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憧憬


羨望し。
尊敬し。
執着し。
小さき童のように、憧れる。


どうも、最近になってようやく自分の嗜好に理解が及んだ歩方和言です。嗜好というか……タイトル通り、憧憬、ですね。

いやあ……うん。
どうも自分は格好いい大人の男性に憧れているようです。自分が書いた小説なので当たり前といえば当たり前なのですが、センセなんてもう自分の趣味全開だったことに気付きました。

双識兄さん然り。忍野然り。花本先生然り。はとりさん然り。ラビットさん然り。ぬらりひょん然り。鳳火さん然り。ユーリ然り。カミナの兄貴(?)然り。名前を挙げると出るわ出るわの有様です。直球ど真ん中ドストライクなのはやっぱりセンセ、ですかね。言葉遣いも態度も悪く、慇懃無礼で、性格もいい加減、けれども懐が広く、情に厚く、甘くはないものの実は優しく、芯は曲がらず、心は歪まず、視点は揺らがず、意志は折られず、道に導き、決める時はびしりと決める。そんな格好よさに狂信に近いほど憧れます。

……うん。まあ、自分には到底到達できない域の人種ですね。人を導くなんて真似、どんなに頑張ってもできるはずもありませんし。何せやる気のない駄目教師(っぽい感じ)、ですから。

到達できそうなのは自由人のにーちゃん(何故か自分たちはあいつのことをにーちゃん、にーやん、にーさんと呼ぶことが多いです)なんですけど……あれはあれで問題ありまくりですからね。ちょっと無理かなあ……

しかし、憧れとはよく言ったものです。
自分のこれはまさしく、小さき童の抱く感情でしょう。いつか無理と思い知らされる、どんなに手を伸ばしても届くことのない、高い高い場所にあるもの。
憧れ。
実に素敵な、言葉です。

人に成ってしまった日


昨日にはもう戻れない。
どんなに望んでも。
どんなに願っても。
昨日の自分に、後戻りはできない。
明日へ、進むこともできないのに。


どうも、四恩からのモーニングコールで今日が自分の誕生日だと知った歩方和言です。正味な話、自分が二十歳になったことより四恩の体調のほうが重要であり重大なんですけどね。全く、どうして自分の周りには自身のことを後回しにする馬鹿ばかりなのでしょう。もっと自愛に努めても罰は当たらない、っていうか、自愛しろこの馬鹿がという感じです。人の誕生日を祝ってる場合じゃないだろうが、ったく。

まあ、なんやかんやで二十歳です。メディアに実名と顔写真が載る歳です。いや、うん、そんなヘマはしませんが。
しかし二十歳……なんか、とてつもなくどうでもいいなー、としか思えませんね。
十九から二十になったからといって大人になるわけでもなく。
けれども、もう子どものままでいられるはずもなく。
相も変わらず宙ぶらりんな心地です。

ただ、そう、決意のようなものは抱けました。
決意というより、決別、になるかもしれません。

幼い頃の自分は、誇れるようなことをしたいと漠然と思っていました。誇れるような、例えば人の手助けになったり、例えば人を救えたり、例えば……人に必要とされたり。福祉系の大学に行ったのも、もしかしたらそれが根底にあったのでしょう。福祉……介護や、介助。人の手助けをし、時には人を救い、そして人に必要とされる。まさしく、幼い自分の幼い思いを具現化したようなもの。今にしてみれば、なんと身勝手な思いでしょう。自分の自己満足を埋める為の、自分の自己満足を動力にした、自分の自己満足から逃げるような思い。

そんなの、もう嫌なのです。

だから今の自分は、誇れるようなことじゃなく、誇ってもらえるようなことをしたいのです。
それが何なのかはわかりません。
わかるほど、自分は大人じゃありません。
しかし自分は考えなければならないのです。

だって。
自分は。
もう。
子どもじゃ、ないのですから。

走るのがいつもメロスだとは限りません。
そう、セリヌンティウスだって走りましょう。
メロスに恥じないくらい、必死に。


今日はこの辺で。
でわでわ。

自分は否定します


確固たる言葉で。
強固なる態度で。
否定を捧げる所存です。


どうも、今日…いやもう昨日?大学でショックなことを言われた歩方和言です。ショックというかなんというか、よくわからない精神的ダメージの一言でした。コンビニのバイトで初歩的なミスをするくらいに(関係ないかもしれませんが)

いやあの、大学の昼休みに同級生と軽く雑談してたんですよ。生産性が欠片もなく、当たり障りもない、実に穏やかかつ、いかにも大学生やってますという感じの。
そんなどこにでもある雑談だったんですが……それをぶち壊すかのように、同級生の一人がポツリと言いやがったんです。

「いやー、やっぱ歩方ってSやなー」……と。

……あまりに伏線なしな言葉だった為、「違いますよ!?」と言うのに五秒ほど溜めてしまいました。
いやいやいや、本当に違いますからね!?
Sという人間はもっとこう…そう、暁や屍さんみたいに爽やかな笑顔で鬼畜なことを言えるような人種ですから!自分は絶対にSじゃありませんから!いや別にMってわけでもないんですけどね!?

しかしどういうわけか周りの人は「……ああ、確かに」なんて頷く始末。自分、大人しく慎ましくごくごく平凡な大学生をやっていたのに……何故?

うう…どうしてでしょう。中三の時の担任にも確か「あんたって……うん、Sな性格しとるよね」とおおよそ教師が生徒に向けて吐く台詞ではないこと言われましたし、そういえば高校の時にも国語教師に似たようなことを言われた気が……

いやあの、本当に違いますからね?
例え事実だったとしても四恩や遼希さんに遠く及びませんし、何よりそんな事実は全力で否定しますしね?

うう……きょ、今日はこの辺で。
でわでわ。

人に成った日


人に成った。
何かを為したわけでもないのに。
それでも、人に成った。
人に、成ったんだ。


どうも、二十歳になっていないのにも関わらず(あと十三日かかります)成人式に赴いた歩方和言です。
人生に一度のイベントらしいので、自分、水無月、四恩、自由人のいつもの面子で行ったのですが、いやはやなんというか……

うっっっっっっぜえ

……の一言に尽きました。ええ。
だってもう、田舎に分類される長崎なのに人が多いこと多いこと。基本的に自分たちは面倒がり屋の集まりな為、会場の中には入らず外で知り合いと顔合わせするだけだったんですけど、人混みを極度に嫌う性質ゆえにストレスがこれでもかとわんさか溜まりました。ものっそい疲れましたし、終わった後の感想はみんなして「別に行かなくてもよかったよな……」と疲労顔でつぶやく始末。旧友と会えたのは嬉しかったですが、疲労とストレスのほうが何倍も大きかったです。

あ、ちなみに自分たちは全員スーツ(自由人以外は眼鏡を装備)で、

自分→国語もしくは歴史を教えてそうなやる気のない駄目教師
水無月→高校生の時の名残がある大学の入学式に参加してそうな学生
四恩→営業部長をやってそうなサラリーマン
自由人→裏社会の会社で活躍してそうな若社長

といった感じでした。
自由人のにーちゃんはもっとホストっぽいかなと思ってたのに……妙にエリートっぽくて。スーツ姿を見た第一声は「なんだその爽やかさ。腹立つんですけど」でしたね。

それからさっさと会場を後にし、休憩の為に立ち寄った珈琲屋のマスターのダンディさにハートを打たれ、男四人でむさくるしくもぷりくらりました。意外なことに、およそ八年という長い付き合いにも関わらず、四人全員で写真を撮ったことがなかったんですよね。初の集合写真がスーツでぷりくらというのも……うん、まあ、いいですが。すっごい慣れてません臭のする仕上がりとなりましたが。

さてさて。
これにてアイツらとはまた長いお別れとなります。
相変わらず軽い調子の挨拶で別れましたが、まあ自分たちはこのくらいで丁度いいんでしょう。
会おうと思えば、いつでも縁を合わせられるんですし、ね。

non title



人には誰しも、己の為に何かをする権利を有している。
何か、はなんでもいい。例えば日常の一つとなっている趣味。例えば日々を彩る娯楽。例えば昨日よりも良き美味な食べ物の満腹。そのどれでもいいし、それ以外のなんだっていい。
他者の為に全身全霊を以て尽くさねばならぬ道理などない。
己の人生は己のもの。
他者に左右されず、己が左右すべきである。
趣味なき世界は退屈だ。
娯楽なき世界は窮屈だ。
満腹なき世界は偏屈だ。
自愛なき世界は――ひどく寂しい。
ゆえに自愛する、ということは、けして悪いことではない。
しかし。
けれど。
自愛の為に他者を傷つけるのは、とてつもなき罪であり、とてつもなき非である。
己が趣味のせいで、多忙に襲われる人がいたらどうか?
己が娯楽のせいで、節制を余議なくされた人がいたらどうか?
己が満腹のせいで、飢餓に苦しむ人がいたらどうか?
それは罪だ。
それは非だ。
他者に尽くせと言う気はない。
ただ、自愛を尽くした分は他者に何かをしろ。
できないのならば自愛もするな。退屈に身を許し、窮屈に身を委ね、偏屈に身を預けろ。
それさえもできないのなら、この先の生を天涯孤独に捧げろ。
自愛のみに生きることはひどく簡単だ。
ひたすらに自分を愛せばいいだけのこと。
自分だけ幸せになればいいだけのことだ。
きっと、誰もが心のどこかで幸せを望んでいることだろう。
人は結局、自己保身を優先する。生物が生き残る為のプログラム。
だが自分たちには感情がある。
理性がある。
言葉がある。
心が、ある。
他者の為に何かをする。それは知能低き獣でもしていることだ。
感情があり、理性があり、言葉があり、心がある自分たち人ができぬ道理はない。
できないと言うのであれば――もう終わりだ。
身勝手な自愛は、他者からの愛を殺す。
それを承知した上で、自愛したいのならすればいい。
そこから先は、もう知ったことではない。




















いい加減に理解しろよ。
あんたがそんな風だから、自分は、自分たちはこんな風にならざるをえないんだ。
人に尽くされたいなら、尽くされるだけのことを尽くせよ。
そうしない限り、少なくとも自分は二度とあんたを見やしない。
感情ある接し方などできるものか。
まずは正気に戻り、あんた自身を見つめなおせ。

もう、覚えてないなんて呆れた言い訳を、聞く気はない。
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