話題:東日本大震災

震災前に台湾へ旅行した。
電車やバスでは若者が普通に年寄りや妊婦さんに席を譲ってたり、こっちが道に迷う様子を見せるとあっちの方からすぐにみんな声をかけてくれて、話慣れないであろう英語を使って一生懸命案内してくれた。見ず知らずの他人に親切にするのは彼らにとって何でもない当たり前のことのようだった。ほんとうに何回もこんなことがあった。
道の途中で戦中体験したおじいさんと話もした。すごく美しい日本語を話されていて日本人の自分が恥ずかしく思うくらいに流暢で丁寧な言葉だった。
ガイドさんとも色々話を聞かせてもらえたけど、「たしかに日本人から戦中差別を受けていたのは事実。だけど、それを越えた付き合いがあったのも事実。そして戦争のなかで日本人がしてくれたことがいまの台湾の発展に繋がっていることも事実」って語ってくれたことが印象的だった。
ガイドさんのお母様は当然戦中世代。
で、隣は日本軍の通信基地だったんだって。通信基地っていっても普通の家より少し違うくらいのものだったそうだ。で、普通にそことガイドさんの家は仲良しだった。小さな少女ということもあってよく軍人さんと遊んでもらっていたそうです。想像すると和むけどありえないよね。戦中、日本人は台湾を統治してて、名目上、等級をつけて差別をしてた。でもその基地の軍人さんたちと彼らは人と人として仲良くしてたんだって。すごいことだよね。わけわからん。
どのくらい親密かといえば、普通に晩御飯を一緒の卓で囲む仲。
そして終戦間際の台湾からの引き揚げ。
特に親しかった軍人さん夫婦から「持っていけないものだから。」と贅沢品のミシンetcなどをもらい受ける。(持っていけないならお金に換金できたのに)
更には一人息子(この時代の『長男』は跡取りとしてとてもとても大事な存在)を「あなたの家は小さな娘(=ガイドさんのお母様)さんしかいなくて大変だろうから実の息子と思って傍において使ってやってくれ」と云われる。これほんとびっくりした。
ガイドさん家のことを思いつつも、帰ったとき日本がどうなっているかわからないから敢えて託そうとした、ってのもあったのかもしれない。けどけど、日本人同士でだって難しいのに、そんなことを打ち明けることができたこの二家族の絆の強さはいかばかりか。
ただ、ガイドさんのお祖母さまはその話を固辞されたそうです。戦争という背景に、大事な存在とは離れてはいけないという思いがあったのかもしれません。それで軍人さん夫婦とガイドさんの家族は惜しみながらお別れをしたそうです(何回も云いますが占領軍とその支配下のもとにいたひとたちの別れです)
しかし無情なことにその軍人さんの乗った船は攻撃に遭ったのか、残っていた地雷(?というのか知らないのですが海にも地雷的なものがあったそうです)にでも当たってしまったのか大破されて乗船者は皆帰らぬ人に。ガイドさんのお祖母様はその知らせを聞いてその場で泣き崩れたそうです。
「あのときの話を断らなければ…」と。
あまりにも悲しく、胸がいっぱいになってしまって「聞かせてくださってありがとうございます」というのが精一杯でした。

他にも日本軍に対してゲリラ活動をすることで恐れられていた高砂族と日本軍との友情など。この話はネットで調べると出てくるので割愛します。
とにもかくにも、日本にいたら知らずにいたことばかりでした。行く前よりますます台湾だいすき!になって帰国しました。
そして二年前の3.11。台湾はその人口数から想像できないほどの多額の義援金を送ってくれました。ほんとうに、ほんとうにありがとう。
当時某政府が腰抜けすぎて歯軋りしてたけど、某有志の一般人が泳いでサンキューしに行ってくれてとてもうれしかった。温かく出迎えてくれた台湾の人もありがとう。

とりあえずいくつかの隣国のうちで進んで仲良くしたいと思うのは台湾だけだな。
震災支援ほんとうにありがとう。いつか彼らが困っていたら助けたい。自分がそうやって旅行中に助けられたように。
WBCのニュースも心温まりました。こんな関係でいたいね、ずっとずっと。

それにしてももう二年なのかまだ二年なのか。どっちにしろ、いざ自分がその目に遭ったときになるべく自力でできることを増やせるようにとこれからも備蓄を欠かさないようにしていきたい。過去から学んで、それで、「悲しかったこと、そういった辛さ痛みを思い出してしまうだろうに、それでもあのときの苦労を貴方たちが教えてくれたおかげでこうやって対策がとれたんですよ」って胸を張れたらいいと思う。
とりあえずあとはバールと寝袋を買うだけなんだよね。しかしなかなか手が出せないのだ。早く用意しなきゃな〜。

話題がずれたけどこんな感じです。WBCのネットニュース見て、震災支援のこと思い出してホンワカしてたところ、ネット記事のコメントで台湾disられてていらっとしたので弁護してみました。

台湾いいとこだったよ!マジでどこ行ってもお茶美味しいし歩いてる人はみんなスリムだし歩行者にはハードモードな交通ルールだけどそこらじゅうに明治ロマン漂うレトロな建造物残りまくり使われまくりだし寺は超ケバいしで楽しかったよ!次行くときはもっと英語使えるようにしておきたいなー。

それを実現させるためにも有事の際の生存率うpに努めなくては!
その為には寝袋寝袋!あとバール!
なぜか 途中で記事が重複してま
したorz
しかも当時の旅行の手記読み直したらぜんぜん話の結末が間違ってた…ので直しましたorzどっから覚え間違えてたのか…手記を取っておいたのは正解でした


…失礼しましたー!