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好きすぎて生きるのがつらい

愛が募りすぎてつらいのでバトンで発散させてもらいますー
もちろん安定のアンカー\(^o^)/




耳のお供


一番激推しなアーティストがいるけど、周りには推しがいない。
いるけど、マニアック過ぎて分かってくれない。そんな方にどうぞ。

もちろんただの暇潰しでも何でもいいです。本能のままに愛を書き殴りましょう。



まず、今激推しなアーティストは誰ですか?

『The Libertines』ですよ…ほんと周りに知ってるひといなさすぎて泣けるわたしもちょっと前まで知らなかったんですけどね!!!!
5月のTOKYO ROCKSにピート抜きで来るよ!ピートいなくてすげー落ち込むけど仕方ないのですよ…あいつ薬中すぎて逮捕されすぎて来日できねーんですよ…ほんとマジでそこんとこだけはピートあいつ殴りたいマジで(二回目)


では、全ていい曲だけど自分的にはこれが最高!な曲を好きなだけ書いて下さい。


曲名「Music When The Lights Go Out」
理由→ピートとカールの自堕落時代そのままの歌詞\(^o^)/なのにロマンチックなんですよ!ドラッグを美化するつもりなんてすこしもないんですけど、それでも『パブでクラブで、俺と君はタブとドラッグを分けあった/これがずっと永遠に続くと思ってた/ハイになってゆらゆら移ろっては離れていく/ああダーリンどうか許して/もう俺にはなんの音楽も聴くことができないんだ』みたいな歌詞に儚さ、それから美しさを感じてしまうのよね…
もちろんメロディーもたまらないです…柔らかくて優しくてふわふわと漂う穏やかな、けれども終わってしまう夢みたいで。

曲名「(I've Got)Sweets」
理由→展開がすごいすき!こういう曲は邦楽にないと思う。リフっていうか曲全体の構成として、歌謡曲の国の日本では生まれないであろう曲。これジャズテイストになるのかな…よくわかんないですが。The Libertinesってまぁまぁ知ってるってひとにはパンクよりの粗っぽい(てゆーか下手っていうかw)ロックってイメージが強いと思うけど曲の引き出しがめちゃくちゃ多い。ロックからパンクやらブルースやら。むしろ初期はロックじゃなかったしね。むしろロックじゃないと食べていけないわよって方向転換されたぐらいだしね。やっぱり音楽の国だから産まれてきてからの情報量が比じゃないよね。意識するしないに関わらず良質な音楽がそこかしこで耳に入ってくるんだから。(ロンドンオリンピックでのエキシビで英国民の老若男女問わず合唱できる曲の多いこと多いこと!)そういうところはほんとうのほんとうに羨ましい。

曲名「Vertigo」
理由→やっぱかっこいいんだよね!このハチャメチャなノリがすきなの。

曲名「Death On The Stairs」
理由→歌詞もさることながらメロディーラインも素晴らしすぎる!!ほんと最強のタッグすぎて泣ける。

曲名「Can't Stand Me Now」
理由→鉄板ですね!ふたりの実録痴話喧嘩ソング。ほんとなんでこんな曲を見つめあいながら超至近距離(つーか零距離)マイクシェアして歌えるのか…『もしお前がなんとかしようとしたって/これ以上ひどいことなんてできはしない/お前が嘘つきだってことはわかってるけど(俺もお前も嘘つきだってことは知ってるよ)/それでもまだお前を愛してる』とか…もうほんとお前らなんなんだよと…喧嘩したいのか?いちゃつきたいのか?
もう俺のことにうんざりしてんだろ、お前が俺にもう付き合いきれないんだろ、とサビで罵りあいながら、『お前は俺を連れ出してくれない、俺ならお前をどこだって連れていってやるのに』ってとこと、ラストのピートのハープでせつなくなってしまう罠。



こんな感じでふたりじゃないと本来の魅力は発揮できないんだけどそれでも来日してくれることがその心意気がうれしいですマジで
カールはもうずっと前から「どうにかしてピートも日本に来られないかな?」って云ってくれてるんだけどそこはやっぱりね、パリスも入れなかった日本ですから…。
カールが寂しくならないように当日はいっぱい声援を送ろうと思います(ピート抜きでThe Libertinesのライブをこなしていたカールは大体いつも超不安げで泣きそうな顔をしていたので)
解散前の最後のフジの動画も見たけどオーディエンスのレスが寂しかったもんな…それでもまた来てくれるのはほんとうにありがたい!ファンとしてはまた来たいって思ってもらいたいし。まぁそんな感じです。とにかくピートのことで苦労したぶん笑顔にしてあげたいw
まぁそんな不幸顔がイケメンなんだけどな…!
わくてかしつつも超太ってたらどうしようかなと懸念してます(^o^)やはり見るからにはできるだけ目の保養もさせていただきたい…!痩せてますようにw








激愛のお言葉ありがとうございました!

ちなみに自己紹介に使って頂いても構いません。気楽に使って上げて下さい。

お疲れ様でした。




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Paint it

フォトショを体験版で使ってます
初めてこのソフト使うのでわからないことばかりでいっそ清清しいぜ
体験期間過ぎたら買うかどうか決めかねています
でもきっと買っちゃうんだろうな…
新しく描いている暇がないのでひたすら過去絵を加工してはフォトショでああでもないこうでもないといじくりまわしてはにやにやしてますうふふふ
バスデのバーチーで牛さんパーカー…なのは描いたのが丑年だったから。




話題:三次元イラスト

つかれたっ

送歓迎会でお腹いっぱい食べさせてもらってきました(´д`)げっふ
元気なのでサボりぎみだったお絵描き!ウエーイ
フォトショ体験版DLしてるから期日までになるべく落書きしてフォトショで遊ぶ予定ですむふふふ
自サイトに気づけばピートばかり増えてる!てことに気づいて今回カール描いたよやっぱりむずかしいよ/^o^\
しかし自分に二つもついているのにどうしてこうも自分は手が描けないのかボスケテ
でも横顔、そして鼻はがんばった!!!!
外人の鼻ってほんといろんな形があるよねバリエーション多すぎだろ…
ほんとのカールはもっとふつくしいんだけどわたしの手では再現できず…Oh…
まあ多分いまはちょいピザってるような気もするけどねそれでもいいのですあのエロ声さえ無事ならば!!
あー早くトーキョーロックス始まらないかなぁあああん



次に更新するのは描いてたらなんかアレな感じになった絵なので鍵かけておきますね┌(┌^o^)┐ホモォ…






震災と台湾と戦争と。

話題:東日本大震災

震災前に台湾へ旅行した。
電車やバスでは若者が普通に年寄りや妊婦さんに席を譲ってたり、こっちが道に迷う様子を見せるとあっちの方からすぐにみんな声をかけてくれて、話慣れないであろう英語を使って一生懸命案内してくれた。見ず知らずの他人に親切にするのは彼らにとって何でもない当たり前のことのようだった。ほんとうに何回もこんなことがあった。
道の途中で戦中体験したおじいさんと話もした。すごく美しい日本語を話されていて日本人の自分が恥ずかしく思うくらいに流暢で丁寧な言葉だった。
ガイドさんとも色々話を聞かせてもらえたけど、「たしかに日本人から戦中差別を受けていたのは事実。だけど、それを越えた付き合いがあったのも事実。そして戦争のなかで日本人がしてくれたことがいまの台湾の発展に繋がっていることも事実」って語ってくれたことが印象的だった。
ガイドさんのお母様は当然戦中世代。
で、隣は日本軍の通信基地だったんだって。通信基地っていっても普通の家より少し違うくらいのものだったそうだ。で、普通にそことガイドさんの家は仲良しだった。小さな少女ということもあってよく軍人さんと遊んでもらっていたそうです。想像すると和むけどありえないよね。戦中、日本人は台湾を統治してて、名目上、等級をつけて差別をしてた。でもその基地の軍人さんたちと彼らは人と人として仲良くしてたんだって。すごいことだよね。わけわからん。
どのくらい親密かといえば、普通に晩御飯を一緒の卓で囲む仲。
そして終戦間際の台湾からの引き揚げ。
特に親しかった軍人さん夫婦から「持っていけないものだから。」と贅沢品のミシンetcなどをもらい受ける。(持っていけないならお金に換金できたのに)
更には一人息子(この時代の『長男』は跡取りとしてとてもとても大事な存在)を「あなたの家は小さな娘(=ガイドさんのお母様)さんしかいなくて大変だろうから実の息子と思って傍において使ってやってくれ」と云われる。これほんとびっくりした。
ガイドさん家のことを思いつつも、帰ったとき日本がどうなっているかわからないから敢えて託そうとした、ってのもあったのかもしれない。けどけど、日本人同士でだって難しいのに、そんなことを打ち明けることができたこの二家族の絆の強さはいかばかりか。
ただ、ガイドさんのお祖母さまはその話を固辞されたそうです。戦争という背景に、大事な存在とは離れてはいけないという思いがあったのかもしれません。それで軍人さん夫婦とガイドさんの家族は惜しみながらお別れをしたそうです(何回も云いますが占領軍とその支配下のもとにいたひとたちの別れです)
しかし無情なことにその軍人さんの乗った船は攻撃に遭ったのか、残っていた地雷(?というのか知らないのですが海にも地雷的なものがあったそうです)にでも当たってしまったのか大破されて乗船者は皆帰らぬ人に。ガイドさんのお祖母様はその知らせを聞いてその場で泣き崩れたそうです。
「あのときの話を断らなければ…」と。
あまりにも悲しく、胸がいっぱいになってしまって「聞かせてくださってありがとうございます」というのが精一杯でした。

他にも日本軍に対してゲリラ活動をすることで恐れられていた高砂族と日本軍との友情など。この話はネットで調べると出てくるので割愛します。
とにもかくにも、日本にいたら知らずにいたことばかりでした。行く前よりますます台湾だいすき!になって帰国しました。
そして二年前の3.11。台湾はその人口数から想像できないほどの多額の義援金を送ってくれました。ほんとうに、ほんとうにありがとう。
当時某政府が腰抜けすぎて歯軋りしてたけど、某有志の一般人が泳いでサンキューしに行ってくれてとてもうれしかった。温かく出迎えてくれた台湾の人もありがとう。

とりあえずいくつかの隣国のうちで進んで仲良くしたいと思うのは台湾だけだな。
震災支援ほんとうにありがとう。いつか彼らが困っていたら助けたい。自分がそうやって旅行中に助けられたように。
WBCのニュースも心温まりました。こんな関係でいたいね、ずっとずっと。

それにしてももう二年なのかまだ二年なのか。どっちにしろ、いざ自分がその目に遭ったときになるべく自力でできることを増やせるようにとこれからも備蓄を欠かさないようにしていきたい。過去から学んで、それで、「悲しかったこと、そういった辛さ痛みを思い出してしまうだろうに、それでもあのときの苦労を貴方たちが教えてくれたおかげでこうやって対策がとれたんですよ」って胸を張れたらいいと思う。
とりあえずあとはバールと寝袋を買うだけなんだよね。しかしなかなか手が出せないのだ。早く用意しなきゃな〜。

話題がずれたけどこんな感じです。WBCのネットニュース見て、震災支援のこと思い出してホンワカしてたところ、ネット記事のコメントで台湾disられてていらっとしたので弁護してみました。

台湾いいとこだったよ!マジでどこ行ってもお茶美味しいし歩いてる人はみんなスリムだし歩行者にはハードモードな交通ルールだけどそこらじゅうに明治ロマン漂うレトロな建造物残りまくり使われまくりだし寺は超ケバいしで楽しかったよ!次行くときはもっと英語使えるようにしておきたいなー。

それを実現させるためにも有事の際の生存率うpに努めなくては!
その為には寝袋寝袋!あとバール!
なぜか 途中で記事が重複してま
したorz
しかも当時の旅行の手記読み直したらぜんぜん話の結末が間違ってた…ので直しましたorzどっから覚え間違えてたのか…手記を取っておいたのは正解でした


…失礼しましたー!
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