話題:尊敬できる人
私の尊敬している人はファイナルファンタジーシリーズのサウンドを担当している植松伸夫さん。
もちろん植松さんの作る曲も大好きですが(読書のときいつも聴いていたりします)
植松さんの考え方がとても好きなんです。
そう思うキッカケになったのが、多分中学くらいに買ったFF[のサウンドトラックのブックレットに載っていたライナーノーツ。
植松さんはそこにこんな風に書いていました。
「先日、デジキューブさんから(中略)アンケートに答えて欲しいとメールが届きました。
どの問いにも迷うことなく即答できたのですが、
「幸せと感じるのはどんなときですか?」という質問に「僕はいつでも幸せです」と答えた後、悩んでしまったものですね。
そういえばここ数年自分を不幸だと思ったことはない(中略)
僕だって人並みの感受性は持ち合わせているつもりなので、その時々辛いこと悲しいことはあります(中略)
でも数を数えていくとそんな嫌な経験に負けないくらいの幸せも経験しているのですね。
いや、僕だけでなくきっとみんなそうだと思うんですよ。
金はないけど子供は可愛い。 離婚したけど新しい恋ができる(中略)
我々の身の上にふりかかってくるのは単なる経験なわけです。
それ自体に幸せも不幸せもない。
それを目の前にして我々が意味付けしているのだと思います。
その意味付けがそれぞれの人にとっての真実になるのではないでしょうか?
常に悪い方へしか解釈しない人にとっては真実は不幸なものにしかなりえない。
いつまでも辛かったことを思い返していては辛さはなくなりはしない。
ときには思い切って辛さと縁を切り、開き直ってみることも幸せになる手段なのかもしれません(中略)
今回の仕事での僕はというと、もちろん開き直りっぱなしでしたとも。
濡れ雑巾のようにズタボロの衰えた肉体がここにあります。 でも楽しかったですよ。
何かひとつのことに夢中になるのが僕の幸せになるための手段なのです」
これを読んで私は目からウロコが何枚も落ちた気がしました。
幸せとか不幸せって自分の心が決めているんだ。
失っても得たものがきっとある。それを大切にしよう。
運命なんて言ったら大袈裟だけど、自分にふりかかったことにプラスの意味を見出だそう。
そう、素直に思えるようになったんです。
だから私も植松さんと同じで「いつでも幸せ」です。
そんなわけで、私は植松さんのことをすごく尊敬しています。