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めも

「燕子花図屏風」
尾形光琳(おがたこうりん)筆
江戸時代 18世紀
紙本金地着色
6曲1双 (各)縦150.9cm 横338.8cm
根津美術館

東京根津美術館に収蔵されている「燕子花図屏風」と並べ、同モチーフを描いたメトロポリタン美術館の「八ツ橋図屏風」が展示されるという事で興味を持った。
屏風という素材に描かれる事で、平面の画面に描かれるものとどういった効果の違いがあるのかという事も考えてみたいと思った。


尾方光琳(1658-1716)は京都の裕福な呉服商雁金屋の次男として生まれた。弟は陶芸家として名を残した尾方乾山(1663-1743)で、経済的にも文化的にも恵まれた環境に育った。しかし大名貸の回収不能のため雁金屋は傾いていく。光琳はその後関東の新都江戸に向かい、生活と芸術の面で打開を試みる。

燕子花図屏風は六曲一双の金箔地屏風に
燕子花の花と葉のみを描いた作品。「紅白梅図屏風」(静岡 MOA美術館)と並び、光琳の最高傑作として有名である。
この燕子花のモチーフは『伊勢物語』の第九段の一場面場面だという。第九段では、人生に倦怠を感じた京都の男が江戸へ旅へ出るが途中、愛知県の八ツ橋で咲き乱れる燕子花の花を見るという場面が描かれる。光琳はこの「燕子花図屏風」の他に「八ツ橋図屏風」(メトロポリタン美術館)など伊勢物語の同場面の作品をいくつか描いているようだ。この作品では橋も、登場人物も、水の表現さえも省略されどちらかと言うと花鳥画のような印象を持つ。
燕子花の群れは大きく分けると左隻、右隻共に4つずつに分ける事ができ、それらがリズム良く流れるように配置されている。花の群れの繰り返しの一部には高低を変えて型が用いられている。これは金銀泥木版刷や、尾形の家業であった染織工芸において用いられる技法である。


図版等で見ていた時には、燕子花の堂々とした筆致による存在感と言うか、金地と燕子花の青と緑の鮮やかな対比と言うのか、とても存在感のある作品だという印象を持っていた。しかし実際に根津美術館へ行ってみると、屏風の大きさとしては想像していたものよりも小さく感じた。

輪郭線も明暗もほぼ存在しないが、重なりあった一つ一つの燕子花が同化することなく描かれている。花の部分の青と葉の緑を上手く配置しているのだろう。光琳の緻密な計算と繊細に描いていったであろう様子が伝わってくる気がした。実際、どう配置図すれば個々が独立して見えるのかという事を考えながらあの画面全体に群生する燕子花を描いていくのは大変な作業であったのではないだろうか。一部の群生を型を用いて描いたという記述がある。私はどこにその技法を用いたかという部分は調べずに実際に見て探し出すつもりで観察したが、右隻に一か所しか見つける事しか出来なかった。しかしそれも型を使ったと言われ真剣に探してみなければ気付かないような自然や描きかただったように思う。
背景の金地も、金箔を貼っただけでなく、金箔を貼り合わせたような線を上から描いたものだという記述も以前どこかで見たことがある。近くで見ても確認は出来なかったがもし本当であれば、主題モチーフである燕子花には線を用いず、背景にそういった"線"的な描法を用いているところに光琳のデザイン性を感じる。光琳は生まれた家が呉服商であった為に、織物の図柄が常に身近に存在した。そういったデザインのようなものの感性は人一倍優れていたのではないかと推測した。
奥行き感(遠近感)に関しては、陰影を用いていないのにも関わらず何故か空間を感じる。Wを描くように描かれた燕子花の配置と関係があるのではないかと考えた。屏風を実際に使用した時、この燕子花の波が屏風の凹凸と呼応してより遠近感が増すように考えられ描かれたのではなだろうか。そして同時に、 燕子花一つ一つの大きさが変わらない為なのか密集し、押し寄せてくるような感覚がする。
実際に使用したわけではないので想像だが、この二隻の屏風を用いる際に向かい合わせに配置すると、見る者は自分が立っている2つの絵に挟まれた空間がまるで『伊勢物語』の"橋"であるように錯覚したのではないだろうか。それが左右から押し寄せる燕子花の花との効果も相まって、見る者を八ツ橋の世界に誘い込むような効果をもたらしたのではないかと考えた。同じ主題の「八ツ橋図屏風」(メトロポリタン美術館)と比較すると、こちらは橋が画面中に描かれ燕子花は斜めに対角線を描くように配置されている。私達と作品の中の世界が完全に断絶されていて、物語を読んでいるような感覚だ。「燕子花図屏風」は見る者すら光琳の作品の世界に連れていこうとする意図を感じるように思った。


比較的速い筆致で描いているが、モチーフの配置や微妙な色彩の変化を計算している事から、とても丁寧に製作が進められていった事が感じ取れる作品であった。
また私の考えた事がもし当たっているならば、光琳は見る者の存在、"見られること"に対してとても重要視していたのではないだろうか。遠くにあるものと近くにあるものの差を表す、つまり奥行きを感じさせる空間感ではなく、自分が絵画空間の中に存在しているような錯覚が出来る空間感が存在している作品だと思った。
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