小学2年の時でしょうか?「いじめ」の常習犯から、よく「俺たち【友達】だろ?」っと言われながら
脅されたことにより、【友達】と言う言葉が、嫌いになりました。じゃあ何て呼べば?

「友人」でお願いします。「仲間」も少し抵抗があるので…

小学3年には、転校生が2,3人来まして1人が、よく私を「いじめ」をするようになりました。
そして、もう我慢出来ないので『告白』します。

その人は、私の家の隣が空地っと知って去年、土地を買い家を建てました。
そして、私の精神のが不安定になりました。ただ、私が具合が悪かったから不安定になったっと
思っても違います。その人『何処が障害なんだよ』
『もう敷地に入るな!だから屋根の雪が落ちても、おめぇらの雪も雪かきしてやったんだ!』っと

小学4年には、『体罰』が始まりました。読んだ人たちによって異なりますが

・国語の授業の時に「作文」を書きますよね?
その教師は、学校=出版社? 出版させる本にする訳ではあり得ないのに
「ここ編集しなさい。やり直し」「良い作文ですが、(破いて)もう少し頑張ってやり直し」

・授業の担任の先生が違う先生で、宿題か授業に使う道具を忘れたら。
放課後「校庭を3〜5週走らせるか」「足が痺れるまで正座を」どちらかを忘れた生徒に選ばせて行いました。

・給食の時には、テーブルクロスを忘れただけで、3分間だったでしょうか(砂時計で計ってたので)
経ってから食べることを、させてました。

小学5年は「いじめ」「体罰」が私にも周りにも無くなったのですが、少し私は恐怖心がありましたが・・・
高学年になると、バスで隣町に遊びに行くんですね(場合に寄れば、横浜や新宿)で
私はあんまり、心を開くほどの人間じゃありませんでしたので、少しの知り合い以外(私を心配してくれる、友人が3人のみいまして、今でも仲良く連絡してる親友ですね)出かけず、その()に書いてある、友人や時々心配してくれる生徒は、良いのですが・・・他は【世間知らずだね。バスの乗り方や神奈川県内のこと知らないんだ】って言われてました。

とうとう我慢出来ず、引きこもりの生活をしました。
小学6年になる前に「〇〇〇は修学旅行に来ないでほしい」っとも聞きました。

中学生の時は教育委員会から「不登校生が通ってる学校=フリースクール」を案内されました。
私は、通うようにして、心機一転して行ったら【小学4年の時の担任で体罰をしていた教師が居ました】

そして、また不登校、引きこもりです。

「小学校の卒業アルバム」に「中学校の卒業アルバム」を破り捨てました。
でも、悔いは有りませんし満足です。卒業アルバムは【身分証明書】には、なりませんのでね。

でも、ある雑誌の出会いで、私は「いじめられても怖くない物」に出会いまして。
それが今の趣味と生きがいです。

漫画・ゲーム・同人誌・情報交流誌【ファイントアウト】で文通をして
手紙が素晴らしいこと。
私が好きだった漫画やゲームを語れる。
そして顔を見なくても良い

この3つで、私は、家族と先ほどの3人の親友に文通雑誌で出会った仲間しか心を開きませんでした。

でも、今の私は「いじめ」=「自殺」 「体罰」=「自殺」する生徒や教育関係に関心ごとになってます。

時乃奈々 【告白】でした。