「おはよーさん、シンジ」
「おはよう、トウジ、ケンスケ」
 シンジたちが教室にはいると、いつものようにケンスケとトウジが近寄ってきた。最後の戦いの後、疎開命令が解除されて、クラスの仲間たちも戻ってきているのだ。ただ・・・・。
「・・・・洞木さん、まだ入院してるの、トウジ」
「ああ。来週当たり、退院できるらしいがの。今週はまだ、大事をとるそうや」
 委員長・ヒカリは、最後の戦いの中で負傷し、入院していた。再就役した参号機に乗って戦うトウジを追って第三新東京市に戻り、そこで戦闘に巻き込まれたのだ。責任を感じたトウジが毎日のように見舞いに行っており、経過も逐一聞いているが、やはり仲間の一人がいないのは、どこかシンジにはこたえるようだ。それはみんなも同様だったらしく、
「明日辺り、みんなでお見舞いに行こうか。日曜日だしさ」
「そうね。ヒカリがいないって言うのもなんか寂しいし」
 シンジの提案に、アスカは一も二もなくうなずいた。
「・・・・今日じゃ、ダメなのか?」
 ケンスケが、あいかわらずカメラを回しながら話に割り込んでくる。レンズの先は現在アスカに向けられているが、もう慣れっこになっているアスカは気にもとめない。もっとも、裏で撮影料を取っているから、という話もあるが・・・。
「明日は、新横須賀に顔を出そうと思ってるんだけど・・・・」
「あ、そうそう。そのことで、今日はちょっとトウジとケンスケに頼みがあるんだ」
 シンジが、思い出したようにぽん、と手を叩いた。
「実は・・・・今度、綾波のマンションが取り壊されることになったらしくて、ミサトさんが綾波のこと、引き取ることになったんだ」
「な、なんやてぇ?」「ホントか、それは!」
 シンジの爆弾発言を聞いて、二人は文字通り素っ頓狂な声をあげた。教室中がその声に振り向き、あわててシンジは二人の口をふさぐ。
「そ、そんなに大きな声で言わなくても!」
「むぐむがぁ・・・・ホントなのか、綾波」
 ケンスケが、信じられない、といった表情でレイを見る。レイはシンジの言葉を肯定するように、こっくりとうなずきかえした。
「むぐむぐ・・・しかし、そらえらいこっちゃな。センセは女三人と同居か。バラ色の生活やなぁ」
「いや、さすがに四人はちょっと狭いんで、空いてる隣りに引っ越すことにしたんだ」
「・・・・引っ越すって、まさかシンジ・・・・」
「ん? 僕とアスカと綾波だけど」
「なにぃ!!」「ホンマかぁっ!!」
 再び、トウジたちの声が教室中を満たした。いい加減、迷惑そうな視線を向けてくるクラスメイト。シンジはまたもあわてて、二人の口をふさぐ。
「アンタたち、シンジの話を変な意味に誤解してない? 別に同棲、ってわけじゃないのよ。そんなつもりもないし、ファース・・・レイの部屋が必要だから、便宜上部屋を移るのよ」
 二人が驚いた理由をだいたい察し、アスカが誤解のないよう説明する。
「言ってみれば、家族の離れ部屋、みたいなもんよ」
「そ、そうそう。そうなんだ。だから二人に、ちょっと引っ越しを手伝ってもらいたいんだ。今、それを頼もうと思っていたに、みんなで茶々を入れるから・・・・」
「・・・・すまんなぁ、シンジ。ワシは今日もいいんちょーの所へ行かなあかんのや」
「そう・・・じゃあ、しょうがないよね」
 シンジは、トウジがヒカリにどれだけすまないと思っているか・・・・自分のせいで、彼女が怪我をしてしまったことについてどれほど罪悪感を感じているかを知っているので、それ以上強いようとはしなかった。
「じゃあ、ケンスケは?」
「ああ、そう言うことなら、おっけーだ。新横須賀は、また次の機会にでも行くさ」
 ケンスケは、シンジに向かって指で丸の字を作ってみせる。
「ありがとう、ケンスケ。じゃあ、綾波もアスカも、放課後にここで待ち合わせしよう。今日は当番の人、いないよね」
「・・・・わたしは、大丈夫・・・・」
 シンジの傍らで会話をずっと聞いていたレイが、ぽそり、と声を発した。
「わたしもよ。ああ、言っとくけど、重い荷物はアンタたち男が運ぶんだからね!」
 こちらはあいかわらず元気なアスカ。声と共にびしっ、と指をつきだし、ケンスケ、シンジを指さす。
「「げえっ・・・・」」
「当たり前でしょう! か弱い女の子に重い荷物を運ばせる気なの?」
「か弱いって・・・・どこがさ・・・・」
「なんですってぇ?」
「あ、いやいや、なんでもないなんでもない」
「力仕事は男の仕事よ!」
 もごもごと口内で呟くシンジの声を封じ込めておいて、
(・・・・それに、レイには負担かけさせられないから・・・・)
 内心で、アスカはそう呟いた。
「はぁああ、簡単に行くなんて言わなきゃよかったかなぁ・・・・」
「ケンスケ、なんか言った?」
「あ、いえいえ」
 にらみ付けるアスカに、ケンスケはあわてて瞳をそらした。しかし、カメラはしっかりと構えている。シンジを含め全員が、その根性に驚きとあきれを感じていた。
 ・・・・ただ一人、そんなケンスケの様子をじっと見つめるレイをのぞいて。
   
「さぁて、始めよう」
 ミサトのマンションの中、リビングルームで、ケンスケはそう言って大きくのびをした。
 つつがなく授業も終わり、ヒカリの病院に行くトウジと別れて、シンジたち四人はマンションに戻ってきた。制服を汚さないよう軍手やらエプロンやらをつけて、準備を終えた頃には時計の針は2時を回っていた。
「日がくれるまでにはとりあえずかたをつけちゃおうとおもっているから・・・・悪いねケンスケ。こんなこと頼んじゃって」
「いやいや。大手を振ってミサトさんのマンションに入れるなんて、滅多にないことだからさ。さ、何から始めようか・・・・」
 意外なことに、引っ越しの指揮を取っているのはケンスケだった。それぞれが持っていく荷物を割り振り、てきぱきと進めていく。
「綾波の荷物は少ないから、まず初めに持っていってしまおう」
「惣流、早いところ荷物をまとめとけよ。引っ越しだっていうのに全然まとめてないなんてなあ」
「シンジ、その段ボールは後だって。まず大きな家具を移しちゃわないと」
 といった具合にである。こういった引っ越しの経験があまりないシンジ、ここに来たときは業者にまかせていたのでまったく分からないアスカ、そもそも引っ越しなどしたことのない綾波などは、その指示に従って動くのみ。いつもなら誰かに従うことの嫌いなアスカも、自分の荷物の整理に忙殺されてそれどころではないらしく、ケンスケのいわれるままである。
「ケンスケって・・・・こんな一面があったんだね」
 大きな段ボールを二人で運びながら、シンジはアスカにそう言った。
「・・・・まあ、人間誰でも一つくらいはいい面があるもんよ。あれで何もできなきゃ、ただの軍事おたくだからね」
「ははは・・・・」
 シンジは、アスカのそんな反応に苦笑いを浮かべるだけだった。
 一方、レイは。
 元々荷物が少なかったこともあり、彼女自身の荷物はすでに隣の部屋に移し終わっていた。そのため、ケンスケの指示でレイはシンジの部屋で、彼の荷物の軽いものを運んでいた。こまごまとしたもののはいった段ボールを手に持って立ち上がったところで、棚の奥の方に置かれていたそれに気づく。
 それは、シンジのいつも使っていたウォークマンだった。黒光りするそれの上には薄く埃がかぶっており、最近使われた形跡はないようだ。
「・・・・・?」
 レイは、不思議に思った。いつもいつも、ネルフで一人の時はイヤホンを耳に当てていたシンジの姿が印象的だっただけに、それが使われていないことが、彼女にとっては意外だった。
 ウォークマンを手に取ってみる。中には、一枚のディスクが入っている。イヤホンを耳に当てて、スイッチらしき物を押してみた。
 ・・・・・・・。
 しばしの空音の後、荘厳なクラシック音楽がイヤホンを通して聞こえてきた。音楽を聞くということがないレイにとってそれは初めて聞く曲だったが、どこか懐かしく、そして悲しげなものだった。
「・・・・なに・・・・この感じは・・・・」
「あ・・・・」
 イヤホンの外から聞こえてきた声に、考え込んでいたレイは振り返った。
 シンジが、部屋の入り口に立ちすくんでいた。心なし、その顔色が悪い。
「あ・・・・碇くん・・・・」
「綾波・・・・それ・・・・」
「・・・・ごめんなさい、勝手に使っちゃって・・・・」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ・・・・」
 シンジは、何かにおびえるように首を振った。レイにとってそれは、始めてみるシンジの姿だった。
「碇くん、この曲・・・・何なの? ・・・・わたしにとって、どこか懐かしい・・・・それでいて、悲しいもの・・・・」
「・・・・・・・・」
 レイの質問に、シンジはこたえなかった。うつむき、沈黙したままだ。
「・・・・ごめんなさい、聞いちゃいけないことなのね」
「いや・・・・綾波、いいんだ。聞いちゃいけないわけじゃない。ただ、僕の心の整理がついてないだけで・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・そう。綾波には、聞いておいてもらった方がいいんだ。これは」
 そう言って、シンジはベッドの上に腰をおろした。そしてしばし逡巡した後、小さく呟く。
「カヲル君・・・・」
 その名前は、レイにとっても聞き逃すことのできないものだった。
「フィフスチルドレン・・・・最後の使徒・・・・」
「そう。その曲は、カヲル君と初めてあったとき、彼が口ずさんでいたものなんだ」
「・・・・・・」
「前にもその曲は聞いたことがあったけど、カヲル君と会ってから、僕はその曲を聞いてみたいと無性に思うようになった。理由は・・・・うまく言えないけど、その曲を聞いていると、カヲル君が側に、いてくれるような気がしたからかな・・・・」
「彼が、側に・・・・?」
「あのころの僕には、誰もいなかったから。ミサトさんも、アスカも、綾波も・・・・。そう、あのころの僕には、カヲル君だけが心許せる人だったから・・・・」
「そう・・・・そうね・・・・」
 セントラルドグマで、そのころに魂のない自分の姿を見たと聞かされていたレイにとって、シンジの考えは当然のように思えた。今でこそシンジは彼女と普通に接しているが、そこに至るまでの心の整理をつけるには、長い時間が必要だったからだ。
「それなのに、僕は、僕はその、そのカヲル君を・・・・手にかけてしまった・・・・」
 シンジは、両手で顔を覆ってうつむいてしまった。感情の高ぶりを抑えきれず、その肩が小刻みに震えている。
「だから僕は、もうその曲を聞くことはできないんだ・・・・カヲル君のことを、いまは思い出すのもつらいから・・・・」
「碇くん・・・・」
「・・・・いつかは、心の整理をつけなきゃいけない。カヲル君のことを忘れちゃいけないのも、わかっている。それでも、それでも今だけは・・・・もう少し、自分が強くなるまでは・・・・」
「・・・・・・」
 沈黙。室内には、何の音も聞こえない。シンジも、レイも、しばしの間黙ったままだった。
「・・・・その、綾波は、カヲル君とどこか似ているから・・・・この話を、聞いてもらいたかったんだ。だから、話したんだ・・・・」
「・・・・ありがとう・・・・」
「え?」
 レイのその言葉に、シンジはうつむいたままの顔をあげた。意外、という感情が、その顔には表れている。
「碇くんが、自分の心をわたしにみせてくれたから・・・・それは、わたしを一人の人間として見てくれていると、思ったから・・・・だから、ありがとうって・・・・」
「あ・・・・だって、そんなこと、当然じゃないか・・・・綾波は、綾波だよ・・・・」
 シンジは、レイの反応に混乱しているのかいまいち的外れな言葉を返すが、レイにとってその言葉は、またうれしいものだった。
「うん・・・・ありがとう、碇くん・・・・その言葉、うれしい・・・・」
「・・・・綾波・・・・頼みたいことがあるんだけど、いいかな・・・・」
「・・・・?」
「このウォークマンとディスクを、預かって欲しいんだ。綾波に」
「わ。わたしに・・・・?」
「そう。綾波に。僕がいつかそれを聞ける日が来るまでの間。綾波に、これはお願いしたいんだ。カヲル君の話をしたのは綾波にだけだし、それに・・・・」
「それ、に?」
「うん。その、これは、何ていったらいいんだろうか、ええと、綾波に、持っていてもらいたいから・・・・僕の、過去を・・・・」
「・・・・・・」
 レイは、無言のままだった。手渡されたウォークマンをぎゅっと握りしめて、それを見下ろしたまま、黙り込んでいた。
「・・・・だめかな・・・・」
「ううん、そんなことない!!」
 自分でも驚くほどの声で、レイはシンジの台詞を否定した。