佐伯祐三は1898年、大阪の光徳寺という寺の住職の子として生まれた。兄、祐正が父のあとを継ぎ住職となったが、祐三は父から医師になることを望まれていた。しかし祐三の画家になりたいという意思は強く、中学校に通う傍ら黒田清輝に学んだ画家、赤松麟作の洋画塾で絵画を学び始める。中学校卒業後は上京し川端画学校で洋画家藤島武二の指導を受け、更に東京美術学校洋画科に入学している。東京美術学校在学中に主に師事した三人の画家達は皆明るい色彩の作品を描く画家であったが、当時から佐伯の画風は現在よく知られている作品の落ち着いた色彩表現の片鱗が見られたという。
 1923年に東京美術学校を卒業すると、同年、妻子と共にフランス、パリへと渡る。そこでヴラマンク(1976ー1958年)に出会い、師事するようになる。ヴラマンクからは「アカデミック」と攻撃の言葉を投げられた佐伯の作風は、ここから大きな変化を遂げる。セザンヌ風の空間表現重視であった作風から、暗く落ち着いた色彩を用いたヴラマンク風の物質感重視の作風への変化である。この頃から佐伯は街中の壁に貼られたポスターやレンガ壁などのモチーフを描くようになり、激しい筆遣いによる自己の画風を確立していった。
 1926年、妻子を連れ故国へ戻り、前田寛治や里見勝蔵(1895ー1981年)などと共に「一九三〇年協会」を結成し、また秋には第十三回二科展にフランスでの作品19点を特別陳列し、二科賞を受賞する。ここから佐伯の華々しい活動が始まるが、日本で描きたいモチーフを見付けることが出来なかった佐伯は、翌年再びパリへ向かう。しかしその後一年も経たないうちに結核を患い、また精神面でも不安定となり1928年8月に死去している。
 今回私は、1927年以降、佐伯が再びパリへと渡った後に描かれた作品について、「広告貼り」を中心に考察してみたいと思う。

 「広告貼り」は1927年に73.4×60.2cmのカンヴァスに油彩で描かれた作品で、現在はブリヂストン美術館に所蔵品されている作品である。
 灰色やくすんだクリーム色で描かれた壁に、白や原色で描かれたポスターの文字が鮮やかに浮かび上がっている。ポスターは古いものの上から何重にも重なって貼り直されているのだろう、全ての文字をはっきりと見ることは難しい。左端にはこの作品のタイトルである広告貼りの男が一人、仕事道具であろう長い棒と梯子を隣に立っている。画面中央部には鈍く青緑色に光る扉が存在感強く描かれている。扉は少し開かれているのだろうか、全体的に白に近い画面内で扉の黒だけが奥へと沈みこんでいる。手前には歩道と思わしき描写があるため、この壁の風景は恐らく通りを挟んで見ていたのだろう。
 佐伯はこのような大量に貼られたポスターと扉のモチーフを何点か描いている。同年に制作された「ラ・クロッシュ」(カンヴァス、油彩 52.5×64cm 静岡県立美術館)や「カフェ・レストラン」(カンヴァス、油彩 64×50.3cm)などがその代表として挙げられるだろう。これらの作品は広告やポスター、ガラスに貼られた文字などと共に扉がその画面内で強烈に存在を主張している。
 「ラ・クロッシュ」は立ち並ぶ背の高い建物を遠景に、大きな広告が貼られた左右にのびる壁、またその前を通行する人物が描かれている。ここでは広告の文字が強いアクセントになりつつも、鑑賞者の目は画面右に描かれた細長い扉へ向かう。画面左側の文字が溢れた騒がしくまたある種派手とも言える空間に対し、画面右側の静かで落ち着いた雰囲気の対比が魅力的である。壁の向こうの空間を描くことで、鑑賞者はその先の空間へ繋がる扉を無意識に意識してしまうのではないだろうか。
 「カフェ・レストラン」ではさほど多くはないもののガラスに文字やポスターが貼られている店の扉が、私たちを誘い込むように少し開いている。一瞬廃墟とも取れそうな雰囲気だが、近景に配置されたテーブルの上に置かれたグラスがこの店の利用者の存在を主張する。店内がどうなっているのかしっかりと確認する事は出来ないが、それが余計に好奇心を誘う。この作品を見ていると、開いた扉の間から中を除きたくなる欲求にかられてくる。ここではヴラマンク風の物質感と共に、初期に佐伯が学んだセザンヌ風の空間感が混在している。この空間の中では、完全に扉が主役なのである。
 これらの作品を踏まえ「広告貼り」を見てみる。タイトルこそこの作品の主題は左端の広告貼りの男性であるが、画面配置を見てみるとやはり一番目立つのは大量の広告と扉である。ここで私は、この作品の主題は広告貼りの成す仕事そのものであると私は考える。広告貼りという仕事自体、日本人には馴染みの薄いものであるはずだ。広告がびっしりと貼られた壁というものも、日本に居る限りはそうそう目にする機会がない。また他の作品と比べても、ここまで広告の比率が大きいものは無い。文字の溢れる画面というのは鑑賞者に強い印象を与えてくる。佐伯がこの作品で目指したのは、そういった鑑賞者に与える大きな衝撃ではないだろうか。この作品を一度目にすれば、"広告貼り"という馴染みの薄い仕事も二度と忘れる事は出来ないだろう。佐伯はフランスの地でこの光景に圧倒され、また興味を持ったのではないか。そしてその衝撃を作品という媒体で他の人々にも伝えようと考えたのではないだろうか。パリの日常風景を、印象的にしっかりと伝えてくる。
 無機質でありながらもパリの人々の生活に密着しているこの風景はとても温かく感じられる。人物の描写が少なくても、この街に住見生活する人々の存在を強く感じるのである。

 ヴラマンクに師事してもなお、佐伯は幼年期から学び続けた空間表現にも執着を見せているように思う。 それがこれら、扉をモチーフとした作品ではないだろうか。空間の広がりは物質的には確かに壁までで終わっている。しかし少しだけ開かれた扉が壁の向こう側の空間を主張してくるのだ。完全に鑑賞者の想像の話になってしまうが、佐伯は壁と同時に扉を描くことで画面奥へと続く空間の表現を目指したのではないだろうか。私は佐伯の描く広告の壁と扉の作品に、写実とは言えないアンバランスな画面内に広がる空間の存在を感じるのである。