高校を卒業してからかれこれ5年の月日が流れていた。

5年も過ぎれば環境が変化する。最も大きな出来事といえば、僕が妖夢の扱い方を習得したことだろう。名瀬家との協定も改変が行われ、選択の自由がいくらか広がった。条件付きではあるものの妖夢退治を許可してもらえるようになったし、異界士の情報も回ってくるようになった。随分と遅くなってしまったけれど、これで美月や博臣に恩を返すことが出来る。

そういえばこの頃あの二人に会っていないがどうしているのだろうか。妖夢退治の任務は泉さんから連絡だけ来るし、彩華のところに行っても彼らのことは何も知らないと言う。以前は高校で気軽に話せたがバラバラになってしまった今何かきっかけが無ければ姿を見ることすら叶わない。泉さん曰く、二人は主に町の外に出ているそうで、名瀬家の監視区域から出られない僕に探しに行くという選択肢はなかった。

引っ越す理由もないので、部屋はこの町に来たときと変わらずあのアパートの一室だ。テレビの音をBGMにして、時間潰しのために手の込んだ料理を作る。妖夢退治をするようになってから使い道もないほどの大金が手に入るようになってしまったので、高価な服や家具、食材などを買っても全く支障がない。もちろん眼鏡は相変わらず増え続けている。

料理の下準備が済み、フライパンを出してコンロの火を点けようと思ったその時だ。高校の時に設定したっきりの携帯の着信音が鳴り響き、僕は慌てて携帯を確認した。

ディスプレイには懐かしい『名瀬博臣』の文字が書かれている。驚きのあまり携帯を手から滑り落としそうになった。

「も、もしもし?」

『久しぶり、アッキー』

「なんだよ突然電話なんかしてきて」

昔はからかい合って遊んだ仲だということは覚えているのだけど、その感覚が思い出せなくておぼつかない喋り方しか出来ない。

『偶然アッキーのアパートの近くまで来たから会えるんじゃないかと思って。電気点いてるから家にいるんだろ?』

「いるよ。今晩飯作ってた」

『ふーん。俺の分は?』

「あるわけねーだろ!」

『じゃあ用意しておいてくれ。今から行くから』

「は?」

ツーツー。あっけなく電話は切られてしまった。少しずつ感覚が蘇ってくる。そうだった。確かに博臣はそんなやつだった。しかし腹が立つどころか口元が緩んで、自嘲する。僕の分は後で作ればいいから、ひと先ずこれを火にかけよう。

博臣が来たのは、ちょうど料理が出来上がった時だった。ドアを開ければ、寒いと言いながら遠慮なく上がってくる。お邪魔します、と律儀に言う辺り家柄の良さが感じられる。

博臣は僕の部屋を一通り見回して、くすっと笑う。

「変わらないね、アッキーは」

「お前もな」

いくらか背が伸びて、顔が精悍さを帯びている以外に変化は見られない。僕を見る表情も笑い方も昔と同じだ。

マフラーを解きながら、一人用のテーブルの前に座る博臣に出来立ての料理を出す。色とりどりのピーマンや魚介類が黄色のご飯の上に並べられている。所謂パエリアというやつだ。

「アッキーがオムライス以外のものを作るなんて…」

「失礼な!僕はオムライス製造機じゃない!」

「でも色は似てる」

目を見開いて驚く博臣にすかさず突っ込みを入れる。全くこいつは…。本当に口が減らないな。

機嫌を損ねたふりをして再びキッチンに戻る。目の前で食べているのを見るなんて自虐行為以外の何物でもない。すぐに火が通るものだけ冷蔵庫から出して雑に切る。冷凍しておいたご飯をフライパンに投入して、5分ほど食材を炒めればパエリアもどきの完成だ。

博臣はずっとテレビを見ていたらしい。チャンネルを自由に変えてもいいという意味合いでリモコンを渡すと、これでいいと断られてしまった。特に面白くもないバラエティ番組で良かったのだろうか。博臣はニュースのが好きそうなのに。

「家でゆっくりテレビを見る暇がないからな。流行を知っておこうと思って」

「そんな知識どこで使うんだよ」

「可愛い妹に披露してやるに決まってるだろ?」

「シスコンは健在ですか!」

喜ぶべきか迷うところだが、いい方にも悪い方にも期待を裏切らない。

「そういえば美月は今どうしてる?」

「大学で楽しくやってるらしい。そろそろ彼氏の一人でも連れてこいと泉姉に言われていたよ。俺は大反対だがな」

大学か。そんなこと言ってたかもしれない。卒業するために高校に通っていた僕とは違って美月は三年生になってから進学に向けて勉強するようになっていた。僕も邪魔をしないように何も聞かなかったし、美月も言おうとしなかったから、何も知らないまま僕らは別れてしまった。

「アッキーは今何してるの?」

泉さんから多少は聞いているはずだから妖夢の件は省略しながらこれまでのことを話した。博臣は穏やかな表情をしたまま口出しせずに聞いていた。話しているうちに博臣たちと比べたら僕の5年間なんてちっぽけな変化しかしてないじゃないのかと思えてきた。それでも僕の積み上げてきた5年間であることには変わりない。それを知って欲しかった。

博臣は空になった皿にスプーンを置き、僕よりもずっと要約された話をした。名瀬家の幹部である以上漏らしてはならない情報を扱うことが多いからだろう。追究するのは野暮だ。

それから訪れた沈黙がこれまでの空白の時間の存在を表明していた。不快には思わなかった。事実を受け止めることにだいぶ慣れてきたのかもしれない。

「博臣」

「ん?」

「また来いよ。飯ぐらいご馳走するから」

美貌の異界士は曖昧に濁しながら頷く。思っていたよりも距離は離れていたようだ。

今度は僕が近付く番だ。何かしなければ何も変わらない。

空いた皿を片し、空間の出来たテーブルにアルコールの入ったアルミ缶を置く。意味を悟った博臣がにやりと笑った。