編集後記A/『にゃんぷう、という題材』
僕は、彼女の言葉を聞いて、「ああ、この女の子は本当に残念になってしまったんだ」と諦めたわけではなく。
この会議の二か月前ほど、モノクロームカットシアターの稽古期間中の事を思い出していました。
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あれは、宣伝美術さんとの会議中でした。
モノクロームカットシアターで使う映像に関して、少し相談があり、方々に頼みごとをしている期間の事だったと思います。
マックで今後の事を話しているときに、うっかり、次次回の話になったことがきっかけでした。
宣美「てかさー、これ終わったら演劇祭でしょー」
しゃべり方があまり想像できないと思うのですが、『しゃべっているのがメンドそうなヤンキー』をイメージしていただけると助かります。
キャツッの宣伝美術はそんなしゃべり方です。
ちなみに、僕と宣伝美術は中学どころか小学校からの付き合いで幼馴染ともいえる間柄で、だから、という訳ではないのですが……。
俺「うん、そうだけれど。まだ何やるか決まってないよ」
久「モノクロ終わってないしね」
宣美「うちさ、アレ見たい。アレ。『タッ○ー&翼』を踊る座長」
彼女の、奔放とも無責任とも言える発言に、慣れ親しんでいました。
というかまぁ、確かに見てみたい気もするけれど。どんな芝居だよ。確実にイロモノじゃねえか。
その時の僕は、モノクロームカットシアター(以下、モノクロ)に頭がいっぱいで、次回公演の事などほとんど考えていませんでした。
久保さんも経験があるとはいえ、制作のチーフを務めるのは初めてで、次回公演よりもモノクロの事を話し合うべきだろう。
なんて、そんなことを思っていたのですが
久「あー! みたいみたい!」
と、いらんフォローを入れて話が盛り上がってしまいました。
俺「いやいや、どんな芝居にするんだよ。完全にイロモノじゃん。いや、ありだとは思うけれどさ」
久「カオスになりそうだねー」
宣美「カオスねえ、……あ! アレ使えばいいじゃん。久保さんと○○が書いた台本」
久「え?」
宣美「あの、にゃんぷう、の台本使えばいいんじゃね?」
にゃんぷう、の台本?
僕は初めて、その時に『にゃんぷう』というよくわからないマスコットキャラクターの由来を聞かされました。
元々、飛鳥キャツッ(新人)は高校の演劇部から派生した劇団なのですが、その演劇部の九期のみで文化祭公演をしたことがあるのです。
それで、その時の台本が、通称『にゃんぷう台本』
正しくは、「殿、出番ですよ!」という、台本なのですが、一度もそのタイトルが正しく伝わったことはなく。
上演台本を書いた本人の久保さんでさえ「あれ、タイトルなんだっけ」と言い出す始末の物でした。
台本の内容は、『にゃんぷう』と呼ばれるサキイカの妖精が、ある高校の教室にいつの間にか居座り、そして去っていく。というだけの物。
話を聞いている限り、どう考えてもギャグなのですが。
書いた本人(久保)いわく、
「去っていくにゃんぷうを書いているときは、涙が止まらなかった」
と青春群青劇であることを主張しており。まあ、そんな主張はどうでもいいけれど、思い入れのある作品であることは伺えました。
宣美「高尾、書けるっしょ?」
そんな声が聞こえると僕はとっさに
俺「覚えてたらね。公演終わるまでは保留」
と、言ったのでした……。
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回想は終わり、ジョナサン。
僕は、頭を抱えていました。
久「ほら、私覚えてたよ。にゃんぷうやろうよ、にゃんぷう!」
俺「あ、うーん。でもねえ」
久「にゃんぷうやろうよー」
俺「いや、にゃんぷうって」
久「だってさ、あの時結構盛り上がってたし、高尾くんだって、まんざらでもないんでしょう?」
実は、そうだったのです。
さっきから、不満を垂れているように見えますが、僕自身『にゃんぷう』という、どう考えても台本にするのは不可能に近い題材をどう取り組むか
楽しみでしかたなかったのです。
しかし、何故、頭を悩ませていたのか。
それは、単純な不安。
お世辞にも、脚本経験を積んでいるとは言えない新米脚本家がお客様に『にゃんぷう』という僕からすれば偉く高いハードルをどのように描けるのか
その高さに、半ば怖気づいていたのです。
独りよがりな楽しさで、お客様は納得するのだろうか?
何をするにも、絶対についてくる課題です。
演出をする際にも、出てくる不安。
一言で表せば『クオリティの問題』です。
俺「いや、でも上手くできるかわからないよ」
僕は、不安のあまり、久保さんにそう告げました。
すると
久「高尾くんが書きたいもの、書けばいいよ」
身内を褒める……というかまぁ、昨日の日記からすれば一応別団体の主宰さんなのですが。身内を褒めるつもりはないのですが、彼女の言葉に僕は救われました。
もしかすると、
「ぐだぐだいってねーで、早く書け」
という、言葉の裏返しだったのかもしれませんが。
この時の僕は救われたのです。
その後、久保さんと別れ、僕は帰りの原付で頭の中の整理をしていました。
今は六月最後の日で、あと数時間もすれば七月になる。
公演日は九月二十五日。七月になれば三か月もない。久保さんが提示した台本の提出日は……一週間後。
一週間か……。出来ないこともない。
時間は、ないのだ。いや、それは弱音だ。
外堀だけでも作り、稽古をしながら台本の穴を埋めていけばいいじゃないか。
役者さんには負担を掛けるが、やらない理由にはならないだろう。
――なによりも、
(にゃんぷうは、サキイカの妖精で、ダンスも踊れるし、何でもできる)
――今自分は、『にゃんぷう』という題材に
(妖精ってことは、ファンタジーなのか…)
――心を踊らされているのだ。
(よし、んじゃ。書いてやろうじゃないの)
…その日は、とても暑かったことを覚えています。
それは多分
途中でガス欠になり、原付を押して帰ったせいだと思います
とぅびーこんてにゅーど……