お久しぶりです 前回続きを書くといってからかなり月日が過ぎてしまいました
また気ままにぼちぼち書いてみたいと思います
自分の中での右翼のイメージ
右翼は何を言ってるのか分からない、うるさい、怖い
右翼の街宣車は道路主要許可を取り、騒音規制を守ってるので警察も成すすべがないという
警察→暴力団→右翼→警察→暴力団→右翼
という風にじゃんけん形式で強さが分かれてるような気がする
ドキュメンタリ宣言後半に出てくる右翼団体 大日本神民塾 塾長 五十嵐博臣が言うには
大音量で街宣車から音楽を流すのは「国家の非常時 救急車だってパトカーだってサイレンを鳴らしながら目立って行ってる だから我々もそういう思いはある」
はぁ?だ
前回の左翼もそうだし今回の右翼もそうだが今、この国や自分の周りの環境を変えなきゃいけないと思ってる人は
少なくないと思うがそのやり方が的をいてないというの正直気付かないんだろうか?
絶対に間違ってるとは言わないがその行動が絶対に正しいという根拠はない。
さらに五十嵐いわく「今も一般の人に理解してもらうためにこちらのスタイルを変えてしまえば、大衆迎合になってしまうかもしれない」
何故それが駄目かと記者が問うと、五十嵐は「今の大衆は目覚めていない」
そうきたか 五十嵐
日本の右翼の歴史と思想を研究している麗澤大学教授 松本健一氏はこう分析する
「暴力団と一体化されるような右翼ではないくて 右翼の存在価値は何なのか というと それはナショナリズムではないかと
ヤクザ 暴力団から分けられることによってより思想性を強めようと思う あるいはそこに正当性を求めようとする
しかし、それがなかなか見つからない」
なるほど、いかにも硬い考えの人の思想強制論の行動だ
この右翼団体には19歳のケンジという若者がいる
何故こんな若者がいるのか?
「右翼といったら街宣車→街宣車は好きだしカッコいい
右翼の活動家で講義のために拳銃自殺をした人の記事を新聞で見たときすごい衝撃的だったと言う
自らの命を落としてでも訴えかけることがあったっていう
この日本っていう国を今の状況から少しでも変えたい」
やる気のないやつや生きてる気力もないようなどうしようもないやつについていくやつは誰もいない
志を強く持った人には憧れを持ちついていこうと思う典型的な例な気がする。
大音響を鳴らしながら走る街宣車も音を消し一礼する場所がある
その先には皇居があった
陛下の公務や祭祀を邪魔するかもしれない そういうことは許されないので皇居周辺では音を控える
だったら家の前でも音を控えろという話に五十嵐は「皇居でやってることと一般家庭で行われていることは全然違うわけです、
宮中においては 天皇陛下自らが神事を執り行っている」
そんな五十嵐が天皇陛下をまじかに見られる日がやってきた
しかし、車列が近づいてきても天皇陛下の姿を見ることが出来ない五十嵐
「我々は見ない 心で送るから」
天皇を神格化する彼ら 一方 天皇の存在に否定的な人たちもいる
右翼の若者も左翼の若者もここが自分の居場所だと言ってるけど
ジャーナリストの大谷昭宏さんは今のこういった活動をする若者には
自分の若いころと違って違和感があり、未来というか明るさが見えてこないという
閉塞感とか居場所がないということからそこに自分の居場所を求めてしまうという感じがする
社会からの疎外感とかそういったものもあるかもしれない
あれを邪魔だとか暇だからやってるんだと言う若者たちは じゃあ自分たちはそこに閉塞感がないのか 違和感はないのか 居場所があるのか
っと言ったら決してそうじゃないと思う
やっぱりみんながもがいて苦しんでる部分は一緒だと思う
そういった中で21世紀の今の存在意義っていうのはどういう意味か?
大事なのはメディアが彼らの言うことに聞き耳を持たないと
あるいはまったくそれを黙殺するということが それが一番いけないと思う
もちろん共感はしなくてもいいが
メディアを含めて一緒に考えていく
あなた方もこっちへ来て一緒に考えましょうという姿勢を持っていくことが
大事だと思う
タブー視をするだけということは問題なんですね