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速記

昔昔、テレビでやってたアメリカでの話。実話らしい。

旦那が速記の仕事してる若い夫婦。
子供が出来、家も買い、幸せに包まれていたが夫が交通事故で死亡。
残されたのは幼い子供と家を買った莫大な借金。毎日途方に暮れる妻。
家を売ることも考えたが短くも夫との思い出の詰まった物なので売りたくは無かった。
しかしこのままでは生活が出来ない為、売ることを決意したその時ふと子供を見ると
なにやら文字らしき物を書いている。もちろん文字が書ける歳ではない。


どこかで見たような文字に、ふと夫の仕事仲間であった人にそれを見せると
なんと速記文字だと言う。内容はある銀行名と数字。
その銀行に問い合わせるとなんと生前夫が妻に内緒で貸し金庫を持っていたのだった。
その貸し金庫を開けてみると一通の手紙と1万ドルの現金と生命保険の証書。
手紙には「愛している妻と子へ
僕に何かのことがあったときの為生命保険に入っておいた。
これを読んでいると言うことは僕はすでにこの世にいないかもしれないが
二人で幸せに生きるんだよ」と。

後悔

私の家には、おばあちゃんがいました。
でも、仏壇にはもう亡くなった父のおばあちゃん、おじいちゃんの写真が
あります。
幼稚園の頃は、不思議と思っていませんでしたがある時、母に聞きました。
私の家にいるおばあちゃんは、一般言うおばあちゃんではなくて
父の叔母さんなんだよと言われました。
私がおばあちゃんと呼んでいる人は、耳が聞こえなく、もちろん
話しも出来ません。だから、みんな手話で話していましたが
幼い私は、手話で話しているおばあちゃんの口から時折もれる
「あーあー。あー。あー。」って言葉がたまらなく嫌でした。

一緒に住んでいた理由は、おじいちゃんが生きていた頃にさかのぼります。
おばあちゃんは、同じく耳の聞こえない男性と結婚したかったけれど
おじいちゃん(父のお父さん。おばあちゃんの兄)に承諾してもらえず
結局、それから誰とも恋愛もする事もなく一人の女性の幸せを何一つ
叶う事なく歳だけを取っていったのです。

おじいちゃんは、耳が聞こえず、話せない人間を嫁に出す事を
逆に迷惑だから追い出したんだと、世間に言われると気にしての反対だった
様ですが、母にしてみれば耳の聞こえない叔母さんが同居で
苦労したようです。
子供の私は、そんな事より私の大切な猫を折檻したり
朝早くから、ガタガタと起きだして何かする事や
私の友達に「あーあー」と話しかける事が本当に嫌でした。


今なら気持ちが分かります。
若い時の恋愛は障害で終ってしまい、住んでいる家には甥っ子の嫁が
いて子供がいて、自分だけは家族がいなく・・・
そして聞こえない。話せない。
そんないらだたしさが時折母に、私にと向けられたって事を。
学生の頃、進学の事で喧嘩になりプチ家出をした。
三ヶ月後に見つかって、しぶしぶ家に帰ったら
おばあちゃんは私に、五百円玉を握らせて手話で言いました。
「おこずかいあげるから。おこずかいあげるから。」

五百円玉は、今と何ら変わりなく五百円玉の価値しかなく
「は?何、この小銭」と思いました。
いつも話せないその口で、小言ばっかり言っているおばあちゃんが
何故に、五百円をくれたのかわかりませんでした。
社会人になったある日、突然亡くなりました。
急いで実家に帰り、どうしたのか聞いてみました。

おばあちゃんは、亡くなる数週間前に母が、自分のお金を取ったと
暴れて倒れて半身麻痺になっていました。
朝、起きてからおばあちゃんを、ふとんを高く積んで座椅子の様にして
背をもたらせて、お茶とおせんべいを一人で食べてもらっていた所
おせんべいを握ったまま亡くなっていたそうです。
お葬式は、母をご苦労様とねぎらう人が多くておばあちゃんの
知り合いは一人だけでした。
偶然に、本当に偶然に同じ話せないおばあちゃんが
葬儀の花輪を見つけて来たのです。
家族対おばあちゃんって感じの家族構成・・・だった。
孤独でさびしかったよね。まだ気がついてあげれなかった私です。

夢を見ました。パッと空一面に大きいおばあちゃんの顔。
びっくりしてぼっーと見ていたら、にこにこ笑って
満点の笑みで、うん。うん。って頷いていました。
初めは夢じゃないと思っていたので、内心は
「何で私にうん。うん。言ってるのかな?」でした。
目が覚めてから、すぐさま母にTel。
そしたら、その日はおばあちゃんの月命日でした。
その日から、すっごく悲しいです。
後悔するなら、もっと早くに気づきたかったです。
もっと別の楽しみを、私がしてあげれば良かった。
戻せるなら、その頃に戻ってどこかに連れていってあげたいです。

最後の教え

休みもない仕事だらけのGW中に、滅多にない実家からの電話がきた。

親父危篤、脳腫瘍。もって数ヶ月。

親父が定年を迎えようとしていた、ほんの数ヶ月前だ。
俺に”マイコン”を教えたのが、親父だった。
仕事に穴をあけることができない状況にいた俺は、
「盆までなんとかもってくれ」
そんな身勝手なことを願っていた・・・

そして7月に入ったある日、夢を見た。

端末に向かって仕事している俺。すると、いつのまにか親父が後ろにいた。
「仕事はどうだ?」
仕事中の俺は一瞬驚いたが、生返事を返し、黙々と仕事を続けた。
「Cは覚えたか?HP-UXはこう使え云々」等々初歩的な講釈をたれる親父。
延々つづくそれがいいかげんうざくなり、つい口が滑った。
「んなのは分かってる。俺のほうが詳しいっつーの!」
すると寂しいのか、うれしいのか分からないような微笑を浮かべ

「・・・そうか」

そう一言いい、どこかに去っていった。


そこで目がさめ、目覚ましを見ると、6時半過ぎ。珍しく早起きをした。
出社。仕事始めてすぐに実家から電話。

親父死亡の連絡。

心の準備は既にしてあったのでショックはなかった。
死亡時刻は、その日、俺が起きたちょっと前だった。

その後、無事葬式を終え、会社に戻ってふと夢を思い出したとき、
式でも流さなかった涙が出た。
泣いた。

闇雲に働いて死んでいった親父の人生にむなしさを感じたからなのか、
仕事にかまけて、死に際にそばにいてやれなかったせいなのか、
枕もとに立った親父にたいした言葉を掛けられなかったせいなのか、
削られた人間性を仕事のせいにしようとしていた自分になのか、
夢でみせてくれた最後の表情の意味を理解したせいなのか、
あるいはすべてのせいなのか、よく分からないが。

ただ、街を離れる列車を見送る親父の、目を赤くしている姿だけは、
今でも強く焼きついている。

心意気

祖母は若いころ、日本舞踊のお師匠さんをやっていたそうです。
多いときでは20人近いお弟子さんを抱えていて、
年に1回、踊りの発表会の様なものがあったそうなのですが、
ある年に、お弟子さんの一人が、発表会を前にして不幸にも
亡くなってしまいました。
とても熱心な方で、祖母も他のお弟子さんもとても残念がって
いたそうですが、発表会当日、誰ともなく「せっかくですから
●●さんのスペースを開けて踊りましょう」という話になり、
その亡くなった方のいつも踊っていたスペースを一人分
空けながら踊ったそうです。
そして後日、その発表会を撮影した写真が上がってきてびっくり。
なんと、その空いたスペースにうっすらと、その亡くなった
お弟子さんが微笑みながら、踊っているのが写っていたんだとか。
これを見た祖母もお弟子さん方も「ああ、●●さんも楽しそうに
踊れて、良かったねぇ」と嬉しくなり、記念にその写真を焼増して、
大切にとっておいたそうです。

残念ながらこの写真は、戦火で焼けてなくなってしまったそう
ですが、母や伯父達も小さい頃見せてもらったことがあるらしく、
それぞれ「うちには昔、すごい心霊写真があったんだぞー」
と笑って自慢をしていました(笑)。

友の警告?

 この間、弟と車でとある所に行こうとしたとき、よく信号待ちで捕まる場所に
さしかかった。案の定信号は赤で、俺の前には数台の車が停車している。
 ブレーキを踏んで減速。なぜか対向車の存在が気になり、反対車線を
確認する。当分来る様子はない。
 前方で停車中のトラックまでもう少しといったとき、不意にバックミラーを
確認すると、後ろから猛スピードで突っ込んでくる車が見えた。
(ヤバイ! 絶対にぶつかる!!)そう思った次の瞬間、後ろから凄まじい
衝撃と音が伝わってきた。
 前方にはトラック。このまま挟まれたら、十中八九助からない。俺は先程
対向車が来ないのを確認していたのを覚えていたのか、咄嗟にハンドルを
右に切り、前方のトラックを回避しようとした。
 が、間に合わず、俺の車の左側面とトラックの右バンパーが接触する。ドア
ミラーが飛び、サイドウインドーが砕け散った。無数のガラス片が、俺の身体に
降りかかる。
 幸いにも、前方から対向車はやはり来ていなかった。俺はハザードを点灯させ
車を停める。弟もどうやら無事のようだ。車から降り、状況を確認する。
 車は後部のハッチがグシャリと潰れ、後輪のタイヤハウスとタイヤが、両輪共
仲良くくっ付いている。車は前方に停車していたトラックよりも前方で停止していた。
10m以上は弾かれたようだ。
 この勢いでトラックとのサンドイッチにされていたら……。身体に寒気が走る。
 幸いにも、俺と弟の怪我は大した事がなかった。もし、あの時対向車を確認して
いなかったら……。もしバックミラーを確認していなかったら……。今ごろ、兄弟
二人揃って死んでいたかもしれない。
 事故から数時間後、俺はふと思い出した事があった。
(明日は、去年交通事故で死んだアイツの法事だったな)
 都合の良い解釈かもしれないが、俺には死んだ友人が何気に警告してくれたの
ではないかと思う。偶然にしては、色々と重なりすぎていたからだ。
 ありがとう。……○○。そっちに行ったら、またバカ話しでもしような。
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