休みもない仕事だらけのGW中に、滅多にない実家からの電話がきた。
親父危篤、脳腫瘍。もって数ヶ月。
親父が定年を迎えようとしていた、ほんの数ヶ月前だ。
俺に”マイコン”を教えたのが、親父だった。
仕事に穴をあけることができない状況にいた俺は、
「盆までなんとかもってくれ」
そんな身勝手なことを願っていた・・・
そして7月に入ったある日、夢を見た。
端末に向かって仕事している俺。すると、いつのまにか親父が後ろにいた。
「仕事はどうだ?」
仕事中の俺は一瞬驚いたが、生返事を返し、黙々と仕事を続けた。
「Cは覚えたか?HP-UXはこう使え云々」等々初歩的な講釈をたれる親父。
延々つづくそれがいいかげんうざくなり、つい口が滑った。
「んなのは分かってる。俺のほうが詳しいっつーの!」
すると寂しいのか、うれしいのか分からないような微笑を浮かべ
「・・・そうか」
そう一言いい、どこかに去っていった。
そこで目がさめ、目覚ましを見ると、6時半過ぎ。珍しく早起きをした。
出社。仕事始めてすぐに実家から電話。
親父死亡の連絡。
心の準備は既にしてあったのでショックはなかった。
死亡時刻は、その日、俺が起きたちょっと前だった。
その後、無事葬式を終え、会社に戻ってふと夢を思い出したとき、
式でも流さなかった涙が出た。
泣いた。
闇雲に働いて死んでいった親父の人生にむなしさを感じたからなのか、
仕事にかまけて、死に際にそばにいてやれなかったせいなのか、
枕もとに立った親父にたいした言葉を掛けられなかったせいなのか、
削られた人間性を仕事のせいにしようとしていた自分になのか、
夢でみせてくれた最後の表情の意味を理解したせいなのか、
あるいはすべてのせいなのか、よく分からないが。
ただ、街を離れる列車を見送る親父の、目を赤くしている姿だけは、
今でも強く焼きついている。
2011-10-30 16:21
祖母は若いころ、日本舞踊のお師匠さんをやっていたそうです。
多いときでは20人近いお弟子さんを抱えていて、
年に1回、踊りの発表会の様なものがあったそうなのですが、
ある年に、お弟子さんの一人が、発表会を前にして不幸にも
亡くなってしまいました。
とても熱心な方で、祖母も他のお弟子さんもとても残念がって
いたそうですが、発表会当日、誰ともなく「せっかくですから
●●さんのスペースを開けて踊りましょう」という話になり、
その亡くなった方のいつも踊っていたスペースを一人分
空けながら踊ったそうです。
そして後日、その発表会を撮影した写真が上がってきてびっくり。
なんと、その空いたスペースにうっすらと、その亡くなった
お弟子さんが微笑みながら、踊っているのが写っていたんだとか。
これを見た祖母もお弟子さん方も「ああ、●●さんも楽しそうに
踊れて、良かったねぇ」と嬉しくなり、記念にその写真を焼増して、
大切にとっておいたそうです。
残念ながらこの写真は、戦火で焼けてなくなってしまったそう
ですが、母や伯父達も小さい頃見せてもらったことがあるらしく、
それぞれ「うちには昔、すごい心霊写真があったんだぞー」
と笑って自慢をしていました(笑)。
2011-10-30 16:18