健康的な食事って難しすぎるな

ひじきが好きで最近良く食べてたんですけど、海藻類って食べ過ぎると甲状腺機能低下症に陥る可能性があるらしい
昨夜がるちゃんまとめで知りました
がるちゃんはいつも蒙昧な私を導いてくれるな
自分でも調べたらヨウ素というのが甲状腺の機能維持に深く関わっていて、過不足どちらでも甲状腺の機能低下を招くらしい
とりわけ日本人は含有量の多い海藻類や魚や鶏卵を良く食べる事から過多に寄りやすいとか
食品としては牛乳も牛の乳頭殺菌にヨウ素が使われる為に振れ幅はあるものの多く含まれる場合があるらしく、夫は菅田将暉くんと並ぶ牛乳ジャンキーなので献立には今後ちゃんと気を付けていこうと思う
食事以外の面ではヨウ素(ヨード)が添加されたうがい薬の常用から甲状腺機能に支障を来す場合もあるようです
知らなかったな

甲状腺機能低下症 - 12. ホルモンと代謝の病気 - MSDマニュアル家庭版
www.msdmanuals.com

○○牛乳が無くなった日

人様のブログを見て、いつから生乳100%以外の飲料は牛乳を名乗れなくなったんだっけ?と調べたらこちらの記事に詳しかったです

岡山畜産便り2003年1月号 〔特集〕「牛乳の表示」のお話 岡山県農林水産部畜産課
okayama.lin.gr.jp

平成13年の7月11日に改正法の施行、一年の猶予期間が設けられており平成14年の7月12日にはかつての珈琲牛乳を始めとする乳飲料たちはみなミルクコーヒー等に名前を改めたようです
正直10年前くらいの事だと思ってたからびっくりしましたね

ガスの元栓開け閉め論争

あんまり頻繁に開け閉めするとかえって栓が傷んでガス漏れが起きる恐れがあるが、あまりにも開けっぱなし閉めっぱなしはグリスが固着しちゃうのでNGって事なのかな
長期外出時は閉めた方がベターらしい
日頃私も使わない時は必ず閉めてたわ
今は地震時なんかは安全装置が作動するってのは知ってるんだけど、何かもう身体がそうなってて
勉強になったわ

鬼神が来たりて

突然「いないいないばぁ」とかいう大多数の人がその場で出来る陽のジェスチャー考えた人凄くね?発明の中でもかなり凄い、と思って起源調べたら何か怖い話だったよ

個人的に調べたユダヤの人々の歩み(長文です)

かつてユーフラテス川上流の地域に遊牧生活をしていたヘブライ人=イスラエル人は、紀元前18世紀頃当時カナーンと呼ばれた現パレスチナ地方に移住
飢饉から一部はエジプトへと渡ったが、新王国からの虐待を受け紀元前13世紀にモーセに率いられ出エジプト、40年間のシナイ砂漠での流浪を経てカナーンへと再び合流
紀元前11世紀の末に王政へ
サウルを初代王とし、ヘブライ王国=イスラエル王国となる
サウルに仕えたダビデは、紀元前13世紀よりエーゲ海から入植していた戦士ゴリアテ擁するペリシテ人を討ちイスラエル全土の国王となり、エルサレムを首都とする
その息子ソロモンはユーフラテス川からガザにまで領地を広げ、エルサレムに第一神殿を築くが自身の出自であるユダを贔屓、一方で他宗教を黙認した事から国内に軋轢が生まれ、彼の死語王国は北のイスラエル、南のユダに割れた
イスラエル王国は前722年にアッシリアに下され10部族の追放
ユダ王国もアッシリアに臣従、アッシリア滅亡後は独立を果たすも、前586年に新バビロニアに征服され神殿は破壊、ユダ王国民はバビロンに強制移住させられた(バビロンの捕囚)
前538年アケメネス朝ペルシアが新バビロニアを討ち移住させられた民はエルサレムに帰還
自治は認められずとも、神殿の再建に至る
前332年アレクサンドロス大王率いるギリシアの支配を受ける
アレクサンドロス死後彼の帝国は分裂、後継者(ディアドコイ)間の戦争が始まる
パレスチナ地方もセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトの紛争の地となった
セレウコス朝の支配下でユダヤ教は迫害され神殿は破壊、ゼウス神の神殿が建設される等の屈辱から祭司マタティアがその子ら(ヨハネ、シモン、ユダ、エレアザル、ヨナタン)と共に蜂起
前165年エルサレムを奪還しハスモン朝下でほぼ独立を成した
前103年アレクサンドロス・ヤンナイオスが即位
ヘレニズム(ギリシア主義)への傾倒や祭司たちからなるサドカイ派との癒着から、厳格なユダヤ教徒を自負するファリサイ派と内戦
またプトレマイオス朝エジプトとの戦争の後ガザを破壊、再び占領下に置きソロモン王以来の領地拡大を成す
前76年死去、ファリサイ派に権力を認める遺書を残し妻であるサロメ・アレクサンドラが女王に、長男のヒルカノス2世が大祭司となる
これを苦々しく思う次男アリストブロス2世は反ファリサイ派と手を組み支配権を争う
前67年、疲弊の内にアレクサンドラが死去
その頃諸外国からの干渉により脱け殻化していたセレウコス朝シリアにローマ帝国ポンペイウス軍司令官が遠征し、ユダヤの内紛にも介入
前63年にはエルサレムを占領した
前37年ローマ帝国ヘロデ大王がイスラエルを支配し、ハスモン朝は滅びた
ヘロデの父アンティパトロスはヒルカノス2世の側近であったが、ローマ帝国の軍行を援助していた事からユリウス・カエサルにユダヤのプロクラトル(行政官的な意)を任命されるに至る
これはヘロデが親ローマ派として元老院より「ユダヤの王」と宣言されるまでの礎となった
彼ら父子はハスモン朝下で強制的にユダヤに改宗させられた元イドマヤ人であった
前20年〜19年、神殿の改築に着工
基礎工事等も含まれていた為完成はヘロデ死後の西暦62〜64年頃であった
また小アジア等に点在するユダヤ人の為の公共施設も築きギリシア系の人々はこれらに称賛を寄せるも、ヘレニズムを危惧したユダヤ系の人々には反感を持つ者も多く出た
ハスモン家出身の妻を始め疑わしき者はみな処刑する事、飢饉の際には私財を擲つ事などで治世を保ったが死後ユダヤの地を受け継いだ息子のアルケラオスは失政を重ね西暦6年頃に解任の上追放される
ユダヤはローマ帝国の直轄領となった
西暦66年〜74年第1次ユダヤ戦争、131年〜135年第2次ユダヤ戦争にあたるバル・コクバの乱を経ても長い独立が叶うことは無くエルサレムは破壊され、新たな市街地には立ち入りを禁じられた事からユダヤ人は地中海の各地へ離散(ディアスポラ)していった
先のヘロデ大王の死去は前4年であるが、それ以前の前6年〜4年にナザレのイエスが誕生したとされる
従来のユダヤ教に反する教えを説いた事、また一度は信望したもののローマ支配からの救い主では無かったという落胆からユダヤの人々はローマ帝国にイエスの処刑を望み、彼が率いる内乱を危惧した事などから帝国もそれを承諾した
やがてそれがキリスト教が広まるにつれてユダヤの人々がイエスを処刑した者たちと目される原因となってしまう
ディアスポラした先の地で自由に職に就く事も難しくなり、キリスト教では賤業とされた金融業に従事する事となるが、それが結果的にユダヤの人々に富をもたらす
第一次世界大戦によりパレスチナの地はオスマン帝国からイギリスの支配に下った
当時のパレスチナには多数のアラブ人、少数のユダヤ人、更に少数の民族が複数暮らしていた
ユダヤ資本に目を付けたイギリスは「協力してくれたらパレスチナにユダヤ国家の建設を支持しますよ」との書簡を送る(バルフォア宣言)
その一方でイギリスはオスマン帝国からの独立を目指すアラブ民族主義をも利用すべく「独立を支持しますよ」と協力を仰ぐ書簡を送った(フセイン・マクマホン協定)
更には同盟国であるフランスと「終結したらオスマン帝国領山分けしよ」と秘密裏の条約を結んだ(サイクス・ピコ協定)
これが所謂三枚舌外交であり、現在も燃え続けるパレスチナ問題の火種となっている
エルサレム(別名シオンの丘)に帰ろうというユダヤ人悲願のシオニズムは1948年のイスラエル建国により果たされた
しかしそれによって元よりその地に暮らした人々は故郷を追われ、一括りにパレスチナと呼ばれた土地の内イスラエルを除くガザ地区とヨルダン川西岸にて、国を持たぬままイスラエルの占領下に置かれている
非常に雑であるし理解しきれていない部分も多いがこれがユダヤ人を軸として調べたパレスチナ問題の個人的なまとめです
何がなんでももう故郷を失いたくないという気持ちを少しでも理解してみたかった
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