「妃旺!」
 セラフィが悲鳴じみた声を上げる。しかし妃旺は腕のことなど気にせず、左甲を人形の顔面に叩きこんだ。顔面はあっけなく潰れ地に倒れるものの、まだ動いている。
 「妃旺、下がれ!!」
 カプリッチオも叫ぶものの、妃旺は聞いていない。残った左腕、そして足を使って、人形に挑んでいく。しかしそれでどうにかなる相手ではなくなっていて、妃旺は徐々にボロボロになっていく。肌には切り傷が増えていき、服は掠ったナイフによって切り裂かれる。そこにいたのは、“妃”の名がついた人形ではなかった。それでも妃旺は止めることなく、戦い続ける。
 「妃旺……」
 そんな妃旺を妃旺はただ見てることしかできなかった。妃旺がどうしてそんなになるまで戦うか分からなかったからだ。妃旺にとって自分は仮の主でしかない。それは妃旺も行っていたし、自分だってそう思っている。セラフィにとって妃旺は手が届かない人形で、真珠が自分の人形なのだ。では妃旺は自分の名のために戦っているのか。“妃”と名づけられ、三大人形としてのプライドのために戦ってるのだろうか。
 「セラフィさん、それは違います。」
 そんなセラフィの思いを否定したのは、いつの間にか傍にきていたフリッツだった。
 「妃旺はあなたのために戦っているんですよ。」
 フリッツの目線は、しっかりとカプリッチオに注がれていた。カプリッチオはさっきから動きは衰えることなく、確実に人形を仕留めていた。
 「あなたは自分の人形を信じていないのですか?妃旺はあなたを信じているんですよ。妃旺はあんなことを言ってましたが、今まで選ばなかった主人の座をあなたに託すほど、あなたを信じているんです。そんな妃旺を、主人として信じてあげなくてどうするんですか?」
 人形にとって主人は何よりも大切な存在。愛し愛す、生きるために必要な糧であり、主人に愛されなければ、存在する価値がないと壊れてしまうほどに。セラフィは妃旺を愛しているか正直自信はない。しかし人形の中で最高峰に分類される妃旺の美しさは惹かれるものがあり、その傲慢的に見える態度も誇り高き人形だからと思えることができる。真珠ほどにないにせよ、妃旺に好意を持っていた。
しかし心の中は傍にいない真珠ばかりが占めていた。真珠の心配、そしてこのまま真珠を救えるかという疑問。それは妃旺にも伝わっていて、心をぐらぐらと揺さぶらす。自分は心配されていない、信頼されていない。今まで主人を持たず、一人強く生きてきた。ところが主人を持ったことにより、弱みができたのだ。時に主人への愛は、人形を強くすることも、そして弱くすることもできる。今の妃旺は主人の信頼が薄く、弱くなってしまっているのだ。だからさっきフリッツは、信じてあげてくださいと言ったのだ。
そのことにようやく気付いたセラフィは自嘲した。自分は本当に主人失格だと。真珠だけでなく、妃旺まで不幸せにしてしまうところだったと。
「妃旺っ!!」
セラフィの心からの呼び掛けに、妃旺はようやく振り返った。
「妃旺、頑張って!!」
セラフィの感情が妃旺に伝わってくる。絶対の信頼、そして妃旺への愛が。真珠のことを思う気持ちが入っているものの、妃旺にしてみればそれがなければセラフィを主人に選んだ意味がない。真摯なる人形への不器用な想いが好きだったから。
負ける気がしない、この名は伊達じゃないし、今はこんなにも信じてくれている人がいる。
妃旺は初めて、嘉隆を失ってから満ち足りた思いがした。






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