※ほとんどミクシィの日記をコピペします
東ティモールに行ってきました。
帰国した日よりも随分報告が遅れてしまいました。
帰国してからもあべこべで忙しい毎日です。
今回のボランティアは、自分にとってかけがえのない思い出となりました。
一口には語れません。
戦争が終わって10年も経たない国に行って、
間近で感じたものは、言葉では表せません。
貧しいと言っては難だけど
水のシャワー(しかもたまに断水)を使ったり、部屋にサソリが出たり、水道の水が飲めないし氷も使えないような所での生活は、慣れるまで大変だったけど
無ければ無いでどうにかなるし、
慣れればそれが良くなっちゃったりしたし 笑
もっとも泊まった修道院は王様級の歓迎振りで、思ったより全然いい物が食べれたし、ビール(ぬるい)もよく出てきたのだけど。
唯一事件といえば植林を取り仕切るはずのグイ神父が倒れ、急に入院して植林が出来なくなってしまったことくらい
おかげで他のボランティアをすることになりました。
教会を作るための石積みとかペンキ塗りとか。
本当に貧しい民家にも行きました。
向こうの平均寿命は50前後なので、ほとんどが子供達です。
2歳の幼い子供も働きます。
歩けるようになれば、水汲みの仕事ができるようになるから。
学校が行けるような裕福な子は毎日何時間もかけて何十キロも離れた学校に歩いて通ったりします。
彼らは、病気の家族が居ても、両親が居なくても、不思議と明るいのです。
何故だと思いますか?
それは
それが当たり前のことだからです。
修道院のあるフィロロで関わった学生達も、ほとんどの子が戦争で必ず家族の誰か一人は殺されている事実を聞かされた時は、信じられなかったな。
思い出すのは、民家にいったとき。
子供にお菓子を配ってたら
与えられたお菓子を自分よりも小さい子供に食べさせていた子が居た。
その子は片目がなかった。
思わず涙が溢れてしまいました。
とりあえず色んなことを
自分に問いかけた。
貧しさってなんだろう?
優しさってなんだろう?
幸せってなんだろう?
生きるってどうゆうことなんだろう?
死ぬってどうゆうこと?
自分には何ができるだろう?
自分にできることなんてあるんだろうか?
戦争・貧困問題は難しい課題です。
貧富の格差が広がる現状にNGO・ODAの援助も問われる時代です。
東ティモールに行ったことで、学ぶ意識が高まって自分の最高の活性剤になり、本当に行ってよかった、と心から思います。
自分に何が足りないのか、そして逆に何があるのか。
考えるきっかけとなったこと感謝致します。
※また上記で述べなかったこと意外にも、無人島で最高のバカンスを送ったりバリのクラブバーでワーホリ中のオーストラリア人と騒いだり、結構遊んでました。
バリで一泊したホテルは
すげーー良くて夜のスポットライト付きのプールで泳いで、テラスで飲んで、最高でした。
もし学校のプログラムのティモールボランティアに行こうと思ってる人がいたら、私はあまりおすすめしません。
行った半数以上の人が初めから終わりまでずっと下痢で、つらそうだったし、
歓迎で出された食べ物も食べれない人も少なくなかったのでキツい人には本当にキツいと思います。
またそのことで向こうの人達の迷惑になったり失礼な行為は繊細なティモール人の良心を傷付けてしまいます。
明確な行く理由と、好奇心及び冒険心、強く優しい心が有れば万事OKだと思いますが。
向こうで色白はモテるので、モテたくてしょうがない方は行って女性を魅了する快感を開拓するのも一つのまっとうな理由かと思います。
女々しい・だらしない人は嫌われますから気をつけてください。
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たくさんの経験をして
自分のやりたいことに光が見えました。
色んな生き方があります
向こうでお世話になった辻村さん(女の人!)は本当に私の憧れ。
本当に本当に行けてよかった!