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獣道

所詮わたしたちは
どこまで行っても動物に過ぎなくて
季節や温度や湿度、気圧
そんなものに感情は簡単に流される。

どんなに綺麗に恋や愛を唄おうと
子孫を残し、育む性(さが)故のものでしかないのにどうして人は惑うのだろう。

生涯一対である生き物と
複数を相手にする生き物がいる。
人間は後者であると思うのに
なぜ一対の振りをしたがるの?

失恋の痛みは
選ばれなかった遺伝子という悲愴感?

悲劇のヒロインを気取ったって
滑稽でしかない。
選ばれるのを延々と待っていたって
相手が現れる訳なんてないんだから。

異性に好かれる努力もせず
だらだらと生きているなら
それは、
その種としては負組なんじゃないかな。

どんなに綺麗に恋や愛を唄おうと
それに縛られている時点で
私たちは動物の域を出ることはない。
だったらせめて、
それらしく生き足掻いてみなくては。

賢者と愚者

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」

何か失敗したとき、
いつもこの言葉を思い出す。

私はいつだって愚者で、
失敗して、失敗して、失敗して
漸く学べるというほどの
大変な愚か者である。

賢者でありたいと思いながら
それでも経験でしか学べないものもあると考えてしまうのは、負け犬の遠吠えだろうか。

賢者の歴史になれるならば本望…
と生きていくべきか。笑

思考ぐるぐる

冷麦と素麺を手に
どっちにしようか悩んだあと、
パスタソースをからめた素麺を食べながら、
うどんでも良かったなー
と思ったあとの話。笑

同じ麺類でも
ちょっとの違いで
別の食べ物として
名前がついている。

焼き菓子なんて
同じ材料を使っていても
分量の割合や作り方で
いくらでも違うものになる。

でも、
分量や作り方なんかで言ったら
同じ料理でも
各家庭でそれぞれ違うことも多いのに
肉じゃがは肉じゃがで、
オムライスはオムライス。

ご当地焼きそばとか…
それぞれの定義は何なのさ。

…じゃあ私は?
毎日いろんなものを食べて
毎日違うものから成り立っている私は
何を持って私なのだろう?

実は昨日の私と今日の私は
別物ではないのだろうか。

私を私たらしめるものとは?


…そんなことを考えながら
素麺を完食しました。笑

こういうことを考えるの好きです。
子どもの頃は漫画家になりたくて
よくお話を考えていたので
そういうのを物語にまで昇華できたら
文や漫画にしてノートに書きなぐって
遊んでいました。

なのに最近は考えることさえ
あまりしないので
ひとまず昔の私と今の私は
確かに何か違っていると思います。

私とは。?

おもしろい

web漫画を読んでいて
気持ちがほっこりしたので
他の人の感想も見たくなって
確認してみたら
「面白い」
という言葉が多くて
なんとなく…違和感を感じました。

そもそも面白いとはなんぞや?

ってことで辞書をひきましたので
以下、転載。

「面白い」
1 興味をそそられて、心が引かれるさま。興味深い。「何か―・いことはないか」「仕事が―・くなってきた」「この作品は―・くなかった」
2 つい笑いたくなるさま。こっけいだ。「この漫画はなんとも―・い」「―・くもない冗談」
3 心が晴れ晴れするさま。快く楽しい。「夏休みを―・く過ごした」「無視されたようで―・くなかった」
4 一風変わっている。普通と違っていてめずらしい。「―・い癖」「―・い声」
5 (多く、打消しの語を伴って用いる)思ったとおりである。好ましい。「結果が―・くない」
6 風流だ。趣が深い。「月の―・きに、夜更くるまで遊びをぞし給ふなる」〈源・桐壺〉

……なるほど。(´・_・`)
違和感の正体はこれか。

生きていて28年。
今気付きましたが、
私は「面白い」という言葉を
主に2の「滑稽」「おかしい」面白さという意味で使っておりました。

が、辞書の最初に来ている意味は
「興味をそそられる」
「心ひかれる様」
と書いてある。
つまりこれが主な意味。

世の皆様は
心動かされたものに対して
「面白い」を使うのですね。。。

あぁ。
上手く伝えられない。

「面白い」=「興味深い」
という意味があることは知っていたけど
私にとっては
「面白い」=「滑稽」
の割合が高く、
和み系の漫画に「面白い」が使われることに違和感があったのですよ。。。

伝わるかな。
この…自分に微妙な言葉の意味間違いがあったことに対するショック…。

私が今までの人生で言ってきた
「面白い」が
他者には
その意味では伝わっていなかった、
もしくは
誰かが言ったその意味を
私は正しく理解していなかった
という可能性があるこの事実!

微妙な違いだから
誰に指摘されることもないけど
気付かなければ
私は一生「面白さ」において
誰かと気持ちを共有できなかったのか…。

いや、今なお
誰かの言葉を
相手が感じるままに理解なんて
できない気がする。

私だって1の意味で使うときもある。
「映画、面白かったねー。」
とか。それがコメディでなくても使う。
でも、今回、あった違和感は
私が思う1の意味での「面白い」でも
使わないから感じたはず。

たまたま気付いた微妙な違い。

他の言葉にもあったとしたら?

会話の中でだって
いくらでも誤解は生まれるのに、
単語の意味の解釈でさえ
一人一人捉えているニュアンスが違うとしたら、私は一体何を持って誰かと共感し合えるのだろう。。。

やっぱり一生、
他人と分かり合えることは
ないのかもしれないな…。

利己的な優しさ

誰かのためを思って
自分が身を引くとか
我慢するとかって、
結局はその人のエゴだよね。

子どもの頃、
お土産にいただいたケーキを
弟と二人で分け合った。
チーズケーキとフルーツタルト。

私はフルーツタルトが
食べたかったんだけど
「私はどっちでもいいから
 好きな方を選びな。」
と、お姉ちゃんらしく
弟に選択権を譲った。

弟が
「じゃあ・・・」
とフルーツタルトを選び、
私は残ったチーズケーキを食べた。

あとからふと
「実はフルーツタルト
食べたかったんだよね。
一口もらえば良かったなぁ。」
と呟いたら、弟が
「え!てっきり(てみ)は
チーズケーキが
食べたいだろうと思って
わざとタルトを選んだのに!
俺、本当は
チーズケーキが
食べたかったんだ。
なぁんだ〜。」
と落胆して嘆いた。

「お互い譲りあって
失敗しちゃったね。
最初っからちゃんと
食べたいのを
言えば良かったね。」

私はそう言って、
次からは
無駄な譲り合いをしないと
弟と約束をした。

誰かのためを思って行動しても
相手に喜ばれなければ
全く意味がない。

自分の我慢が
相手のためだなんて
自己犠牲に
酔っているだけかもしれない。

欲しいものは欲しいと言い、
したいことはしたいと
主張することも
時には必要だと思う。

それを押しつければ
またエゴだと言われるけど、
主張しないということだって
自分が勝手に決めつけて
相手の選択肢を一つ
奪っていることになると思うんだ。

本当に相手を思うなら
相手の最善を考えるのではなく
相手が最善を選べるようにすることが大切なんじゃないかな。




今、貴方がしているその我慢は
一体、誰のためですか?




…なんてね。
考えてみた。
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