人は皆、演技者だ。
あたし達だって例外じゃない。
両親の前ではおっちょこちょいな姉としっかり者の弟で、学校では喧しい女生徒と静かな男子生徒。常に対極にいるみたいなあたし達だけども周りには総じて仲の良い双子で通っている。
何も全てが嘘だと言っているわけじゃない。それでも無意識のうちに演じ分けていて、人に見せる一面は確かに少しずつ違うんだ。
だきしめられない
共働きのあたし達の両親は家を空けることが多かった。今夜だってそうだ。もう幼い頃からのことだから今更文句もなにもないけれど、時々レンと二人だけの夜はどうすれば良いのかわからなくなる。
テレビを観て笑えばいい。ゲームで遊べばいいじゃん。
そんなことはわかってる。
幼い頃から感情を分け合ってきた弟とくだらない話をしてぎゃあぎゃあ騒ぐのは純粋に楽しかった。
だけど近頃ふと我に返ることがある。醒めてしまう、とでもいうのだろうか。それまで何を話していたのか、何を話して良いのか急にわからなくなってしまって、途方に暮れてしまう。
隣で笑っているこの男の人は誰?……って馬鹿。レンに決まってるんだけど。わかっていても違和感は拭えないのだ。
…――カチ、カチ、カチ。
夜に溶ける静寂の中で壁時計が時を刻む音だけが刻一刻と響いている。隣ではコーヒーテーブルの上に散らかっているプレステのコントローラーをそのままにしてレンが眠そうにあくびを噛み殺していた。
まだしばらくはダラダラとしていそうだし、今のうちにお風呂に入っちゃおう。そう決めたあたしはソファーを立ちリビングを後にした。
当たり前だけどお風呂上がりは暑かった。だけどシャンプーやボディーソープの匂いがふわりと香るこの瞬間は好き。軽く髪を拭き、未だほこほこと湯気を上げる身体にバスタオルを巻き付け考える。
――レンは今何してるのかな。
だから何って訳ではないけれど顎に手当て、何となく考えてしまう。いい加減起こさなきゃ、あのままソファーで寝ちゃいそうだ。明日も学校なのにそれはちょっとマズい。あたしは人知れず小さく微笑む。
あぁ見えてレンはけっこう抜けているところがあるから。頼りないあたしでも助けられることはいくらでもあったりする。
そんなこんなをぼんやりと思っていると、不意にガラガラと脱衣所の扉が開く音がした。驚いたあたしはとっさに音の方を振り返る。
目に飛び込んできたのは今しがた考えていた弟の姿。ほのかに紅潮した彼の顔を見る限り、故意ではなく事故。そんなことは明らかだ。
「ゴメンッ」
「〜〜ッ!!」
ドアが勢い良く閉められるとよろけた身体は壁に背をついて、へなへなと床にへたり込んだ。
びっくりした……。
お風呂のせいじゃない。胸の鼓動がバクバクと煩くて、頬が熟れたみたいに熱かった。
これが他に人がいたらレンの馬鹿ぁ!! なんて大騒ぎしているのだろう。叫んで手当たり次第にものを投げて、もう口なんか聞いてやんないなんて言うのかもしれない。
だけどそんなことはしない。だって恥ずかしいけれど嫌じゃないから。レンなら別に見られてもいい。そう思うのはおかしいことなのかな?
あたしはパジャマを身につけるとバスルームを出た。キッチンで冷えた麦茶をいれてから少し迷って、さっきと同じようにリビングのソファーにいるレンの隣に距離を取って腰掛ける。
「お風呂あがったよー」
「おぅ」
目線はあさって。どこかぎこちなく返すレンにあたしは先手を打つ。だって、二人の間に変な空気は残したくなかったから。
「レン。さっきの全然気にしてないからね」
一息で言い切った後、お茶をくい、と飲み込む。するとレンはぱちくりと瞬いた後、
「いやいやいやいや。ちっとは気にしろって!」
勢い込んで否定の言葉を口にする。
もう! レンが気にするかなと思って言ったんだよ!
本当はすごく不満だったけれどそんなことは言わない。レンの言い分が分からないほどあたしは子供じゃないから。女としての自覚ならあいにくとっくの昔に備わっていた。
「んー。じゃあ、リン、すっごく恥ずかしかった! レンはラッキーだったね」
内心の動揺を気取られない様、努めて平坦に言えばレンが吹き出した。
「うは。なんだよその棒読み」
レンは続けてアハハと屈託なく笑う。笑いは連鎖する。あまりにも気持ちのよい笑顔だったから、あたしもつられて笑ってしまった。
ひーひー言いながらお腹をよじってひとしきり笑い合うと気がつくとお互いの顔が至近距離にあった。
すっと真面目な顔になる。
これって好きな子にだけ見せる表情なんだろうな。なんて憶測でしかないけれど。レンの瞳にはただあたしの姿が映っている。まるで吸い込まれる様な碧にあたしだけ、あたしだけなの。
触れてみたい、そう思った。
今までにも何度かこんなことがあった。お互いの心が近くて、満たされているはずなのに何か物足りなくて。足りないモノを充たすように手を伸ばしたくなる。触れてみたくなる。
だけどここであたしが手を伸ばせば泡沫のこの関係は崩れてしまうのだろう。
だきしめられない。
姉と弟。女と男。あたし達は危うい均衡の上にいて。一緒に暮らしているからこそ壊せない距離があった。
さて、何の話をしましょうか?
二人だけの夜はあまりにも長すぎた。互いに気づいてしまった感情を今更無視することなんて出来るはずもないのに、あたしとレンは愛を語る関係ではない。
かと言ってこの姉弟愛というにはおかしな、充たされた空気を今すぐ断ち切れるほどあたしは強くもなかった。
思考を巡らせる。こうしていても何を話していいのかわからない。
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title by "
joy"
(秘密恋愛より4題目)