目が覚めた時、自室とは違う粗末な造りの天井が見えた。

視線を少し移動させると、朝焼けに微かに赤く染まった窓が見える。

衣擦れの音。よく知る人物の小さな呻きが聞こえた。
すぐ脇を見たら、まだ眠りについたままの玄冬が居た。




ここは、どこだろう。
今、自分は何をしているんだっけ?




まだ靄のかかる頭を無理矢理起こすように髪を乱暴にかきあげる。

そして気がついた。



がばっと、自分でも驚いたくらいに慌てて身を起こし、ベッドから抜け出し、僕は窓辺へと駆け寄った。何故だかお腹の辺りが痛かったけれど、そんな事は気にしてはいられない。

外を覗きこめばそこには雪に埋もれた木々が広がる森。
雪は降っていない。

けれど、酷く背筋が震えた。


ベッドに戻り、未だ眠る玄冬の肩を揺する。

「玄冬、起きて」


こうしてのんびりしている間にも追っ手はすぐ近くまで来ているかもしれない。
ああ見えて第三兵団の機動力はなかなかのものだ。


「ねぇ、玄冬、起きてよ」

早く逃げなきゃならないんだ。

「ねぇ…!玄冬!!」


必死に叫ぶ。


その願いが届いたかのように、玄冬の目が微かに開いた。


「…花白…?」

不思議そうな声に、小さな苛立ちを感じずにはいられない。
僕は目覚めた玄冬に背を向け小走りに部屋の隅に置かれた剣と、その脇の椅子に丁寧に畳まれたコートを握り締めた。


不覚だ。いつもは寝ている間だって剣は抱き締めているのに、なんで今日は傍に置いて置かなかったんだろう。


コートが丁寧に畳まれていた状況も気に入らなかった。こんな状況で敵襲にあったらどうするんだ、と激しい自己嫌悪に苛まれながら昨晩の様子を思い出そうとするが、…思い出せない。



「どうした…?」


まだ夢を見ているような玄冬の声が背後から聞こえる。


「どうした、だって…?」


呻きにも似た声が喉の奥から漏れる。ズキリとお腹が鈍く痛む。気に入らない。
何だ。これ…、これじゃあ、まるで僕が怯えているみたいじゃないか
そんなわけはない。自分に言い聞かせるようにもう一方の手で、僕のものと同じように畳まれた玄冬のコートを掴むと、思わず振り返りながら叫んでいた。


「決まってるだろ!!逃げるんだ!逃げなきゃ、追っ手がすぐにやってくる!なのに…、なのに何で君はそうして平気そうに寝ていられるの…!!」


完全な八つ当たりだった。

お腹に感じた痛みは先ほどよりも痛みを増して体と心を苛む。
痛い。痛い。
だけど、気にしてられない。
玄冬はすぐに諦めてしまうんだから。だから僕だけは絶対に諦めたりなんかしない。



「落ち着くんだ花白」
「落ち着いてなんか…!」


緩慢な動作で玄冬がベッドから立ち上がった瞬間、また酷くお腹が痛んだ。

「花白!!」

あまりの痛みに膝が折れた。
腹部を押さえ込み、床に崩れた僕の耳に、急いだ足音が近寄ってくる音が届く。

そっと肩に触れる温もりも、今の僕には何の癒しにもならない。


「…何で、何で落ち着いてられるのさ…」

次第に荒くなる呼吸。
吐き出す言葉は不様に擦れ、悔しさ故に目に涙が滲んだ。

「僕は…君と一緒に居たい…。短い時間でもいいんだ……だから…絶対に、捕まらない…」


玄冬は僕が守る
想いは揺るがない。なのに体が言うことを聞いてくれない。
苛立ちに、腹部を押さえる手に力を込めようとして。
そして違和感に気がついた。


何、これ…

ぬめりを帯び、思うように力が入らない手を見ると、そこにはべっとりと血がついていた。

気分が悪い。
何かが頭の中を過る。

今、自分が酷く動揺しているのが解る。
揺れる視界の中、ゆっくりと腹部へ視点をずらす。
次第に鮮明になってくる記憶。意識が途切れる前に聞いた玄冬の言葉。この傷を負った経緯。その直前、僕は。

何を、した?



「…もう、終わった」


静かに玄冬の声がかかる。
窓の外。未だ溶けない雪。
しかし、もう、今は降る事は無い。


「玄冬」
「今は考えるな。もう、逃げなくても良い」



腹部が鈍く痛んだ。
喜ばしい事のはずなのに、何故か笑顔を作ることが出来なかった。


刺し貫いた、彼の人。
この傷は彼女と同じ場所にある。


痛い





END