「小さな旅立ち」

床屋で待ってる間、暇つぶしに雑誌を開いた。前の職場近辺にある白久磨町(しろくまちょう)の特集だ。幼い頃過ごしたその街に良い思い出はなく、何時の間にかずっと避けてた街だった。しかし今のこの瞬間、もう一度行ってみたい好奇心に駆られた時に丁度調髪の順番が回って来た。

俺「待ってる間、白久磨町の雑誌の記事を見つけたんですがね…。」

長年この店に通ってるが俺から店主に話し掛けた事など髪の注文以外はなかった。随分驚いた様子で少しこわばった店主の顔。それを見て吹き出しそうになった俺に安心したのか店主の顔は直ぐにほころんだ。それは60歳を越えた店主の顔ではなく恋の悩みを聞いてくれる親友の顔の様だ。

俺「あの街、今そんなに凄いんですか?通勤途中の路だったんですけど勤め出してから一度もあの街の駅に降りた事ないんですよ。何せ陰気臭い街ですよね。」

店主「もしかしてあそこの出ですか?」

俺「えぇ、まぁ…。」

店主「実は私も白久磨町の出なんですが若い頃は商店街を中心に随分賑わった街でしたよ。それがバブルが弾けた頃から何時の間にかシャッター通りとか呼ばれ、客が寄りつかなくなって私はあの街を捨ててしまいました。」

俺「白久磨町に住んでたなんて奇遇ですね!私は幼い頃に家庭がもめまして…。雑誌にまで載る程復興してるなんて知らなかった私が取り残された浦島太郎な気持ちですよ。」

店主「随分小洒落た街に変わったとは聞いてますよ。」

俺「ところで、ほらあそこの商店街の駄菓子屋知りません?ガキん頃はよく手鼻をかんでたもんだからあそこのおばちゃんに汚い手で品物を触るなって、手を叩かれて怒鳴られたものです(笑)」

店主「もうどれ位帰ってないんですか?」

俺「20年?いやもっとかな?」

店主「近所なのにね…。もう一度立ち寄ってみては如何です?新鮮な気持ち…いや別世界に来た、竜宮城にでも来た気分になるかも知れませんよ。(笑)」

俺「もう一度ですか…?」

店主「あなたならまだ若いんだから間に合う。」

俺「それってどう言う意味ですか?」

突然店主は険しい表情となりただ黙々と髪を切り始めた。そして調髪が終わると勘定を済ませその気まずさから逃げ出す様に店を後にし、早速白久磨町へと急いだ。

そんな客の後ろ姿をずっと見えなくなるまで見守る店主。

店主「何もかも乗り越えてやり直して欲しいもんだ。お前ならやれるさ!無事に我が家をみつけて幸せにやって行けよ!」