スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

相合傘(博臣+秋人)

高校を卒業してからかれこれ5年の月日が流れていた。

5年も過ぎれば環境が変化する。最も大きな出来事といえば、僕が妖夢の扱い方を習得したことだろう。名瀬家との協定も改変が行われ、選択の自由がいくらか広がった。条件付きではあるものの妖夢退治を許可してもらえるようになったし、異界士の情報も回ってくるようになった。随分と遅くなってしまったけれど、これで美月や博臣に恩を返すことが出来る。

そういえばこの頃あの二人に会っていないがどうしているのだろうか。妖夢退治の任務は泉さんから連絡だけ来るし、彩華のところに行っても彼らのことは何も知らないと言う。以前は高校で気軽に話せたがバラバラになってしまった今何かきっかけが無ければ姿を見ることすら叶わない。泉さん曰く、二人は主に町の外に出ているそうで、名瀬家の監視区域から出られない僕に探しに行くという選択肢はなかった。

引っ越す理由もないので、部屋はこの町に来たときと変わらずあのアパートの一室だ。テレビの音をBGMにして、時間潰しのために手の込んだ料理を作る。妖夢退治をするようになってから使い道もないほどの大金が手に入るようになってしまったので、高価な服や家具、食材などを買っても全く支障がない。もちろん眼鏡は相変わらず増え続けている。

料理の下準備が済み、フライパンを出してコンロの火を点けようと思ったその時だ。高校の時に設定したっきりの携帯の着信音が鳴り響き、僕は慌てて携帯を確認した。

ディスプレイには懐かしい『名瀬博臣』の文字が書かれている。驚きのあまり携帯を手から滑り落としそうになった。

「も、もしもし?」

『久しぶり、アッキー』

「なんだよ突然電話なんかしてきて」

昔はからかい合って遊んだ仲だということは覚えているのだけど、その感覚が思い出せなくておぼつかない喋り方しか出来ない。

『偶然アッキーのアパートの近くまで来たから会えるんじゃないかと思って。電気点いてるから家にいるんだろ?』

「いるよ。今晩飯作ってた」

『ふーん。俺の分は?』

「あるわけねーだろ!」

『じゃあ用意しておいてくれ。今から行くから』

「は?」

ツーツー。あっけなく電話は切られてしまった。少しずつ感覚が蘇ってくる。そうだった。確かに博臣はそんなやつだった。しかし腹が立つどころか口元が緩んで、自嘲する。僕の分は後で作ればいいから、ひと先ずこれを火にかけよう。

博臣が来たのは、ちょうど料理が出来上がった時だった。ドアを開ければ、寒いと言いながら遠慮なく上がってくる。お邪魔します、と律儀に言う辺り家柄の良さが感じられる。

博臣は僕の部屋を一通り見回して、くすっと笑う。

「変わらないね、アッキーは」

「お前もな」

いくらか背が伸びて、顔が精悍さを帯びている以外に変化は見られない。僕を見る表情も笑い方も昔と同じだ。

マフラーを解きながら、一人用のテーブルの前に座る博臣に出来立ての料理を出す。色とりどりのピーマンや魚介類が黄色のご飯の上に並べられている。所謂パエリアというやつだ。

「アッキーがオムライス以外のものを作るなんて…」

「失礼な!僕はオムライス製造機じゃない!」

「でも色は似てる」

目を見開いて驚く博臣にすかさず突っ込みを入れる。全くこいつは…。本当に口が減らないな。

機嫌を損ねたふりをして再びキッチンに戻る。目の前で食べているのを見るなんて自虐行為以外の何物でもない。すぐに火が通るものだけ冷蔵庫から出して雑に切る。冷凍しておいたご飯をフライパンに投入して、5分ほど食材を炒めればパエリアもどきの完成だ。

博臣はずっとテレビを見ていたらしい。チャンネルを自由に変えてもいいという意味合いでリモコンを渡すと、これでいいと断られてしまった。特に面白くもないバラエティ番組で良かったのだろうか。博臣はニュースのが好きそうなのに。

「家でゆっくりテレビを見る暇がないからな。流行を知っておこうと思って」

「そんな知識どこで使うんだよ」

「可愛い妹に披露してやるに決まってるだろ?」

「シスコンは健在ですか!」

喜ぶべきか迷うところだが、いい方にも悪い方にも期待を裏切らない。

「そういえば美月は今どうしてる?」

「大学で楽しくやってるらしい。そろそろ彼氏の一人でも連れてこいと泉姉に言われていたよ。俺は大反対だがな」

大学か。そんなこと言ってたかもしれない。卒業するために高校に通っていた僕とは違って美月は三年生になってから進学に向けて勉強するようになっていた。僕も邪魔をしないように何も聞かなかったし、美月も言おうとしなかったから、何も知らないまま僕らは別れてしまった。

「アッキーは今何してるの?」

泉さんから多少は聞いているはずだから妖夢の件は省略しながらこれまでのことを話した。博臣は穏やかな表情をしたまま口出しせずに聞いていた。話しているうちに博臣たちと比べたら僕の5年間なんてちっぽけな変化しかしてないじゃないのかと思えてきた。それでも僕の積み上げてきた5年間であることには変わりない。それを知って欲しかった。

博臣は空になった皿にスプーンを置き、僕よりもずっと要約された話をした。名瀬家の幹部である以上漏らしてはならない情報を扱うことが多いからだろう。追究するのは野暮だ。

それから訪れた沈黙がこれまでの空白の時間の存在を表明していた。不快には思わなかった。事実を受け止めることにだいぶ慣れてきたのかもしれない。

「博臣」

「ん?」

「また来いよ。飯ぐらいご馳走するから」

美貌の異界士は曖昧に濁しながら頷く。思っていたよりも距離は離れていたようだ。

今度は僕が近付く番だ。何かしなければ何も変わらない。

空いた皿を片し、空間の出来たテーブルにアルコールの入ったアルミ缶を置く。意味を悟った博臣がにやりと笑った。

浄瑠璃太夫(石切丸×鶴丸)


 平安というものは己で生み出すものだ。

 体中をかけめぐる生の蠢きを、髄から湧きあがってくる熱を、皮膚を刺す他からの怨恨を、全て断ち切ってしまわなければ平安を手に入れることは出来ない。与えられるものでもなく、組み立てるものでもなくただ己自身で無きものを有るものへと。光を殺し、音を殺し、さらには己の心まで殺す。その意味すらも。しかし平安は容易く崩れる。だからあらゆるものはその命の灯火が消える前に息を吹き返すのだ。それが連鎖というものなのだろう。

 石切丸は広い間の中心で祈祷を捧げていた。神仏に祈るというよりは、自身の中から毒を洗い流すためといってもよい。人の体を得て言の葉を紡げるようにはなったものの、それ以上に苛むものが増えてしまったことが石切丸を悩ませていた。

此処は彼の主の居室から最も離れており、そして最も血の匂いがしない場であった。そのせいか人のために生まれたものはあまり近寄らず、また神のために生まれたものは知らず知らずのうちにやってくる。石切丸と同じ三条の三日月宗近や子狐丸などは死の匂いがして厭ったものだ。

 では、どのようなものがやってくるというのか。

 石切丸はそろそろ頃合だろうと、祈祷を止め、体の力を抜いた。血液の流れる感覚が急に襲ってくる。

「もう終わったよ。入りなさい」

 唯一出入り出来る戸へ向かって声を掛けた。きっとまたしばらくは開かれないことだろうと石切丸は憶測し、すっかり冷めてしまった番茶――石切丸は玉露や煎茶と区別できるほどの味覚を持ち合わせていなかった――に口をつけた。ああ、と思い出したように烏帽子を外す。

 此処には神や仏が祀ってあるわけではない。広いだけが取り柄の間であり、手合いや宴に使われる場所は別にあった。使われることがあるとすれば、審神者である主が刀の魂を呼び起こす時くらいであろう。人を形作るのに魂以外のものがあれば歪みが生じてしまう。それ故、ここには文字通り何もないのだ。

「石切」

 あまりにも意識を遠ざけていたせいか、気配が恐ろしく感じられなかったせいか。石切丸は呼ばれるまで背後に立っていた男の存在に気が付かなかった。それでも驚いた様子を全く見せないのが彼の器量と言うべきか。石切丸は振り返って男の顔を見るなり表情を柔らかくして両手を広げる。懐に入ってこいという意味である。

 男は少々息を荒げていた。虚ろな目をして石切丸を眺め、気分が落ち着いてくるのと同時に膝が折れる。すかさず石切丸が受け止めた。男が痩躯でなければ今頃二人一緒に倒れていたことだろう。

「よくきたね、鶴丸。血の匂いを吸い過ぎてしまったのかな」

 すっぽりと腕に収まってしまった鶴丸の頭を撫でながら石切丸は言う。鶴丸は弱々しく首肯した。

 鶴丸は人のために生まれた側の刀であった。しかしどこで何が狂ったのか。それは墓に埋められていた時かもしれないし、神社に奉納されていた時かもしれない。気が付けばもう彼は神仏寄りの存在になっていた。生死に頓着しなくなってしまったのだ。

 以前、三日月宗近が言っていたことには、かつて鶴丸国永は黒装束を纏い、荒々しい獣のような目つきをしていた。しかし再びまみえた時、彼は白一色となり硝子のような目を携えていたため一目で鶴丸だと見抜けなかったらしい。

 石切丸は幼子にでもするかのように鶴丸の背を擦りながら頭をぽんぽんと叩く。

「君は人にはなれないよ。どれだけ真似をしようとも」

「……黙れ」

「捨てたものを拾い集めようとする様は哀れにもほどがある。捨てた理由もあっただろうに」

「石切…!」

 鶴丸は立ち上がろうと試みるが如何せん力が入らない。せめてもと石切丸を睨みつけるが石切丸は穏やかな表情を浮かべているばかりである。

「鶴丸、なら一つ尋ねるけれど、どうして君は今、刀を持っていないんだい」

 その言葉を聞くなり鶴丸の目の色から怒りが消え、悲しみに満たされた。

分かっているのだ。この石切丸という男は。鶴丸が何故神仏寄りの存在になったのかも、鶴丸が感情的に生きようとしている理由も。そしてその末路も。決して今の彼を非難しているわけではない。むしろ石切丸は彼の身を誰よりも案じていた。次にまた死を味わうことがあるとすれば、それは己が己自身を殺す時だ。

「ああ、可愛いね鶴丸」

 大人しく身を預ける鶴丸を石切丸は慈しむのであった。

三日月の憂鬱(三日月)

三日月宗近は不機嫌であった。

 この本丸に来てからもう一週間は過ぎようとしているのに、一度も出陣の命が出されていない。呼ばれたかと思えば内番や手入れの手伝いくらいなもので、しぶしぶ引き受けはするもののあまり乗り気ではなかった。

 三日月宗近は自分に誇りを持っていた。あからさまにその力を表に出すことはないが、その辺の雑兵を蹴散らすことなど朝飯前だと思っているし、周りの刀剣たちより自分が劣っているなどとは考えたこともない。最も強い存在とまではいかないまでも十分な戦力にはなるはずである。

 なのに、だ。何故主は自分を戦場に立たせようとしないのだろう。それこそ文字通り、宝の持ち腐れである。

「鶯よ」

 三日月宗近は半ば八つ当たりするように、隣で茶を啜っている鶯丸を呼ぶ。彼は昨夜遠征から帰り、今日は一日暇を貰っていた。

 鶯丸は何食わぬ顔でちらりと三日月宗近の方を見る。

「『来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩もしおの 身もこがれつつ』……と言った所か」

 いつまで経ってもやって来ない恋人に身を焦がす少女を詠った、権中納言定家の歌である。

三日月宗近は眉を顰める。自分のことを少女と表されたことが気に障ったようだった。

「舌を切られたいのか」

「俺は正直者だからな。君がどう思おうと知ったことじゃない」

 最初の頃は自分のことを爺と称して穏やかな表情を浮かべていた三日月宗近であったが、今では爪を隠すことも忘れ、鷹のように目を光らせている。当人は気付いていないようであるが。

 次第に彼の周りから人が消え、気が付けば鶯丸だけとなっていた。鶯丸は別に三日月宗近と懇意にしたいわけではなく、ただ茶を淹れるための部屋が三日月宗近の居室に最も近いというだけで、場所を変える余計な労力も譲ってやるという親切心も彼には備わっていなかった。鶯丸とはそういう男である。

「果報は寝て待てというが、俺は好かない。本当に欲するものがあるなら自ら探しに行くべきじゃないか?」

「…俺はあまりあの老女おうなが好きではないのだが」

「食わず嫌いはするものじゃないさ。君は齧ったこともないだろう?」

「………」

 三日月宗近が閉口すると、鶯丸は茶を一口啜り、大包平は、と切り出す。これ以上助言を与えるつもりはないらしい。それでも鶯丸にしては過ぎるくらいだ。

「…やれやれ、出るか」

 三日月宗近はさも面倒くさそうに立ち上がり、その場を後にした。

 その後ろ姿を眺めながら鶯丸が呟く。

「あの歌は主のことを表したつもりだったんだが…。まあいいか」



「主よ、失礼する」

 三日月宗近は主の居室の襖を開けるまで、自分が全く何も考えていなかったことに気が付かなかった。主の姿を見た途端に冷水を浴びたかのように平静を取り戻し、愚行を存分に恥じた。

 主は丁度文を書いていたところであったが、三日月宗近の声を聞くなりゆっくりと片し、三日月宗近の方を向いて座り直した。

「宗近殿か。よくぞ参った。さあ座られよ」

 酷いなりだ、と三日月宗近は率直に思った。顔はいくつも皺が刻まれ水気無く、袖から見える手は細い枯れ木のように脆そうだ。――それらは三日月宗近の主に対する嫌悪から生まれたものであった。

「茶菓子は要らんかえ?今日はよもぎ大福をこさえてみたのだ。宗近殿の口に合うか分からぬが…」

「主よ、俺がここに来た理由が分からぬとは言わせぬぞ」

 ゆったりと流れる川のように言葉を紡ぐ主を一蹴する。しかし、主は意に介した様子を全く見せず、口元に弧を描く。

「これはすまぬことをした。…さて、どこから話せばよいものか。長話になってしまうがよいか?」

「俺が納得出来ればな」

「ふむ…。宗近殿は大層退屈していると見える。一つ問いをやろう」

 老女は何故こんなにも楽しそうなのだろう。三日月宗近は幼子のような扱いに苛立ちを感じ始めていた。

 主は三日月宗近のすぐそばに置かれている太刀に目を向ける。

「宗近殿、そなたは何故刀を振るう?」

 三日月宗近は口を開いて何か言おうとしたものだが、喉元には何も這い上がって来ず、仕方なく黙ることを選んだ。

 何故だって?そんなもの自分が刀として生まれたのだから、刀として生きるのが当然ではないだろうか。それとも刀に命を奪う以外の意味があるというのだろうか。

「宗近殿、少し目を瞑ってはくれぬか?」

 言われるがまま目を閉じる。喉に小骨が引っかかったままでは喋るのも億劫だ。

 主がぐいと近寄り、三日月宗近の目の前で手を翳した。その手の平には光が集っており、薄目を開けるだけでも痛みを感じるほどに強い光であった。

『もうよいぞ』

 その声を合図に目を開くと、自分は既に別の世界に存在していた。

 今まで見たこともない異様な光景だ。金属の塊が意志を持ったように動き回り、様々な色で溢れているがどこか味気ない。音は妙に高いものばかりで、鳥の声一つ聞こえなかった。

「主…?」

『案ずるな、宗近殿。私の記憶にある景色をそなたに見せているだけよ』

 感じるのは恐怖ばかりだった。喜びも悲しみも怒りも憂いも薙ぎ払われ、無だけ存在したような光景だ。確かに知らないものが蔓延っていることも一つの要因であるかもしれないが、そうではない。生を感じさせないことが恐怖なのだ。

「これは…」

『私たちの生きている世界。人の生み出した現在しんじつだ』

 空が見えない。なんて悲しいことだろう。あんなにも綺麗なのに。

『人はもうほとんどいなくなってしまった。我々審神者は数少ない人間の一部』

 もう十分だろう。景色が元いた場所のそれに戻る。目の前で微笑む老女の姿にひどく安堵した。

 主はどこから出したのか、小皿に乗ったよもぎ大福を三日月宗近の前に置く。怖がらせてしまったことに対するせめてもの詫びがしたいらしい。

「かつて審神者とは物に宿った魂を呼び覚ますのが主であったらしいが今は違う。人の心を持ち、人の心を扱うことが役目だ。人の体から心を移すのも、抜け殻の体に心を埋め込むのも、上からの命が下れば逆らうことは出来まい」

「なら、この体は…」

「刀剣には過去の偉人たちの魂が宿っておる。有り余った屍を有効利用するには丁度よかったのだ」

 つまり踏みにじられているということだろうか。自分たちの気持ちも。自分たちを愛してくれた彼らの気持ちも。いいように使われそしていつか全て忘れて死ぬことになるのだろうか。

「…それであの問いか」

「いかにも。歴史修正主義者はな、今の世を変えたいのじゃ。人が、生き物が平和に過ごしていたあの頃を取り戻したいんじゃ。恨みや怒りを孕んだ刀剣に体を与えるまでしてな」

 初めは少し前の時代から修正しようとした。しかし、遡ったその時代にも不完全な点を見つけてしまい、さらに前へと遡る。気が付けばずっとずっと昔まで戻ってしまい、そして引き返せなくなった。

「なるほど、それで俺を出さぬのか」

「同情はしておらん。むしろ憎んでいるくらいだ。あやつらは今まで歴史を命がけで築いてきた者たちの軌跡を掻き消そうとした。私はそれが許せぬ」

 なら何故、三日月宗近がそう言いかけた時に襖が勢いよく開けられた。

「わっ!どうだ驚いたか?」

 現れたのは鶴丸国永だった。全く間合いの悪いことである。三日月宗近は内心舌打ちをした。

「国永殿か。隊長の務め、ご苦労であった。みな、怪我は無かったかえ?」

「山姥切が軽傷を負って今手入れさせているが、他の奴らはみな無傷だ」

「それはよかった。国永殿もゆるり休まれるといい」

「ああ、邪魔したな」

 にやりと三日月宗近の方を見たと思えば、先ほどの勢いが嘘であったかのように丁寧に襖を閉めていく。大きな足音が彼の喜びを表していた。

「ふふ、国永殿も可愛らしいの」

 主は口に手を添えて笑っている。すっかり水をさされてしまった。鶴丸国永のことだから故意にやった気がしないでもない。真偽は分からないが今度意趣返しをしてやろう。

「主」

「宗近殿、茶を淹れてきてもよいか?少し喋り疲れてしまった」

 主は苦笑を浮かべて腰を上げる。三日月宗近は表情を緩めた。

 さて、一体どこから考えれば良いものか。ここはあまりに空気が澄んでいる。先ほどの景色のような緊張感が感じられないのだ。それをあの主が生み出しているというのだろうか。潤うべきなのは主だというのに。

 三日月宗近はそばにあった太刀を手に取り、その刀身を光に翳してみせた。三日月の打ち除けが美しい。これが命を奪う道具なのか。これがいとも容易く生を断ってしまうというのか。

「はっはっは、これはこれは…」

 自分の中で生まれた疑問に自嘲する。どこで毒されてしまったのだろう。ここに来るまでは決して考えることもなかったことだ。

 置かれたままだったよもぎ大福を口に放る。よもぎ独特の匂いと味が、鼻腔と口内を満たしていく。中に包まれた餡子が程よく甘く、三日月宗近は舌鼓を打った。

「待たせたな、宗近殿。茶はどうだね?」

「いただこう」

 ほどなくして主が戻ってきた。三日月宗近の前に茶と茶請けとしておはぎを出す。余程甘味を作るのが好きであることが見て取れた。

「人の心は人で無ければ救えぬ」

 主は熱々の茶を一口啜る。

「魂の宿っていない刀では何も切れぬぞ、宗近殿」

 三日月宗近も真似するように茶を啜った。熱くて濃いめの茶がとても好ましい。

「主よ、俺は戦場に立ちたい」

「して、どうするのだ」

「まだ俺の持つ人の心とやらは幼子のものと大差ない。だが磨けば多少は使い物になるだろう」

 老女はその答えに大変満足した。

 ようやく刀の本能から彼は解き放たれ、人の心を得た。その表情が全てを物語っている。彼は刀ではない。彼は人であるのだ。斬ることだけに捕らわれてはいけない。

「明日からそなたに頼みたいことがある」

「ほう。早速の出陣か?」

「いいや、近侍だ」

 三日月宗近は落胆した。しかし、飼い殺しよりはずっといい。人の世話をするのは苦手であるがやっていれば直に慣れるだろう。

「あい、わかった」

 三日月宗近は茶を飲み干し立ち上がった。食べることをすっかり忘れていたおはぎを片手に持ち、反対の手で襖を開けた。

「失礼した。ああ、それと、また茶菓子を作った時は是非呼んでくれ」

 口早に言うと、おはぎを口に咥えて三日月宗近は去ってしまった。襖は閉じられず開けられたままである。

「ふふ、仕様のない子だ」

 可笑しくてたまらないといった様子で老女は笑う。

「それはこちらの台詞だ」

奥の部屋から鶯丸が姿を現した。主の近くに腰を下ろし、片眉をあげて主を見る。

「俺は結構この仕事を気に入っていたんだがなあ…」

「ほとんど休んでおっただろうに」

「今回は十分働いただろ?あの子供を宥めるのは骨が折れた」

「国永殿を行かせたのはそなただろう?可哀そうに、後で宗近殿に仕置きされるぞ」

「彼が主のとこにいるとは言ったが、行くことを選んだのは鶴丸さ」

「分かってて言ったくせに何を言うか」

「…それで、あのことは結局言わなくてよかったのかい?」

「実が熟すのを待ってみたくなった」

「君たちは二人そろって果報を待つのか…」

「そなたも同罪じゃ」

 姿は老女なれど、その無邪気さは少女のそれであった。明日からもう少し楽しめることだろう。鶯丸は主の茶請けであるおはぎを口に入れながら思った。

牛乳の話(鶯丸+鶴丸)

 鶯丸はようやく朝餉を食べ終えた。鶯丸はあまり食べるのが速い方ではなく、彼がご馳走様でしたと手を合わせる頃には広間の人口は最初の四分の一ほどになっている。

 今日は非番だっただろうか。もしかしたら内番が入っていたかもしれないが、部屋にいれば誰か呼びに来てくれるだろう。そんなことを考えていると隣から彼を呼ぶ声があった。

「鶯丸」

 鶴丸だった。いつも一番先に膳を下げる彼がこんな時間までいるのは珍しい、と鶯丸は思ったが、綺麗に空になっている食器とグラスに入った白い飲み物を見てすぐに察した。鶴丸は牛乳が嫌いなのだ。

 ここの本丸は主の意向で自力で完食するまでは食器を片づけてはいけないという規則がある。好き嫌いを無くし、十分な栄養を摂らせるためである。おかわりは自由であったが、残すことは固く禁じられていた。

「一生のお願いがある」

 鶯丸は眉を寄せる。

「それは何度目の一生のお願いだ?」

「じゃあ、君の出す条件を飲もう!」

「粟田口の短刀たちの目の前で一期を殴れ」

「そんなこと出来るか!!」

 呆れ顔の鶯丸は膳を下げようと立ち上がるが、裾を掴まれそれは阻まれてしまった。

「なあ、鶯丸……普通に考えて牛の乳を飲むって変な話じゃないか?」

「離せ。俺は部屋に戻って茶を飲む」

「君、これから俺と畑仕事だからな?あー、かわいそうに!これが無くなるまで君は一人で働かなくちゃならない!」

「お前がさっさと飲めば済む話だろう」

「それが出来たらとっくにやってるさ!」

 鶯丸は取り合うのが面倒になってきて、鶴丸の腕を捻った。鶴丸の手は簡単に離れる。鶯丸はその隙に膳を持って立ち上がった。

「あ!狡いぞ、鶯丸!」

 後ろから、茶男だとかメジロ野郎だとか、さらには泥棒猫だとかすけこましだとか何やらよく分からないことを叫ばれたが鶯丸は一切無視した。だが、最後の言葉だけは聞き流すことが出来なかった。

「君が春画本を隠している場所を主にばらすからな!」

 鶴丸は確かにそう言った。鶯丸はすぐに決意した。後から主に何と言われようともこの男をこのまま放っておくわけにはいかなかった。

 近くに膳を置き、腰に提げていた刀を引き抜く。鶴丸の表情が変わった。

「殺すのは好きではないのでな。生き残れよ」

 その後、燭台切が片付けにやってくると広間には伸びている鶴丸だけ残っていたという。目撃者もいたというのに、誰一人としてその真相を口に出す者はいなかった。

ご鞭撻願いまする(鶯丸×鶴丸)

 鶯丸が酒宴に顔を出すようになったのはごく最近のことである。これまで誰が何と言おうとも、鶯丸は首を横に振るばかりで全く取り合おうとしなかった。次第に鶯丸を呼ぼうと試みる者は減っていき、もう誰も彼も諦めてしまっている。もしかしたら酒が嫌いなのかもしれないし、下戸であることを隠しているのかもしれない。あるいは、静かな場所を好む彼のことだから騒がしい席に着くことを避けているのかもしれない。色んな推測が飛び交ったが、鶯丸が誘いを断る確かな理由を知る者は誰もいなかった。

 鶯丸が酒宴に現れるようになった理由もまた、誰も知らなかった。

 鶯丸は宴の始まりにはいない。宴も酣になった頃こっそりやってくる。それも必ず鶴丸の隣に座るのだ。大抵その頃には鶴丸は出来上がっているので、鶯丸の姿を見つけると鶴丸は遊び相手を見つけたとばかりに鶯丸に纏わりついた。鶯丸に嫌がる素振りはなく、むしろ楽しそうなくらいで、近くにあった酒瓶を手に取る。決して彼が飲むためではない。

「鶴丸、まだ足りてないんじゃないか?」

 煽るような鶯丸の言葉に鶴丸は口を尖らせた。

「あ?そんなこと言ってる暇があるならさっさと注げ!」

 鶴丸は自分の物かどうかも怪しい漆塗りの杯を荒々しく掴むと、鶯丸の前にぐっと差し出す。鶯丸の笑みが深くなる。丁重な手つきで鶴丸の杯に酒が注がれた。鶴丸が一気に飲み干し、また鶯丸に差し出す。目の焦点が合っていない。完全に酔っ払いだ。しかし鶯丸は躊躇うことなく再び酒を注いだ。

「ちょっと、鶯丸殿!それ以上は…!」

 二人の向かいに座っていた一期が制止をかけるが、鶯丸の手は止まらず、鶴丸もまた杯を傾け続ける。鶴丸の挙動が徐々に怪しくなってきた。

「そろそろ降参か?」

「なに…いってやがる…」

「ほう」

 今度は杯いっぱいになみなみと注がれた。睨む鶴丸に対し、鶯丸は笑みで返す。一期はそわそわしながら二人の顔を交互に見ることしか出来ない。

 鶴丸は目を伏せて杯に口をつけ、ゆっくりと流し込んでいく。先程と比べるとかなり調子が落ちていた。こくりこくりと少しずつ嚥下していくが、杯の中の酒はなかなか減らない。鶴丸の眉間の皺が増えていく。

 限界を悟った鶯丸は、まるで囀るように眼前の男の名を呼んだ。

「鶴丸」

 ぴくりと鶴丸の体が跳ね、手中から杯が滑り落ちた。白濁した酒が畳の隙間に流れていく。

「…う、ぐいす…」

 唸るような声を出し、鶴丸がぐったりとその場に倒れ込む。鶯丸は満足そうに微笑むと、酒瓶と杯を離れた場所に置き、鶴丸を抱き起した。

「帰るか?」

 鶴丸が小さく頷く。鶯丸は鶴丸を抱き上げると、一期を一瞥した。

「こいつが世話をかけた。後はゆっくり楽しんでくれ」

 飲ませている時は挑発的な嘲笑を見せていたのに、今では庇護心に溢れた柔らかな目つきで鶴丸を見ている。一期は言葉を失ったまま、会釈した。

 以上が鶯丸の酒宴での恒例である。

 

 鶴丸は鶯丸の部屋であり、自分の部屋でもある場所まで運ばれ、畳の上に下ろされるなり用意されていた桶に顔を突っ込んだ。それはもうこっぴどく吐いた。何度も鶯丸の腕の中で嘔気に襲われたが、死ぬ気で堪えた。恐らくこの男は酔っ払いに振動を与えたらどうなるか知らない。それでも鶴丸は鶯丸を吐瀉物まみれにするくらいなら腹を切って死ぬ所存だった。

 ようやく落ち着くと、鶴丸は傍にあった水で口を注ぎ鶯丸を睨みつける。

「……俺を嬲るのはそんなに楽しいか?」

「ああ。楽しいな。お前が無様に吐いている姿を見ていると快楽を覚える」

 目を細めて見下ろす鶯丸に、鶴丸は怒りが抑えきれず掴みかかろうとするが、立ち上がろうとした途端再び嘔気に襲われ、桶に向かう。追い打ちをかけるように鶯丸が鶴丸の背を擦った。

 悲しき哉、人の身というものは背中を擦られると何故だか気持ちよく吐けてしまう。鶴丸は堪えることを諦め、胃の内容物を成る丈出してしまうことを選んだ。大丈夫か?と白々しく尋ねてくる鶯丸が憎い。

 こんなことになるなら、あの夜鶯丸の元に訪れるのではなかったと鶴丸は後悔するのであった。

前の記事へ 次の記事へ