三国を統べる王に相応しい力を
そう願い、それは確かに叶えられた。
これでもう無力に泣くこともない。愛する民を、愛しい人を守れる。国を焼かれることもなくなる。
「これで幸せになれる」
そう信じていたのに…
「またいない…」
戦に勝ち、祝杯に笑う将の中からいつの間にかいなくなった孫策を探して周瑜は宮廷の中を小走りに駆けていた。
また、だ
勝利を重ね、天下統一への一本道を駆け上がる日々。破竹の勢いで進軍を進める孫呉に敵はなかった。
それもこれも陸家からもたらされた玉璽のおかげだ。そのために陸家の者には少々酷な結果となってしまったが、孫呉の輝かしい未来への礎となったとあれば彼らとて本望であろう…
だが…
「どこだ、伯符…?」
ただ一つ気掛かりなことがあった。それが今行方の知れぬ孫策のことだ。
それは些細なことだが、彼を幼いころからよく知る周瑜だからこそ感じる違和感。それ故に彼は他の者に知らせることなく単独で捜索をしていた。
(何だ…この胸騒ぎは)
単に酔いを醒ます為に外に出ただけかもしれない。そうならばいい。そうして探しにきた自分に「どうした?そんな顔をして」といつものように笑いかけてくれたらいい。
まるでそれは祈りのように、周瑜の胸の中に絶え間無く暗い不安を落とす。
そして宮廷の外れの小さな庭先、彼はいた。
先程酒席で見せた威風堂々とした姿からは遠く掛け離れた、小さく怯えたような姿に周瑜はゆっくりと近付いた。
「……公瑾…?」
隣に並ぶまでもうあと五歩といったところで彼が顔を上げてこちらを振り返った。
「急にいなくなったからどうしたのかと思った。…どこか優れないのか?」
言いながら周瑜は孫策の隣に静かに腰を下ろした。
「ん…まぁ、な…」
「どうした、歯切れの悪い。伯符らしくもない」
重い空気を振り払おうと努めて笑んでみせるが彼は自嘲気味に口許に笑みを浮かべて返しただけだった。
「俺らしい…か」
「伯符?」
「俺らしさとは、どんなものだったのだろうな…?」
「おい、はく…」
「あぁでもそれももう…どうでもいい、か」
はは、と乾いた笑い声が冷たい夜闇にやけに大きく響いた。
「公瑾、俺はもうわからないんだ。結局俺は一体何が大切で何を守ろうとしていたのか、もう何もかも、わからなくなってしまった」
そう呟いた孫策の脳裏にはさきの戦でのことが思い出されていた。
呉軍の三倍はいたかという程の敵軍を打ち負かし、まるで獣が脆弱な獲物を食い散らかしたかのように無惨な戦場に血まみれで立ち尽くす孫策を見た友軍が一瞬見せたあの目を。
まるで悪鬼がそこに立ちはだかっていたかのようなあの恐怖に濁った眼差しは明らかに自分へと向けられているのだと彼は悟った。
自分はもう王どころか、人ですらないのだと
「俺が勝利をもたらした戦によって民は救われ、豊かになったかもしれない。だがいつかこの地に安寧が訪れた時、俺のこの力は皆に疎まれるのだろう。俺には、もう殺し壊すことしか出来ないのだからな」
圧倒的過ぎるこの力は戦の世にこそ必要なもので、それがなくなった時自分がどうすればいいのか、ふとそう考えた時伯符は気付いてしまったのだ。
そうなってしまったら、もうこの世に自分の居場所なんてどこにもないのではないかと。
「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない。煌星を成した者の末路は、そういうものだったんだ…」
庭先に咲き乱れる美しい花の香りにも、かつて聴いた友の笛の音にも、この胸に込み上げるものはもう何もない。
もはや戦以外に心躍らせるものを持たない自分に一体何が残るというのか。
「俺は、どうしようもない愚か者だ…」
悲しげに笑んだ金獅子の王の頬に一筋の涙が静かに伝った。
希望と絶望は差し引きゼロ