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Datura

▼いちごちゃんルート




いつまでも消えない傷というのはあって、痛んだり痛まなかったりするが、そこに確かに存在している。それを見て見ぬ振りができるようになり、剰えそれが日に日に上手くなって行くことを、大人になるというのだと、いつからか人は理解する。誰に教えられずとも。一期は思案しながら、目の前の白い身体をそっと撫でた。
「鶯殿、」
「あぁ、一期、……」
1LDKの部屋は狭く、置いてあるベッドだってシングルのそれがひとつきりだ。この部屋の主が死ぬほど無頓着なせいで物が少ないから手狭に感じたりしないだけで、殆どガラスケースの生き物も同じだった。
羊水のように生ぬるい空気に浸りながら、一期と鶯は度々触れ合い、混ざり合う。ふたりの秘密を分け合うように、口づけをしては舌を絡めて、それを引っ張り出して吸い上げて。唾液で服が汚れるのも構わないで、鶯の瞳を覗き込めば、与えられる快にわかりやすく蕩けた目がある。
「苦しくありませんか」
「平気だ、だから、」
もっと。
ぐいと引き倒され、今度は一期が口内を弄られる番だった。もどかしげに身体を揺らすのは自分か彼女か、境目も曖昧になる程酩酊する意識の中で、一期は器用に鶯の衣服を剥ぐ。
朝には寝坊助なこの人を起こして、ふたりの好みが違うから少し面倒でも紅茶と緑茶を淹れて。それさえあれば朝食は何でもいいなんて言うから、しつこく作り続けた卵焼きはいつしか彼女のお気に入りになって。そうやって少しずつ、少しずつ、一期は鶯の特別になったのだ。一期には想像もつかない場所で傷だらけになっていた美しい鳥を、助けたい。それがただの逃避でもいい。逃げることが必ずしも悪で、悪手ではないことを教えてくれたのは、他ならぬ鶯なのだ。
「はぅ、うう、あ、あッ」
「さあもっとよく、足を開いて……そう、よく見せてください」
瞳と同じくらい涙に濡れた花弁を開いて指を沈めると、鶯は堪らなくなってかぶりを振る。きもちいい、だめになる。内から外から刺激を与えてやると、それだけですぐに果を見てしまう。普段はおっとりと穏やかに笑み、茶と一期の料理を可愛らしく咀嚼するだけの口が、今は閉じることも忘れ、端からは涎を垂らして淫らに喘ぐばかりだ。
それでいい。
貴女の望みを妨げる万事は、この私が夢想に変えてみせる。
「いちご、」
「はい、鶯殿」
「いちご、すきだ」
「ええ、私も。愛しておりますよ
夢現の世迷言でも、夢でなければこちらが現実だ。
不気味な月も禍つ鶴も、あらゆる現実が私の前では霧霞。一期は鶯を追い立て、絶頂の彼方に泣き震える鶯を抱きしめ、うっとりと囁いた。
「私は、貴女が望んだ『普通《せかい》』。どんなことをしても、きっと、貴女のお側にいますから
一期の言葉を聞いてか聞かずか、鶯は悦楽の余韻冷めやらぬ顔で、幸せそうに頷いた。
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Eli, eli, lema sabachthani?

▼不穏な吉光姉妹


保冷剤を拝借して、感覚がなくなるまで耳を冷やした。病院に行かずとも出来ると書いてあったから、小さな端末の中の画面を参考に、ひたすらに冷やす。麻酔の代わりだから、しっかりやらないと痛い目を見る。一期は感覚がなくなる前に襲い来る、人体の正しい警鐘めいた痛みに顔をしかめながら、手の中のピアスを眺めた。

「……鶯殿?」
「やあ、一期」
図書館には彼女がいる。一期の方から会いに行くのが常であったけれど、本日は稀有な日らしい。エントランス前のベンチに、鶯友成は腰掛けていた。一期の姿を認めると、彼女は傍らの紙袋を持って側に来やる。
「待っていたんだよ」
「わ、わたしをですか?」
「他に誰がいるんだ?」
綻ぶように笑う彼女は相変わらず美しく愛らしい。この際理由などどうでもよいか。彼女が一期のために時間を割いてくれた。この事実だけで、天にも昇る心地心地だった。
「そう、これを渡そうと思って」
「え、」
鶯は手に持っていた手のひら大の紙袋を、そっと一期に手渡した。返されるようなものが何かあっただろうか?首をかしげるばかりの一期を鶯は珍しく感情もあらわに楽しそうな瞳で早く早くと急かす。封を開けてみれば、それはピアスだった。赤い薔薇。一期の瞳の色と同じだ、鶯はそう言って、うっとりするように笑んだ。
「これは……」
「可愛いだろう。見た瞬間お前の顔が浮かんでな、これは贈らねばならないと思ったんだ」
「あ、ありがとうございます……!」
一期は熱くなる目頭を押さえ、それから紙袋を抱きしめた。
貴女の肚の中には、私の永遠の愛が。そして貴女からは、私の体を貫く愛が。ちらりと彼女の肚のあたりに目をやれば、鶯は察したのか、照れ臭そうに笑って腹を撫でた。
幸せだった。

体を刺し貫くことになんの躊躇いもなかった。彼女がくれたものだから。それ以外に理由や意義などない。空けよと命じられたのであれば一も二もなく従うし、よしんばそんな意図など無かったとしても、結果論だ。穴を開けなければ彼女の愛を身につけられないというのなら、一期に迷いは一切なかった。
安全ピンを耳たぶに刺す。痛みがあるような、ないような。冷え切った真っ赤な耳たぶはもはや感覚を機能させず、無気力に鉄の棘を受けいれている。滴る赤い血は微々たるもので、少しばかり戦々恐々としていた気持ちもとたんに拍子抜けした。
背後の扉がひらいた。
「いちねえ、なにやってんだ」
「ああ、薬研、おかえり」
「じゃ、なくて、耳……ッ」
「これかい?鶯殿がピアスをくださったんだ。つけたいけれど私には穴が開いていなくてね、病院を待つのも億劫で、それなら自分で開けてやれと思ったんだよ」

家に帰ると、品行方正を絵に描いたような姉が自傷していた。大げさに思われるかもしれないが、字面としてはこう言う他ない。
血の滴る耳を恍惚とした表情で撫でながら、鏡を見つめる姉はまさしく狂信者だ。図書館に巣食う無貌の女神を崇め奉る無辜の民。薬研は努めて平静を装いながら、淡々と聞かせる。
「そいつで無事済むならかまわねぇが、化膿したら病院行けよ」
うんわかっているよ、上の空の返事にため息が出る。
救われているのに報われない。
愛しているのに恋われない。
つくづく似た者同士の自分たちが、それでも決定的に違っているのは、その深度であろう。
「……いちねえ」
分かり合えない。
薬研の信じる宗教と、姉の信じる宗教は違う。前者は友愛、後者は恋。
「ふふ、鶯殿……」
姉と似たものに形を変えつつある自分の宗教には見ないふりをしたくなるほど、一期の抱えるそれは醜悪で、苛烈で、そして美しかった。

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MAJOR

▼いちうぐ ラリッたあとの話

やあ、一期。息災か?それは重畳。まあ、携帯の履歴を見ればお前が元気なのはわかっていたが。心配しすぎだ。…なに、風邪を拗らせて入院していた。大事ない。昔から厄介な身体をしていてな、こういう事は侭ある。それより久しぶりに会ったんだ、昼食でもどうだ。うん。じゃあ行こう。何を食べようなぁ。

入院していただなんて知らなかった。…あの方が、お薬を飲まれているのは知っていたけど…十中八九、それに纏わるもの。でも憶測の域を出ない。私はあの方のことを何も知らない。…そういえばあの目障りな鶴も最近は見てなかったな…




彼女からはぐらかすように誘われた夕食から数日。
妙なわだかまりを抱えつつも日々を過ごしていた一期は、授業を終えて学部棟を出たところだった。「いつでも来て良い」と言われていたけれど、入院をしていたと聞いてからは無沙汰をしていた。今日あたりは行ってもいいだろうか、などと、彼女を思い浮かべていた矢先だ。
「お疲れ様、一期」
「な…」
そこには、今しがた思い馳せていた鶯、まさに彼女が立っていた。一期は慌てて居住まいを正した。
「お、お疲れ様です!え、ええと、お仕事、早く終わられたのですか…?」
会えなくとも彼女のスケジュールなら頭に叩き込んである。しかし、彼女はしてやったりとばかりにからりと笑った。
「実はな、今日退院したんだ」
「今日!?ではあの時は…!?」
「あれはなぁ、俺がもうどーしても我慢ならんと先生にお願いをして、外泊させてもらっていたんだよ。あの時はすまなかったな、無理に誘って」
滅相も無い。あれは天啓にも等しい好機であった。一期はめいいっぱい首を振った。
「いつもはお前が俺を待っていてくれるが、今日は逆だな」
鶯は一期に歩み寄る。優しく撓む瞳、揺れる鶯色の髪、何もかもが輝いて映る。彼女が今、私だけを見てくれている!一期が並々ならぬ歓喜に静かに打ち震えている間にも鶯は我関せずで話題を貫く。そんなところも好きだ。
「で、こんな待ち伏せみたいなことをしておいて、俺は更に、お前に頼み事をしようと思っているんだが……」
「なんなりと」
「内容を聞いてから返事しなさいといつも言っているだろう。だがこれは、一期にしか頼めない……」
そっと手を取られる。
この鶯を哀れと思うなら、断ってくれるな。
紡がれる唇に釘付けになる。一期には、それが鶯の言葉であること以外に意味などない。それを鶯が自分に望むのなら、それに優先されるものはこの世にない。忘我の最中に頷く一期を満足げに眺めた鶯は、ややあって、彼女の願いを口にした。
「お前の料理が食べたい」
「……料理」
「ごはん」
「ごはん」
「できれば肉じゃが」
「肉じゃが…」
どうだ、聞いてはくれないか。
返事など決まっていた。
「お、お任せください」
「やった!材料はもう揃えてあるから、早速うちに来てくれ」
手を引かれる。一期は目を白黒させながら、必死に肉じゃがのレシピと、最後に見た鶯の家の調味料棚の様子を思い返す。その記憶の中に混ざる、一時のノイズがある。『俺は、お前に一等、』彼女の腹のなかにある、自分と彼女の甘美な盟約の証し。あれはこれから、彼女を形作る全てをすりつぶし、混ぜ捏ね、体の中にあり続ける。
「鶯殿、」
「ん?」
夢のようだった。
「味醂がありませんぞ。それから生姜も。やはり、買い物をさせてもらっても?」
「む、そうか。ならばスーパーに寄ろう」
一期が先導するように手を引けば、鶯も楽しそうに笑い返した。



▼食わば腹

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A broken egg cannot be put back together.

▼弟の思うところ BELOVEDの後とLEANONの後に入りそうな回想




鳴かない小鳥などいない。
涙などなくとも、きっとお前は泣いていたのだろう。



「友成」
「ああ、大包平。そちらは終わったか」
「…………、…………お前」
とある地方大学近くの学生街。
少し汗ばむような春の陽気の中、姉の引っ越しを手伝いに来ていた大包平は、自分の持ち場をすっかり片づけてしまったタイミングで、姉の様子をうかがう。声も態度もでかいのが玉に瑕ではあるが、実はこういう細々とした作業こそが彼の真骨頂であったりする。使いやすさを考慮してお手本のように片づけられた台所を満足げに眺めてから、いざやと姉の方へと目をやれば、そこには信じがたい光景が広がっていた。
おかしい、作業を開始した時から、様子が寸分もたがわないように見えるのは、果たして疲労がみせている幻覚なのだろうか。大包平が言葉を失っていると、たぶん荷物にはなかった、誰かからの引き出物だろう小さなサボテンの鉢植えを持った友成が気の抜けた声を漏らした。
「不思議だなあ。開けても開けてもちっとも片付かんのだ」
「ひとつの箱を空にしてから次を開けろ!ああ、もう、一体なんのためにダンボールに品目が書いてあると……!」
この姉に任せていては日が暮れる。
そう思った大包平は、特大の溜息を吐き出したのち、残りの荷物も引き受けてしまうことにする。
「片付けはもういい。茶でも淹れていろ」
「拝命した。お前は昔から、こういうの得意だよな」
「お前が下手過ぎるんだ。まったく、皆がこぞって甘やかすからこうなる」
憤慨しながら、友成が散らかすだけ散らかした荷物を片づけていく弟の背中を見て、こらえきれずに笑ってしまうと、しっかり聞こえていたのか「茶!」と怒号が飛んでくる。
これ以上機嫌を損ねてはたまらないと、はいはいと生返事をしながら友成は今しがた弟が美しく片づけてくれた台所へと立った。
茶を淹れてからは弟の邪魔にならぬよう、湯呑片手にベランダに出た。世間知らずな姉のために大包平が探してきた数多の物件の中で、彼女が選んだのはどうしてか、呆れるほどの九十九折りの坂の果てに立つ特別新しくもないアパートだ。二階建てのそれはオートロックなんてしゃれたものもなく、いろいろな意味で用心するに越したことはない友成が住むには聊か以上に不安が残るものだったが、この九十九折こそを防犯の一環と考えて提示した最低ラインの家だった。こうと決めたら意外と何も聞き入れない姉の性質をよく理解していた大包平はその場でこそ何も言わなかったが、時効だろう。
「どうして、ここにしたんだ」
「ん?」
家の中から、ダンボーからガムテープをはがす音に交じって、大包平が友成にそう尋ねた。
「家賃を考えても、交通を考慮すれば平地でもここくらいの家はあったろう。ここの何がそんなにいいんだ」
職場からも、繁華街からも外れているし、なにより自転車も受け付けないような坂ばかりだし。
「そうだなあ、」
友成は、ベランダからの景色に目をやった。このあたりの市街地では一等高い場所に位置する此処は、家からでもこの町を一望できる。見える空は高く、邪魔するものも何もない。今日は天気がいいからか、町一つ越えた先の海まで見える。九十九を駆けあがってきた風は、さあっと吹き抜け、花と緑のにおいをはこぶ。愈々春めくそれを感じた友成は緩く微笑みながら、答えた。
「やっと手に入れた気がしたから、かな」
「……髭切ではないが、姉上の言は簡素過ぎていっそ難解だ」
「そんなことはない。足りないときには足りないというし、満ちているときにはそういう。ああ、尤も……」
そういう気持ちも、ここに来てから、よくわかるようになったんだ。そう言って笑う姉の笑顔は、屋敷にいた頃と何も変わらないのに、なぜだか大包平は今の彼女のほうこそが、本当の姉なのだと、確証のない確信を得ていた。彼女が望み、誰もが願った彼女の自由。それを象徴するかのように開けたこの家が、彼女の住処となることへの疑問は、今では大包平には世紀の愚問に思えたのだった。



「鶯」
「……」
「妹を入れてもいい?」
件の出来事のあと、安達の屋敷に匿われていた初めの頃、姉は正しく籠の鳥だった。
姉が自由を手に入れ、檻から出ていくのうらやましがった女狐が立てた爪傷は、鳥の風切羽を著しく損なった。日がな一日寝床で過ごし、ともすればそれこそ羨望のまなざしで庭ばかり見ていた顔が、大包平がそのころの友成の記憶として覚えているものの大半だった。聴覚に異常はないし、言葉を発せないわけではないが、今はまだ会話とは程遠い。現に今、部屋をおとなった髭切の言葉に、反応こそ示せど応えはしない。姉にかわり、傍に控えていた大包平が、髭切へいらえを返した。
「構わない。入れ」
俺の声に許しを得て、獅子と蛇の姉妹が這入ってくる。
姉の方は、能面のような友成の様子を気にした風もなく、返事を待たずに話しかけたり土産のかんざしを適当に頭に挿したりしている。大包平は大包平で、増えた人数分の茶を用意していると、不意に聞こえる音がある。
「ひざまる、」
「っ、」
呼ばれた蛇は、入室こそしたものの引き戸の障子のそばで石像のように固まっていた身を跳ねさせた。彼女も例の一件で片目を失っており、包帯を巻いたままの顔は痛々しい。それが助長するように、彼女は友成に向ける目線にはこの世の負の感情を全て載せたような色がある。最も強いのは怯えで、とても蛇が小鳥に向ける視線には思えない。
友成は返事が聞こえないのが不思議だったのか、もう一度、はっきりと、膝丸を呼んだ。
「……はい、」
ほとんど空気のような声で、膝丸が返事をした。友成はそれを聞いて、嬉しそうに頸をかしげる。
「おいで」
声には剣も棘もない。身振りすらないそれは、けれども何よりも強い強制力をもって膝丸の身体に呪いのように染み渡る。近づくのが恐ろしくて、恐れ多いのに。逆らうことなど万に一つも赦されない。友成の傍にいた姉がそこを退くのがわかった。膝丸は意を決して、歩む。近くまで来ると、もう自分が呼吸をしているのかどうかも定かではない。顔を見ることなどできないのに、落とした視線の先にはおびただしい注射の跡と鬱血が蔓延る病的なほどに白く細い腕が目に入って、とうとう蛇の片目からは涙が溢れた。
その腕が持ち上がったと思うと、わずかに震えながら、膝丸の頬に触れた。
「痛かったろう。髭切は酷いことをするなあ」
それは昔、髭切にいたずらされて、それがもとで怪我をした幼い膝丸に彼女が言った言葉と全く同じ言葉だった。この屋敷で、三姉妹同然に育ったあの頃。昔日の想いが胸をかすめた瞬間、膝丸は友成のかたわらに崩れ落ちた。額を布団にこすりつける勢いで、頭を下げる。とても上げることなど出来ない。
「すまない、」
「膝丸、泣くな。傷にしみるだろう」
「平気だ、俺の傷など、貴女に比べたら……」
「ああいけない、ほら、」
「ーーーああ……ああ…………ッ!」
もう片方の腕も持ち上げられ、膝丸はゆっくり友成の胸に招かれる。優しく抱きしめられると、これまで耐えていたものがすべて足元から崩れ去って、ついでに涙腺がばかになって、膝丸は咆哮を上げて友成の胸に縋りついた。
「俺の力が及ばずに、お前にはつらい思いをさせた。お前だけではない、髭切にも、大包平にも……」
そしてあいつにも。
「もう、誰も傷つかないと思ったんだがなあ」
それでお前がそんなにも傷つき、奪われる必要がどこにあったんだ。それはこの場にいた3人すべての胸に飛来した思いでもあった。しかし誰もそれを口にすることはなく、嗚咽と謝罪を只管繰り返す膝丸の髪を、友成はずっと幽かな笑みのまま、ゆっくりゆっくり撫で続けていた。
弟にはその笑顔が、痛い、痛いと泣いているように見えた。


「何を考えているのだ?」
「……いや、別に何も」
東京の夜は明るい。岡山の山奥や群馬の辺境と違い、明るすぎて星が見えない。今やこの国を手中に収む姉はそれを無粋というだろうか。いやーーーあの鳥は、鳥のくせにもう空を見ていないのだったと、大包平は隣の妻に気付かれぬ程度に短く息を付き、問いには応えなかった。
「三日月、明日は」
「明日は北の竜と晩餐よ。あの女は良いなあ、友成と並ぶと頗る絵になる。せぎすの鶴ややかましいばかりの獅子などよりよほど良い……」
微睡み始めているらしい女の前髪をさらりと払って、その額に軽く口づけを落とす。
「姉上も都内だろう。来ないのか」
「先ほどまでいた。お前と入れ違いで帰って行った……朝には九州だと言っていたぞ」
「そうか、」
丁度、その蛇のことを思い出していたのだが、偶然だろう。
外様に配されたとはいえ、手から外すつもりはないということだろう。我が姉は、次は何もなくさないと言っていた。罪ごと抱え上げると言えば聞こえはいいが、それは罪人は罪人のまま、その業をいつまでも手放せないということになる。友成の傲慢は生来のものだ。あれは他者にはちっとも理解できない。他者はおろか、血を分けた弟である自分にさえも。
「忙しくなるな」
「ああ。だからもう寝よう」
電気を消すぞ、そう言って半身を起こした三日月のむき出しの鎖骨には、古備前の紋が刻まれ、さらにその上には真新しい噛み傷がある。姉が来て、何をしていったか。一目瞭然だった。
大包平は何もみなかったふりをして、明かりが落ちると同時に、三日月に背を向けて目を閉じた。



▼飛べぬ狐も泣けぬ小鳥も、等しく憐れには違いない
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そんなせかい

地獄を忘れた別世界線




うららかな昼下がり。決して広くはないアパートの一室は、とても賑やかだ。部屋の主はきゃあきゃあ騒ぐ声を気にするでもなく、むしろ微笑ましそうに笑みながら、窓際に席を取り、茶柱の立った茶を啜る。

「ずるいです! そんな役であがるなんて!」
「賭け事なんてずるしてなんぼのモンだ。っつーかずるじゃないからな、カスだって立派な役だ。ねーちゃんを敬え」
「あなたを姉だとおもったことは一度もないです」
「まあまあ、大人げない姉上には加減してやろう、今。今は利口だからなあ」
白い姉妹が花札を手に勝負、いや、自称賭けをしているらしい様子を、鶯は遠巻きになだめる。賞品は知らない。ぶすくれていた今は、鶯の言葉にぱっと顔を輝かせる。
「ぼくの勝ちですね!」
「はあ!?」
どうやら賞品は自分に関することだったらしいと、鶯は飛びついてきた今を抱きとめた。
「鶯ねえさまはぼくをほめてくれました」
「いや、勝負は俺が勝った」
「ふふん」
可愛げない。国永は眉根を寄せたが、確かに大人げもなにもないとため息をつく。が、ほとんど同時に、襖を引く勢いで玄関のドアが開かれ、ビニール袋に詰め込まれた飲み物を散らして身を乗り出してきたのは。
「私もその勝負、参加させていただきたく」
「おいおい、いまきみが放り投げたのほとんどビールとコーラだぞ! これじゃ事故だ!」
「おかえり一期、重かったろう」
「おかえりなさい! 勝負はもうつきましたよ! ざんねんでしたね!」
ぎゅっと鶯に抱きついたままの今は、鶯の頬にキスをした。ぴきりと額に青筋を浮かばせたのは一期。あーあ、とげんなりしながら飲み物やつまみを拾い集めるのは国永。
「細かいことは気にするな、風呂で乾杯しよう」
「あ、貴女様と一緒にお風呂だなんて……」
「はれんちです。鶯ねえさま、ぼくとジュースをのみましょう」
「もう突っ込まないぞ俺は」

一番のずるをして勝ったらしい今とジュースで乾杯した鶯は、手を泡だらけにした国永に、大人しくなったビールをねだった。
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