世界は、「自分」と「自分以外の他者」で成り立っている。言い換えればそれは、いくら強烈で確実な「自分」を有していたところで、それを認識してくれる「自分以外の他者」がいなければ世界は成立し得ない、ということでもある。
たとえば、「自分は強い」ということを自分の中でいくら信じていたところで、そういう「強い私」を認識してくれる「自分以外の他者」がいなければ「強い私」はどこにもいなくなってしまうのだ。もっと言えば、「自分以外の他者」の存在を無視するとき、言葉、あるいは感覚ですらその意味は無になる。「あのリンゴは赤い」という事実をいくら自分が認識していたとしても、その事実を伝達する対象となる他者がいなければ、赤いリンゴ自体がどこにも存在しないものになるのだ。他者がいなければ自己も存在し得ない。つまりた「私」という「自分」は、他者によって生かされているのである。















他者がいなければ自分は存在しない…。
他者がいれば自分は存在する…。
他者によって自分自身の存在が決められるなんて死ぬ程イラつくな。でも事実なんだよな。いくら努力しても他者によって認められなきゃ意味が無いように。












どんだけ「自分」というものに価値が無いことか痛い程によく分かる瞬間。他者が嫌いな俺が他者がいなきゃ自分自身の存在が成り立たない、認められない、なんてすっげえ情けねえ話。どんな世界だよ。もうそんな世界消えちまえ。